休刊 キム・ソクジン



ブログ更新通知機能付きRSSリーダー - ブログチェッカー
https://play.google.com/store/apps/details?
id=com.skelabo.blogchecker&pcampaignid=web_share

休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/08/09

* -アスタリスク- 4 エナメル、のびのび写経を禅寺で1人でやる!その2

のびのび写経をやっていたらしい、ということで物議と議論が勃発しそうなので、書きますけれど。
 
写経場でですね、私は1人だったんです。
たった1人きりで、有意義な真夏の午前中を過ごしていたんですね。
で、社務所の方が、「熱中症にならないようにお気をつけて写経をしてくださいね」って言って下さったんです。
 
しかも、本当は朝8時から受け付けなので、それに間に合うように涼しい時間に行く予定だったんですが、寝坊してしまって、着いたのが10時過ぎだったんです。カンカン照りです。もうすでに30度は軽く超えてる感じです。エナメルです。
 
だからですね、写経をしながらヤバいかもと思っていたら(煩悩)、だんだん暑くなってきたんです。
涼しいんですけど、木造建築の中でも限界があってですね、エルニーニョですし、暑くなってきたんですよ。
 
それでですね、1人だったので、エアコンのリモコンをお借りして、自分のほうに風をむけて涼しい時間を過ごしていたんです。(煩悩!)
 
いや熱中になって倒れたらダメですからね。
ダメでしょう、それは!
 
だからエアコンを自分のほうに向けたんですよ。若干設定温度低くしたかもしれません。帰るとき元に戻しておいたから、色々あったけど結局ゼロになっちゃうっていうアレです。ゼロってインドの発明なんですってね。エナメルです。
 
1人だったからやっただけで、他に一期一会の写経メイトがいたらやりませんよ、もちろんですよ。
でも1人だったんですよ!
1人きりだったんですってば!!
 
あとですね、椅子席に座ってやったんですけど、途中足をのばして指先をピコピコ動かしてストレッチをしてたんです。
1人だったし、足がむくんで立ち上がれなくなったらどうしようって思って。(煩悩!アンタはもう煩悩だらけ!) 

それを先輩に話したらですね、のびのび写経って言葉が発生したという経緯を踏んだワケですね。
 
しかもですね、禅寺だったので、枯山水のお庭があるんです。
はじめて近づいて見たんですけど。
(アンタはなんで、そんなやっていいんだか悪いんだかわかんない、人がなんとなく遠慮してることをどんどんやるの? バカなの? なんか色々なトコ、一体どーなってんの?)←いや、綺麗だな・・・、て思って。
 
すごくお庭の中に光がフラットに存在していて、私は枯山水が好きになりました。

廊下も全部木造で、トイレは洋式ですごく綺麗で、確か仏教ってお掃除が修行なんですよね。
びっくりするほど清潔にしてあって、すごく驚いたんです。
気遣い、という心が修行に含まれているのかな、と思ったんですね。 

ただ掃除っていっても、それひとつだけではなく、そこに含まれるありとあらゆることを修行とされているのかもしれません。

清潔にするって、自分と他者の関係性を主張せずに構築することですよね。
相手の為にきれいにして、気持ちよく使用してもらう為の心が、なんというか清潔という言葉ってものすごく広い言葉で、たったひとつの動作だとばかり思っていた自分をとても反省しました。
 
それで、実は今回のラベルにはHSPを入れているんですけれど。
 
私はお経を写しながら、ああこうすればいいんだ、と考えついたことに。
 
例えば、ものすごい災害が起こってその犠牲になった方々の報道に触れると、すごく胸が痛くなったり、苦しくなったり、なかなか切り替えられなかったりする時って、生きていればあるんですよね。
HSPの人達はその瞬間を人より多く持ちますよね。

そういう時は、もし外に出かけられるのなら、お寺さんに伺って写経をしたらいいのではないか、と思ったんです。
お経を写すっていう動作や精神の所作って、供養なんですって。
 
お経を読んだりはできなくても、お経を写すことはできますよね。
そうやって、遠くからで申し訳ないけれど、悼む気持ちや世の中のどうにもならない部分の話を、お経を写しながら、自分の心に聞いてもらうことで、同時にご供養に繋がるのではないか、と思いました。
 
募金ってなかなか続けられないときがあるでしょう?
そういう自分を責めてしまう人達って、どこかでずっと自分のことを殴り続けるんですよね。小さくだけど、それはもう哀しいほど自分にむかって誠実に自分を叱り続ける。

その気持ちを、写経という行動という、そのときの最善に向かう姿勢に変えてみると、少しだけ気持ちが楽になるのではないでしょうか。
 
私は今回観音経を写したんですけれど。
その中に何度も観音力という言葉が出てきました。
観音様って、人を助けるために33通りに姿を変えられて助けるんですって。
そしてね、その中に私が理解できたひとつの言葉、雨も観音様が姿を変えられたものなんだそうです。
甘露とも表現されていました。 

だから、もし雨の夜が少し不安なら、ああ、この雨は観音様が姿を変えられて、誰かを、ひょっとしたら自分を助けに来たのかもしれない、と思われると、眠れそうですよね。

観音力とは、相手や状況に応じて最も相応しい姿に変化する力
 
PHP 書籍紹介ページより
 
いま検索すると観音力についても、いろいろな考え方があり、示し方があるようです。
ただ、私は、この本の紹介文にあった、 「相手や状況に応じて最も相応しい姿に変化する力。」が一番ピンときます。
 
そして、すぐに思ったのは、その変化する力を得た先に、何があるのか。
 
私には、
相手を救うためだけの、唯一のように思えてなりません。
 
それでは、4時半にまたお会いしましょう。
 
参考リンク
聖福寺

〒812-0037
福岡市博多区御供所町6-1