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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2023/11/15

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第3夜 カイエ(Ⅰ) ***


Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第3夜 カイエ(Ⅰ)  ***
 






 
 
カイエ(Ⅰ) / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作曲: 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲: Jean Musy
(クレジット Wikipedia カイエより
 
 
来た来た来た来た来ーたー!といま画面の前のいく人かの方々が前のめりになっておられるのが目に浮かぶようですが(笑)
 
カイエというアルバムがあるんです。
ジャケットは、ドローイングのような、天使の姿がかろうじてイメージできるだけの線で描かれているジャケットです。
確か、全身を描いてあるのではなく、上半身だけで、身体の部分は風にかき消えかけているようなイラストレーションでした。
 
(これを書いた後、iTunesのジャケットを見ると、イラストの前にスタンドマイクらしきものが! これはそういうことなんでしょうか。その評価は大賛成です。)
 
どうして大貫妙子がこのアルバムを創ろうと思ったのか、その経緯はなんだったのかは、ライナーノーツ自体がついておらず、このアルバムの意図を、言語で饒舌に説明するものではなかったと記憶しています。
 
私は自分のわかる範囲で、イマジネーションを音で具現化しようとしたのかな、と考えていました。
 
アルバムタイトルのカイエで検索すれば、おそらくWikipediaにこのアルバムについて知りたいことが書いてあるのではないかとは思うのですが。
 
今回、イベントをやるにあたって、大貫妙子の楽曲を自分でセレクトしてiTunesで購入した時に、カイエを聴き直して、やはり私は、この楽曲やこのアルバムの意図の説明を求めていないな、と感じました。
 
ですので、詳細を知りたい方は、「カイエ 大貫妙子 アルバム 」で検索していただければと思います。
 
そもそもカイエという名前自体、誰の手による、この世界の具象の一体何を当てて、その存在を縁取る名前にしたのかが知りたくて、確か、私はダンテの神曲を開いたんですけれど、あまりにも難解で、最初の方で挫折してしまったので、カイエというものが司どる名称の由来もわからないままです。
 
歌詞らしいものがない、言葉の響きと大貫妙子の柔らかく、天上の旋律や降ってくる光から連想される声で、天界の存在が奏でられています。
 
春、夏、秋、冬と季節を通して聴いて確かめてみたんですが、どの季節にも合っているという、大変なサウンドです。
あとはもう好みの話なので、個人的には、やはり冬の早い夕方、雲間から降り注ぐ金色の光を私は思い浮かべます。
 
天使というと、羽を纏った、または隠した、巻き毛で金色の美しい髪を持った、ビスクドールのような頬の持ち主を想像されると思います。
 
私は、それに加えて、実はモダンバレエ、クラシックバレエのダンサーのイメージがあります。
クラシックバレエがトゥ・シューズで天上の舞踏と称されたように、モダンバレエは滞空を躍動し滑走してみせた、あの瞬間の肉体の動き、に、私は、あまりにも不確かな至高の存在を見てとります。
 
多分、化身を見ているのだと思います。
 
そういう理由で、普段、ここでやっているファンブログの部分では、天使さんと呼んでいる方がおられるのですが。
その方も、また、大変優れた舞踏をご自身の世界とされているので、最初、なぜ、自分がその方のことを天使さんと呼んでいるのかよくわからなかったんですけど、確か、私はこの方達のパフォーマンスで最初に見たのが、こちらの方の凄まじい舞踏だったので、天使さんとお呼びすることは、私の中ではなんの不思議もありません。
 
話を元に戻しますと。
大貫妙子は時々実験的なアルバムを出すことがありました。
前衛というより、ポストモダン、ポストポップス、ポストロック、というような、壊す、というテーマの作品を発表することがあり、私はこのカイエというアルバムでは、どういう経緯だったのかは知らないまま、アルバムという作品集を構築するテーマというものを破壊したのではないか、と考えています。
 
言葉で限定することで、音楽が縛られてしまい、リスナー側のイマジネーションすら、決して額縁から外に出られない絵画のように区切られてしまうことから、可能な限り離脱し、逸脱しようと試みたのではないかな、と思います。
 
どうしても実験的というと、難解なサウンドや楽曲で構成された作品集を想像されるかもしれませんが。
 
そこが大貫妙子のオールラウンダーたる矜持がそこかしこに見える、どの楽曲も、商業音楽のレベルに達した上で、解釈は個人の好きに委ねられている、とても制限されないアルバムであり、そのタイトルトラックとしてのカイエを大人になって聴いても、理解というものに怯えなくてすむ、安心して好きなように音を聴ける1曲となっています。
 
 
以上、 Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第3夜 カイエ(Ⅰ)  *** でした。
 
 
それでは、また明日の夜22時にお会いしましょう。
 
 
 
 
 
 

2023/11/14

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第2夜 蜃気楼の街 ***

 

Let's listen to Taeko Onuki, shall we?

<大貫妙子を聴こうじゃあないか>

*** 2夜 蜃気楼の街  ***

 

 

 

 

 

 

蜃気楼の街 / 大貫妙子(Taeko Onuki)

作詞・作曲:大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲:加藤和彦(Kazuhiko Kato)
アルバム「ROMANTIQUE」収録
 
 
当ブログでも以前、話題にしていますね。
楽曲収録アルバム「ROMANTIQUE」については、ウィキペディアのページがとても熱いので、そちらをぜひご1読していただければと思います。
 
参照リンク
ウィキペディア アルバム「ROMANTIQUE」
https://w.wiki/6D6e
 
私はですね、公開しているプロフィールを何かのきっかけで知ることは、別にどうとも思わないんですけれど。
ご本人が公開していないプロフィールや、ご本人についての細かい情報を自分から調べることは、あまり好きではありません。
もちろん、私も人並みに興味を抱いて調べることもあります。こういう女性が好みなんだー?とか、そういうこともたまにはします。
 

ただ、なんだかあまり本人の了承なしに調べて、公表しているデータ以外の先入観を持ちたくないんですね。
潔癖だったり清く正しい心根からではなく、若者だったときに、応募した企業から前勤務先の就労状況を調べられたことがあって、前の勤務先から連絡をもらったことがあったんです。
 

これは、企業としても人事としても、とても正しいことですし当たり前のことです。
なので、当時も、そんなもんかな、と思っていました。
 

その後、しばらくしてあまり親しくなかった人と話していて、その話題になった時に、その人がはっきりと不快感を示したんです。
自分だったら、そんなところには行かない。とまで言われたんですね。
 

結局、そこに合格したのかどうかは覚えていないので、落ちたんだと思うんですけれど。
私は、自分が世の中の正しさの顔色をうかがってしまって、自分の中の気持ちにすら正直になれないことに、すごく驚いたんですね。
その頃、そう思うのは、とても子供っぽいと思ったんです。
 
実はいまでも、不愉快である、と気持ちを出すのは苦手です。どうしても平気なフリをしてしまうんです。
この頃は意識して、不愉快さを態度や言葉に出すようにしてはいるんですが、すぐ反省会始めちゃってダメです(笑)。
 
まあ、そういうことがあってから、私はその人の作品をまず最初に聴いて、自分はどう思うのか。自分はどう聴こえたのか。ということをとても大切にしています。
 

それでそのアーティストのことを、自分にとってどういう存在であるかを決めたいんです。
そこに、プロフィールはあまり重要ではないんです。
 

私のミュージシャン観というのは、創ったもので自分の言いたいこと、表現したいものを雄弁に語る。なので、それでいいと思っています。
 
私がWikipediaをよく参考リンクにするのは、集合知の結晶だからです。
いま書いたことと矛盾しているようですが、私は手弁当で持ってくる情報というものが1番、価値があると思っています。
 

そこに個人のフィルターがかかってることは、現在のWikipediaではないと私は判断しているので、「知りたかった知らないこと」を知る機会として、とても助けられています。
 

そしてネットでは、知りたくないことは検索しない、というスタイルを大切にしています。
 

なので、私は大貫妙子の愛聴者ですが、彼女のことは何も知りません。
リスナーとして、私個人は、彼女のプロフィールはさして重要ではないからです。
語りたければ著書やライナーノーツ、インタビューで語っているだろうし、そうでなければ公表したくないのだろう、と思って、私は彼女の音楽に用があるので、自分に従っています。
 
前置きが異様に長くなってしまいましたが(笑)
楽曲の話題に入ります。
 
この「蜃気楼の街」は、大貫妙子が参加していたシュガー・ベイブ時代の楽曲です。
こちらはシュガー・ベイブのアルバム「SONGS」に収録されているそうです。
 

シュガー・ベイブとは山下達郎(Tatsurou Yamashita)が中心となって活動していたバンドですね。そこに大貫妙子も参加していました。
参加メンバーを見ると、そうそうたるメンバーが勢揃いしています。
 

参考リンク
Wikipedia シュガー・ベイブ
https://w.wiki/88mN
 
Wikipedia SONGS
https://w.wiki/62U4
 

 

「ROMANTIQUE」に収録されてるバージョンと「SONGS」に収録されているアレンジが違うかどうかが、どうしても思い出せないんですけれど(笑)。ごめんなさい。確か、聴いたはずなんですけれどね。
でも、普通に考えてアレンジは違うと思うんですけれどね。シュガー・ベイブ、バンドだし。
あ!いま解決しました。ありがとう、iTunes!
 
全然、違いますね。シュガー・ベイブバージョンは若者のふさぎ込んだ憂鬱な気分が根底にある声で唄っているように、私には聴こえます。
対して「ROMANTIQUE」バージョンは、ひどく現実から離脱した、古い時代のヨーロッパやニューヨークの都会によく似た、架空の街を舞台にしたような趣き(おもむき)があります。
 
私は、どちらの大貫妙子の声も好きですが、最初に聴いたのは「ROMANTIQUE」の「蜃気楼の街」なので、刷り込みという点で、「ROMANTIQUE」バージョンが僅差で好きです。
 
「蜃気楼の街」では、少し琥珀色がかった旅情が歌われています。
 

私は旅というものは、その人の漂泊観の表現が実体化したものである、という考えを持っています。
 

旅というものがどこか寂しく、懐かしいのは、人は定住しながらも常に漂泊し続けているから、かもしれません。
その表裏一体の矛盾こそが、人というものの決してとらえられない部分として、誰もが持つ、個別の蜃気楼の街に漂っているのではないでしょうか。
 
日常に時々姿を現す、「少しの虚ろ」は、そんな蜃気楼からの残像なのだ、と、この楽曲を聴くたび、そう思います。
 


以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第2夜 蜃気楼の街  *** でした。
 


それでは、また明日の夜22時にお会いしましょう。
 
 

 

 


 
 

日焼けどめと化粧下地復活とアイシャドウ

 


 

すっかり園芸っ子になっていますが。
 
約1年近く、来る日も来る日もベランダに出て、せっせと植物の世話をしていたんですけれど。
 
私の髪の毛は通常よりも日に灼けやすい性質だそうで、以前、美容師さんから厳しく言われていたので、常に帽子をかぶって作業にいそしんでおりました。
 
あと、暑い時期はできなかったんですが、アームカバーを駆使したり、園芸用の手袋は常にマストとして、虫刺され防止として基本パンツで、ベランダに出ていました。
 
日焼けどめは、私はこちらのアリィがとても合いました。
 
春夏秋を過ぎて、肌チェックをしても、新しくシミが出ていないので、かなり合っていたのだと思います。
 
塗り方としては、まず全顔にまんべんなくたっぷり塗ったと、頬骨、鼻の頭、口元とあご、額に重ねて塗って、それから同じくSPF50のクッションファンデを塗った後、やはりSPF50のキャンメイクのパウダーをブラシに取って、顔に隙間なくおいて、朝、ベランダに出た後、昼にもう一度、ブラシでパウダーを鼻、ほっぺたの逆三角形コーナー、おでこ、あご、につけていました。
それプラス、前述した装備だったんですが。
 
たぶん、灼けていなかったと思います。
 
なので日焼けどめって、多分どれだけ合うかが重要なのではないかな、と考えています。
数値は、ほとんどSPF50+ PA++++が横並びの製品が多いので、あとはどれだけ肌に合うかなんだと思います。
 
私は鼻の頭には汗をかきますが、顔にはあまり汗をかきません。
そこもアリィの密着度と合っていたのかもしれないですね。
 
汗は、私は、ある一定の体温を超えると、ドバーッと主にこめかみや頭から汗が出るんですが、今年は酷暑だと構えていたせいか、そんなに汗ダラダラになることもなかったです。
 
そして日中は、ベランダに出た後は必ずタオルで汗を拭いて、パウダーでなおしていたので、 やはりキャンメイクのマシュマロフィニッシュパウダーはSPF50ということもあって、日に灼けたくない私には大助かりでした。
 
特にアリィから変える必要を感じていない上、私は年中日焼けどめが必要なので、ずっとアリィを使っています。
ありがとう、アリィ!
 
資生堂マキアージュ ドラマティックカバージェリー BBクリーム

春夏秋と、ミシャのクッションファンデを使っていたんですけれど、ちょっと崩れ方が気になったのをきっかけに、基礎化粧品+日焼けどめ+下地+リキッドファンデ+パウダーの工程に戻すことにしました。

たしかBBクリームについて、美容液が入っているBBクリームとしか書いてこなかったので、今回、初公開です。
BBクリームは私はマキアージュのBB、1択です。

理由は、自然な感じにもできるし、しっかりカバーした時も自分のさじ加減でできるし、なによりこのBBクリームに入っている美容液がとても肌に合うからです。

ずっと書いてこなかったのは、ここを始めた頃は、まだ旧モデルのBBで、口コミがすごくて、店頭に置いてあってもすぐなくなってしまうか、あまり重要視されていない商品だったんです。
 
ファンデーションではなくBBクリームですから、どうしてこれが売れるんだろう? と首をひねっていた期間が長かったのかもしれません。
 
私は、日焼けどめにこのBBクリームを重ねて、軽めにしたいときはこの上にフェイスパウダーをブラシでつけています。その期間が10年くらい続いて、その後、好きなリキッドファンデーションを使った方が、年齢的にも表情が明るく見えるようになったので、いまはリキッドを薄くつけて、それからパウダーです。
 
リキッドファンデーションは、ディオールの名品、「ディオールスキンフォーエバー フルイドマット」のニュートラル1Nを使っています。
公式オンラインブティックで購入しました。代引きで大丈夫でしたよ。
 
スキンフォーエバーの写真は、ものすごく色々と準備が必要な形なので、今回は省略しています。
 
こちらの値段を見て、え、高くない? と思われるかもしれませんが。
過去にお出かけ用のファンデとして、同シリーズの旧タイプを店頭で購入したことがあるんですけれど。
その時は、1年半くらいもったんです。
出不精ではあるんですが、1年半ももって、すごいたっぷりだな、と思っていて、今回はデイリーユースなので半年はもつだろうな、と見当をつけています。
 
大体、ドラコスのリキッドが3千円平均ですので、日常使いをすれば、2ヶ月に1度は購入しないといけませんので、単純計算で9千円、リキッドに投資することになります。
 
そうすると、ディオール使った方が元が取れていいや、と私は思いました。
 
しばらくプチプラだったんですけれど、またちまちま積み立てをして、シャネルのカラーや噂のCCクリーム、ディオールのアイシャドウをゆっくりひとつずつ買おうかな、と考え中です。
 


左 セザンヌ ベージュトーンアイシャドウ 02 ロージーベージュ
右 セザンヌ ニュアンスオンアイシャドウ 04 キャメルブラウン
 
そうは言ってもセザンヌのアイシャドウは買います。
当然です。
 
今回、私は店頭でこちらの2つを購入しました。 
左のロージーベージュは、私のペろーん目にほしい華やかさがあって、上段左のピンクラメのパールがかなり好きでした。
2重幅にはたぶんそんなに溜まっていないと思います。
 
締め色の下段右のあずき茶色(いま勝手に造りました。)をアイラインとは別に、私は目尻から上まぶた、下まぶたに、右目だと>の字を描くように入れるんですけれど。
こちらもちょうど良かったです。 

右のキャメルブラウンはですね。なんかシックすぎて、ちょっと私には地味でした。
もっと下段左のキャメルを強く入れたら良かったのかもしれないんですが。
これは私の顔のせいなんですけれど、そうするとアジア人アピールが濃厚になってしまって、くどく感じました。
なので、目単体で華やかな方は、キャメルブラウンを使うと、すごくシックで秋冬の雰囲気が出るのではないでしょうか。

今日、話題に取り上げた商品は、ディオール以外は、全てAmazonで取り扱いがありますので、必ずご自分ご覧になって購入計画を立ててくださいね。
 
ディオールはZOZOTOWNにも公式が来ていますね。
私はオンラインブティックが買い物しやすかったです。
 
以上、日焼けどめと化粧下地復活とアイシャドウ、でした。

 

それでは、夜10時にまたお会いしましょう!(笑)←冬になったので元気いっぱい。

 

 

整形疑惑について

 

暴力を想起する内容を含んでいます。
ご注意ください。

 

私は少女の頃はがっつり一重だったんですけれど、とある文房具で目のラインを描いて押し込んでいたら(真似しないでくださいね。ちゃんと専用の道具を使いましょう!)、大人になる前くらいには二重になっていました。
加齢によるシワなのかな、とも思いますが、くっきり二重になっているので、結果オーライです。
 
整形疑惑というのが私にもあってですね。
整形顔ーっ!とか言われたこともあったんですけれど。
お金かけたんなら、もっとこう、自分の理想の顔にしとるわい!と内心イラつきながら、知らんぷりしていたら、じきに言われなくなりました。
 
整形については、前に書いたかもしれませんが。
私は、気になるならやればいいし、気になるけれど、そこまで本格的にやらなくてもいいかな、という方は、アイプチ等いろいろ便利で安全な器具が、現代では通販で安く、簡単に手に入るので、そちらで工夫するのもいいと思います。
 
ただし、メスを入れるというのは、手術であって、医療行為なんですね。
なので、顔の部位だけでなく、それは体に影響が出ることだって十分あり得るんですよね。
 
で、お医者様っていうのは専門家ですので、だから執刀できるんですね。
整形手術は、病院の手術なわけですから、必ず、事前に十分にヒアリングしてもらえたか。何が手術でできて、何ができないのか。必要な場合は、服薬はあるのか。あるなら、薬はどのくらい服用するのか。アレルギーテストはしてもらえるのか。
というですね。
普通の手術を行う時と同じだけの用心深さを、自分のために、必ずやるべきだと考えています。
 
あと、私は、少女期に比べて、大人になってから、ものすごく顔が変わりました。
 
実は、幼稚園に通う頃やそれ以前には、いまの面影があったんですが、小学生の成長期に入り、思春期を過ぎた後まで、いまとは全然顔が違ったんです。
 
なので、私は、そういう自分を冗談にしたいタイプだったので、大人になってから、「昔のしゃしーん!」とか言って見せたら、「誰?」「親戚の人?」と結構、場が盛り上がりました。
 
コンプレックスはすごくて、毛深いことや、眉が濃いことが本当に嫌で、その頃のストレスもあって眉をお風呂の湯に浸かって抜いたりしてた時期もありました。
 
いまは、細眉のメイクが流行った頃に整えてたら、毛の一本一本は濃いですが、どちらかというと少なめの眉になっています。
 
なのでね、大人になったら顔が変わるというのは、身をもって体験しているので、そういうことは、けっこうあるんだ、ということをひっそりと主張しておきます。
 
髪質も、いまではすっかり直毛ですけれど、全体の髪がくるくる天然パーマだったそうです。(ほんとかな)
その名残りか、直毛に見えるけれど、毛を間近でよくみたら、なみなみになっている毛と直毛が混在していて、「ちょっとない癖毛ですよね」とは言われ続けていました。
 
だから髪型もすごくコンプレックスだったし、ヘアセットもうまくできなかったし、色々と気持ちの上で負荷の多い思春期でしたよ。
 
目の色も私は間近で見ると気が付くレベルで薄くて、ここでは書けない言葉で囃し立てられたこともありました。
 
好きな子をいじめる。いじめていい。と勘違いしている、
男子のあれこれを、いまでも心底憎悪していますし、
いじめてるから好意を持っているんだ、
とかいう変な理由付けして、
 
公然と気に入らない、
やってもいいと判断した女の子を執拗にからかったり、
しつこく髪の毛引っ張ったりするっていうのは、
シャレになんないレベルで、
相手との遺恨を残すっていうことを、
 
うらやましいからっていうのは、
何の正当性もないんだっていうことを、
 
世界中の男女ともに、知っておいた方がいいですよね。 
 
憎たらしかったからやったはずですし、
面白かったからやってたんですよ。
 
私はこの歳になっても、思い出すたびに、顔も忘れてしまった相手への憎悪の気持ちを新たにしています。
 
私だって、誰かにとってはネガティブだったでしょうから、一方的に被害者ヅラして言いつのってる訳ではないんです。
 
好意を暴力やハラスメントに変換するのは、ただの異常者だっつってるんですよ。
 
いつまでも、自分たちに都合のいいタワゴトを振りかざして、子供だったからだの、少年だったからだの、どこにもありもしない、そんなことは誰でも知ってる、クソ馬鹿馬鹿しー綺麗事を、あろうことか自分で変換して、自分にだけ都合のいい、思い出ってものがしまってある戸棚に、いそいそと収納することこそ、図々しいって言ってるんです。
 
私は許されないでしょうよ。それでかまわないと思ってます。好きに呪えばいい。
私も、絶対に許さない。救われたいとも思わない。
 
ただ単に許さない。それだけです。
 
 
追記
ちょっと熱くなってしまいました。ははは。
 

 
 

 
 
 
 

2023/11/13

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第1夜 彼と彼女のソネット ***

 Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
 
*** 第1夜 彼と彼女のソネット  ***
 
 




 
こちらは、日本の女優でもあり、シンガーでもある原田知世(Tomoyo Harada)に日本語詞で大貫妙子が参加した楽曲のセルフカバーです。
 
そもそも「彼と彼女のソネット」は、「哀しみのアダージョ」というタイトルだったそうなんです。
私はアナログアルバムを両方買ったんですけれど、その経緯は全く知りませんでした。
 
以下は、ウィキペディア 哀しみのアダージョ より引用です。
 
「哀しみのアダージョ(彼と彼女のソネット)」(かなしみのアダージョ(かれとかのじょのソネット)、原題:T'en va pas)は、フランスの女性歌手エルザのシングルである。1986年にリリースされた。作曲はロマーノ・ムスマッラ、作詞はレジス・ヴァルニエとカトリーヌ・コーエン。
 
(中略)
 
日本では1987年の日本盤発売時に「哀しみのアダージョ」という日本語題が付けられた。その後、1994年のシングル再発売時に日本語の副題が加えられ、「哀しみのアダージョ(彼と彼女のソネット)」となった。
 
(中略)
 
1987年7月1日、原田知世が大貫妙子の日本語詞により、「彼と彼女のソネット」の題名でカバー(編曲は後藤次利)。
大貫も自身の日本語詞により、同年のアルバム『A Slice of Life』でカバー。この際、歌詞の一部が変更され、原田盤・大貫盤は全く同一の歌詞ではない。
 
ウィキペディア 哀しみのアダージョ より
https://w.wiki/88ie

 
原田知世バージョンはアルバム「Schmatz」に収録されています。
私はどちらもそれぞれの個性があって好きですが、センシティブなのは原田知世バージョン、追憶のソフトフォーカスの情景が思い浮かぶのが大貫妙子バージョンではないかと、個人的には思っています。
 
当時から大貫妙子は日本国内で1目も2目も置かれていた存在で、「知る人ぞ、知る。」と私のような愛聴者は得意がっていたものですが、結構ヒット曲もあるにはあったので、楽曲を聴けば、「ああ、この曲が大貫妙子かぁ・・・。」という方も多いのではないでしょうか。
 
2023年の現在、世界でどのような聴かれかたをしているのかは、先入観を持ちたくなかったので調べていませんが。
 
このアルバムが出た当時の1987年頃はすでに、とてもリスペクトされていたので、熱いファンの方々はどうかご安心ください(笑)
 
大貫妙子の楽曲や音楽性への信奉者は当たり前に存在していたのですが、彼女の普段の声の支持者も、これまた熱く、熱く存在しており、自身の楽曲の歌詞となっている詩を朗読するアナログレコードなどもありました。
 
タイトルを忘れてしまったので、現在リリースされているのかどうかはわかりませんが、配信データを見る限り、私には探せませんでしたので、興味のある方は探してみてください。
 
彼女の声の素晴らしさは、F Mラジオで「仮想熱帯」と題したプログラムがあったほどで、こちらは音源としてまとまってはいないとは思うんですけれど、このプログラムタイトルが、大貫妙子というソングライターの力量を通り、大貫妙子というシンガーの表現を経て、リスナーであるこちらの脳内に存在している、大貫妙子というイメージにとても合っていたので、こちらのタイトルを思いつかれたのは一体誰なのかな、と、「調べないで楽しむ素敵な謎」として、いまでも大切にしているひとつです。
 

以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第1夜 彼と彼女のソネット  *** でした。
 

それでは、また明日の夜22時にお会いしましょう。