休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/11/15

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第3夜 カイエ(Ⅰ) ***


Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第3夜 カイエ(Ⅰ)  ***
 






 
 
カイエ(Ⅰ) / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作曲: 大貫妙子 (Taeko Onuki)
編曲: Jean Musy
(クレジット Wikipedia カイエより
 
 
来た来た来た来た来ーたー!といま画面の前のいく人かの方々が前のめりになっておられるのが目に浮かぶようですが(笑)
 
カイエというアルバムがあるんです。
ジャケットは、ドローイングのような、天使の姿がかろうじてイメージできるだけの線で描かれているジャケットです。
確か、全身を描いてあるのではなく、上半身だけで、身体の部分は風にかき消えかけているようなイラストレーションでした。
 
(これを書いた後、iTunesのジャケットを見ると、イラストの前にスタンドマイクらしきものが! これはそういうことなんでしょうか。その評価は大賛成です。)
 
どうして大貫妙子がこのアルバムを創ろうと思ったのか、その経緯はなんだったのかは、ライナーノーツ自体がついておらず、このアルバムの意図を、言語で饒舌に説明するものではなかったと記憶しています。
 
私は自分のわかる範囲で、イマジネーションを音で具現化しようとしたのかな、と考えていました。
 
アルバムタイトルのカイエで検索すれば、おそらくWikipediaにこのアルバムについて知りたいことが書いてあるのではないかとは思うのですが。
 
今回、イベントをやるにあたって、大貫妙子の楽曲を自分でセレクトしてiTunesで購入した時に、カイエを聴き直して、やはり私は、この楽曲やこのアルバムの意図の説明を求めていないな、と感じました。
 
ですので、詳細を知りたい方は、「カイエ 大貫妙子 アルバム 」で検索していただければと思います。
 
そもそもカイエという名前自体、誰の手による、この世界の具象の一体何を当てて、その存在を縁取る名前にしたのかが知りたくて、確か、私はダンテの神曲を開いたんですけれど、あまりにも難解で、最初の方で挫折してしまったので、カイエというものが司どる名称の由来もわからないままです。
 
歌詞らしいものがない、言葉の響きと大貫妙子の柔らかく、天上の旋律や降ってくる光から連想される声で、天界の存在が奏でられています。
 
春、夏、秋、冬と季節を通して聴いて確かめてみたんですが、どの季節にも合っているという、大変なサウンドです。
あとはもう好みの話なので、個人的には、やはり冬の早い夕方、雲間から降り注ぐ金色の光を私は思い浮かべます。
 
天使というと、羽を纏った、または隠した、巻き毛で金色の美しい髪を持った、ビスクドールのような頬の持ち主を想像されると思います。
 
私は、それに加えて、実はモダンバレエ、クラシックバレエのダンサーのイメージがあります。
クラシックバレエがトゥ・シューズで天上の舞踏と称されたように、モダンバレエは滞空を躍動し滑走してみせた、あの瞬間の肉体の動き、に、私は、あまりにも不確かな至高の存在を見てとります。
 
多分、化身を見ているのだと思います。
 
そういう理由で、普段、ここでやっているファンブログの部分では、天使さんと呼んでいる方がおられるのですが。
その方も、また、大変優れた舞踏をご自身の世界とされているので、最初、なぜ、自分がその方のことを天使さんと呼んでいるのかよくわからなかったんですけど、確か、私はこの方達のパフォーマンスで最初に見たのが、こちらの方の凄まじい舞踏だったので、天使さんとお呼びすることは、私の中ではなんの不思議もありません。
 
話を元に戻しますと。
大貫妙子は時々実験的なアルバムを出すことがありました。
前衛というより、ポストモダン、ポストポップス、ポストロック、というような、壊す、というテーマの作品を発表することがあり、私はこのカイエというアルバムでは、どういう経緯だったのかは知らないまま、アルバムという作品集を構築するテーマというものを破壊したのではないか、と考えています。
 
言葉で限定することで、音楽が縛られてしまい、リスナー側のイマジネーションすら、決して額縁から外に出られない絵画のように区切られてしまうことから、可能な限り離脱し、逸脱しようと試みたのではないかな、と思います。
 
どうしても実験的というと、難解なサウンドや楽曲で構成された作品集を想像されるかもしれませんが。
 
そこが大貫妙子のオールラウンダーたる矜持がそこかしこに見える、どの楽曲も、商業音楽のレベルに達した上で、解釈は個人の好きに委ねられている、とても制限されないアルバムであり、そのタイトルトラックとしてのカイエを大人になって聴いても、理解というものに怯えなくてすむ、安心して好きなように音を聴ける1曲となっています。
 
 
以上、 Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第3夜 カイエ(Ⅰ)  *** でした。
 
 
それでは、また明日の夜22時にお会いしましょう。