休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/06/23

風の音に包まれる。


レスキューレメディは、紅茶に3滴落として試しています。


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
ふだん、わりと音楽を聴いています。
楽曲のジャンルは好みによりますし、最近では旧い楽曲が私の中で流行ってはいるのですけれど、けっこうずっと音楽を聴いています。
 
遅く起きた今朝、いつものように窓を開けると、ざあっという雨の音が耳に飛び込んできて、雨が降り込まないように注意して外気を通り抜けさせながら、しばらく台所で雨の音を聴いていました。
 
前の部屋では雨の音がすぐわかったんですが、今の部屋では穏やかな雨はすぐわからない住環境なんですね。
ですが、今朝は私の記憶通り、街に降る雨の音がして、ただ雨の音を曇り空が作り出す仄白い明るさの中で、コーヒーカップを持って立ったまま、何も映さないレースカーテン越しの外を眺めていました。
 
それで気持ちがとても鎮まったので、後回しにしていた繕い物(つくろいもの)をして午前中を過ごし、正午少し前にラジオをつけると、私の好きな方向の番組、現在や過去の録音されたその時々の世界を流す番組が始まっていて、今日はSLの音と北海道のとある驛(えき)の記憶が放送されていました。
 
私は機関車はタイムリーではないのですが、聴いていると、ラジオをつけて暮らしていた頃の息の吸い方、吐き出し方を淡々と思い出せた心持ちがしました。
 
そして、そのまま夕方まで、一切、普段聴いている音楽を流さずに、今日一日を過ごしています。
 
少し体調を崩しているのもあるんですが、時折止む雨に合わせて外気を入れて、外から流れ込んでくる音に包まれていると、なんだか全身の細胞がどこまでも開いていくような錯覚に襲われ、穏やかに心が凪いでいくのがわかりました。
 
音楽が好きであるということと、生活環境でBGMを欲するというのは、たぶん、同じだけれど同じではありません。
気持ちの向きによっては、外の音や風に乗る匂い、遠くから静かに響いてくる雑踏や町の時間の音が、ストレスになってしまう方もおられると思います。
 
私も、実は、昔はそんな1人でした。
お気に入りの音楽も、最初はいいんですが、だんだん言葉が強く感じられて、邦楽から洋楽、そしてインスト、クラシック、ジャズに切り替えても、やはり少し疲れ続けてしまう。
そんな精神状態だったことがあります。いまでも時々そういう感じになります。
 
そういうときは、私は、炊事や洗濯をして、意図的に、自分の生活の音をたてて、自分をなだめています。
 
取りかかるまでが、本当に、とてもとてもおっくうなんですが、始めると、気持ちが静かになって、実直なエネルギーが身体の中に満ちていくのを感じ、ひとり、自分の仕事をしたのだ、とリフレッシュできます。
 
そんな私が、ふと、朝の雨の報せをきっかけに、こうやって外の音に1日包まれて過ごすことに喜びを覚え、できるようになっていることが、新しい自分にめぐりあったような、忘れ去っていた自分が久しぶりに再生されたような、そんな気分になります。
 
どこかしら何か枯渇していたのか、それとも暮らしのアンテナがようやく再開されつつあるのか、それはまだ現在のことなので分かりようもありません。
 
ただ共通しているのは、自分のリズムと価値観で日々を送る部屋での態度を、微細であっても、大切にし続けているということなんだと思います。
 
 
少し無表情なまま、しん、とした心が胸にあった上で、臨機応変に日々の出来事に対峙していく。
 
ただそれのみを、繰り返し、緩やかな太極拳のように生活というものに代入する。
 
それこそが、自分の基礎部分を維持していく、最重要ポイントなんです。
 
そこさえ維持できれば、瞬発力だけで一ヶ月とか二ヶ月集中してなにかやって、後のことはほったらかしで、終わってみれば抜け殻のようになって、ひどい二日酔いのような後悔に似た焦燥がジリジリと続き、結局遠くのゴールにはたどり着けないという、空中分解を繰り返さずにすみます。
 

暮らしの基礎部分の態度として、
 
ハズさないでいるよりも、少しそっけなく日々を往く。
 
私はいま、それを何より大事にしています。
 
 
さっき、台湾の良いお茶の茉莉花茶(ジャスミンティー)を、便利茶こし付きの普段使いのポットで淹れました。
 
雨の日は少し肌寒いので、温かいものを飲んで、調節しています。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
20240623 19:02 文章を大幅に直しました。