休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/06/09

KAWAI 解 <黄泉平坂日曜版(よもつひらさか)>

 

隣の席

 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
さて、今日はですね。なんと私はカンニングをしながらの、この「KAWAI 解(げ)」 可愛気(かわいげ)について、いち解答を出してみようと思います。
よろしくお願いいたします。
ちなみにカンニング先は隣の席です。
君のクラスの1番うしろではありません。
隣の席です。
 
つい先ほど、私はうっかり失言をしていたらしいのですが、お相手の方がノリノリで突っ込んで下さるので、ウキウキとおしゃべりを楽しんでいたつもりだったのが、その方の大切なお友達の1人に「その可愛気がないところが、おそらくお前がいましゃべってる奴が、お前のことが大嫌いな理由だよ」と言われ、血の気がひきました。

聞くと、ご家族への敬意に関わる話題だったのを、私がわかっておらぬ所をご容赦いただいた上、冗談にしてくださっていたそうなんです。
大変、申し訳ございませんでした。
 
それで硬直してひとしきり無表情で反省をした後、多くの方々がやるであろう「可愛気とは?」というGoogle検索をしたんですね。

そうしたら、結論からいうと、
「可愛気のある女性は愛される」
というお話が大変細かく書いてあり、私は可愛気のない女性ナンバーワンを自称しておりますので、
「たんに、逆らわない女性が好きなんだろうな」
と、なんともさわやかな風が吹き抜ける気持ちになりました。
 
でまあ、書いた方を探せなかったのですが、そちらのサイト様は出会い系アシストっぽい所だったんです。
それである程度歳を重ねてババアになった私としては、
「それはある意味、"きれい事を言うのはやめよう。本当はこうだよね"構文」だと理解しました。
 
なので、カンカンになってそちらに突っ込んでいくのはやめましょう。
これは日曜版です。
 
それで、隣の席のカンニング先を盗み見ると、
「可愛気があると思われたい女性」の整理をつけてみてはどうか? とありましたので列記します。
 
1
:好きな相手から「だけ」、可愛気がある女性だと思われたい。
 
2
:人間として可愛気がある人は、女性として「も」可愛気があるけれど、女性として可愛気がある人は、人間として可愛気のある人とはイコールでは無い。
 
3
:可愛気のある女性として、全方位から支持されたい。
 
この3つの気持ち(文脈)を持つと、私はカンニング先から教えられました。
 
この三択でしたら、みなさんは、どれを選ばれますか?
 
私はですね。
全部嫌です。
なので「該当なし」が私の答えです。応えでもあります。
 
「じゃあ、お前のそういう感じはどこから来るんだよ?」
と隣の席から言われてしまったので続けますが。
 
人間としての可愛さと女性としての可愛さは違うし、
幼さと可愛さが混同されているし、
ルックス(見た目)の可愛さ重視とも違うし、
と、いきなり私の中の大前提が出てきました。
 
懐かしのカワイイシティがルッキズムと混同されてしまって、なんだか全員が腑に落ちない、困り気持ちで終わってしまった問題、とかが頭の隅をちらりとよぎったりもして、少し気持ちが重くなります。
 
「じゃ訊くが。お前にとって可愛いってなんだよ?」
とさらに詰められたので、助けを借りて考えを進めてみます。
 
多分、可愛いは魅力であって、具体的な条件ではない、ということなんだと思っています。
 
「どうしてお前はそんなに可愛気がない応えしかできないんだよ。見てろ。こうやるんだよ。」
 
物質の存在の可愛さと、精神的な可愛さの要素がそもそも違うのに、そういうふわっとした答え方しかできないから、お前は可愛気がないんだよ。
 
「だから、もうひと押し、考えてみろ」
 
とさらなる助け船を出されてしまったので、考え進めてみますが。
 
すっきりした解答ばかりを出すと、それでは情緒もなにもないので、きっと可愛さというのは、明確には割れないんだと思います。

では、明確には割れないもの、というのはなんでしょうか。
それは個別の感受性のハナシです。
 
おそらく可愛さ、特に可愛気というのは、徹底的に個別のハナシ、感性のハナシなんです。

それをなぜか、全体の解答・総意としてまとめようとするから、個別の嗜好を全体に置き換えてしまうから、結局は、自分を不快にさせない存在が可愛気のある存在、ということになってしまうんですね。
 
でも、不快にさせない存在というのは、単に快・不快という体感という「皮膚感覚」になってしまうから、そこに精神性を入れると、より男性的、または女性的、そのコミュニティ的な要素を強く打ち出さなければなりません。
 
すると、その方が思う可愛気とはかけ離れた、多数意見としての可愛気が演出されるんですね。

さらに、その可愛気を打ち出す、全体としての目的や理由を考えて演出の舵取りをしないといけないから、極端な可愛気が切り出されてしまう。
 
なんて思います。
 
そうやって青空が映る窓の外を見ながらもたもた考えていたら、カンニング先の方が席を立って、解答用紙を丸めて捨ててしまったので、私も真似しようと思ったのですが、せっかく背伸びしたことが書けたので、日曜版として写してみました。
 
こういうのを盗っ人猛々しい、というんですよね。
 
ところで私はこちらのブログで散々書いてきていると思うんですが、大人可愛くはないし、私は大人をやっているつもりではありますが、断じて大人女子ではないです。
 
お前、じゃあ今日の描写、全部教室じゃねぇかよ、と言われると思いますので先に書いておきますが、ここは公民館のワープロ検定の試験場で、全員平服です。
 
以上、少しだけ硬派な日曜版でした。
 
  
じきに梅雨入りです。
傘をちょっと新しいのに変えましょうか。
 
心の中でさしている傘の色は、最初はきっと赤です。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。

 
 
20240610 00:39 誤字を直しました。