休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/03/20

いや・・・、

なんで
ブラックエンジェルズ・コスなんだよ!

 

その通りだよ!
びっくりしたよ!
正解率の高さに腰抜かしましたよ!

 

ていうか、それ昔の私の夢!
 
なぜあなたが、なる?(笑)


そもそも、なぜそこで撮影?
散歩コースかなんかですか?

 

つーか、どこなんだよ、一体!(笑)


ちなみに今まで誰も言い当ててなかったハズです。
・・・なんという頭脳の無駄遣い。
 
天国の先生へ
長い間、渾身の出オチに気づかず、
申し訳ありませんでした。(肩震えてる)←鬼
 
 
それと全体的に、
いろいろ雑!(爆笑)
 
 
 


 


2024/03/18

遊び続ける、ということ。本日の雑感 20240318-2

 

先月購入した(はず)、しおり(栞)


あまりにも疲れていて、読書が出来ていなかったんですが、先週ぐらいから、特に縛られない読書を再会しています。
 
写真は、なんと栞(しおり)です。
アマゾンで購入しました。
 
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ECHONOYA メタル しおり 花 おしゃれ ブックマーク アンティーク 金属製 読書 ブックマーカー 金属しおり チェーン ゆらゆら 揺れる 文房具 事務用品 学生 作家 贈り物 (12月の梅花-銀) 
 
美しいでしょう?
こちらの栞は、金属製で、一年の12月のイメージで2種類ずつ誂えてあって、私は、梅と赤い鳥モチーフとパートナーの誕生月のモチーフを購入しました。

これを挟んで、いまは「訂正する力(東 浩紀)」を読んでいます。
「訂正する力」はとても面白くて、昨年の 秋前 冬前に購入したんですけれど、不調が始まり、ちょっと置いておいたんです。
とても大好評な本で、東 浩紀先生がとても噛み砕いて、分かりやすく、訂正する力、について語られたものが本になっています。
 
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訂正する力 (朝日新書) 新書 – 2023/10/13 
東  浩紀 著
 
こちらの第3章 親密な公共圏をつくる、を先ほど読み終えて、ふと、遊ぶこと、について書いてみようと思いまして、本日の雑感2を更新します。
 
色々なアドバイスを若者だった頃からいただく機会がどなたにもあると思います。
私も、きっと人より少なめですが、そのような機会がありました。
そのいくつかは、その時の私にとても有用で、それは経験のストックとして私の中にいまでも残っています。
そして、残りのいくつかは、ものすごく射程範囲の長い、長すぎる、今考えると、アドバイスをくださった方ご自身も、よく分かっていなかったのではないか、というアドバイスがあるんです。
 
共通点は、言われたときは、よくわからない言葉である。
そして、わからないのに、体感で、
これはなんだか知らないけれど覚えて置いた方が良さそうだ、という本能で、記憶されているもの。です。
 
そのひとつに、「遊びなさい。遊び続けなさい」という言葉があります。
 
当時、まだ若者で、私はいまよりさらになんだかわからない、ただの女の子でした。
いつもお金が無くて、大好きなお店で好きなお酒を飲むために、はした金を貯めて、行けるときに週末、お店でひっそり遊ぶ。そういうことをやっていました。
とても楽しかったですし、その時の体験が、後に私をとても助けてくれるものになりました。
 
例えば、お商売のジャマをする気は無いけれど、私個人は、チャージを取らないバーには行かない、というルールを持つきっかけになりました。
それは、本当に私を助けてくれました。
 
でも、そう言われたとき、正直、「何を気楽なことをこのオッサンは言ってんだよ」とイラッとしたのを覚えています。
 
ばっちり遊ぶには、けっこうなお金を稼がないとダメだし、そうしたら遊ぶヒマなんか無くなるのは目に見えているし、つまらない価値観に染まらないと、そのコミュニティに入れないし、そもそも私はいつも弾き出されてしまう。
 
だから、好きに暮らすには、いまの生活をやるのが一番いいし、ストレスも無い。そう信じ込んでいました。
それは、すごく間違っていたんです。

その方は、「お金が無くても、遊ぶ方法はいくらでもある。お金が入ったら、すぐ貯金しないで、必ず遊びに行きなさい。それが君をいつか助けるから」
と言ったんです。
 
私は、たぶん、「いいですよねぇ、お金のある人はそんな呑気なこと言って」という目をしていたんだと思います。
 
でもその方は、そんな私に、念をおしたんです。
「覚えているといいよ。必ず、遊びは、君を助けるから」
 
今でも、本当の意味や答えはわかりません。
 
ただ、私は、
目の色変えて、やたらと子供時代の遊びを大人が「あえて」やる、という遊び方や、
遊びの恋愛をすること、
お金も無いのに贅沢なお店に行くこと、
分かりもしないのに流行の遊びにすぐ飛びつくこと、
遊ぶこと自体に一生懸命になって、つまらないのに楽しいと思い込んで、日々をしのぐこと、
では無いだろうな、と思ったんです。
 
勿論、人をおもちゃにしたり、人をカモにすることでもありません。パワーゲームに参加することでも、当然ない。
 
本当に楽しいと思うことを、楽しいと思う範囲でやること。
やり続けること。
 
なんだと思いました。
 
ルールは、
「その楽しさを自分の中で絶対に誤魔化さないこと」
です。

飽きたらやめる。つまらなくなったらやめる。
そこに付き合いや他者の評価を、絶対に、入れない。
飽きて、ちゃんとつまらなくなって、きちんと止めるまで、が遊び。
 
私は、そう思って、いまもひっそり遊び続けています。
 
私が、遊びでやってるんだ、と、うそぶいていたのは、半分は格好つけです。
でも、半ば、本気で、これを実践していたんです。
 
あの時のあなた達は間違っていたんですよ、と言いたいのでは、決してありません。
 
私は、そうやって遊ぶこと。遊び続けることで、どこかで自分の中に、退路を作れたんだと思います。
 
これは、違う意味かもしれませんが、本に載っていた「勝たなくてもいい。負けなければいい。」という言葉が表していることだと思います。
 
この言葉を私個人の価値観で展開すると、
「負けても、負けても、負けないでいられるやり方、を体で知っていく」
ことなんだと思います。
 
私の人生は、負けっぱなしです。
負け癖がついているなんてもんじゃない。
負ける度に、本当に負けています。
でもね、と言えないくらい、負けるからです。
 
でも、勝った相手に、自分のすべてを受け渡してしまわないで居られるのは、 遊び続けていたから、今もなお、遊び続けるから、だと、さっき、東先生の本の第3章を読んで、ああ、そういうことだったんだな、と腑に落ちました。
 
解釈や実践方法は間違っていたかもしれないけれど、確かに、遊びは私を助けてくれました。
 
これからも、助け続けてくれることでしょう。


以上、遊び続ける、ということ。本日の雑感 20240318-2、でした。

 
 
20240319 10:53 訂正箇所を直しました。




 
 
 

本日の雑感 20240318

 

満開のクロッカス(昼バージョン)

 
現在の私の状態についてなんですが。
 
とても悪いです。
どうしたんだろうっていうぐらい悪いです。
 
お医者さんと以前約束したのは、よく知っている症状がまた出たら必ず言うこと、だったんですね。
で、それは無いので、環境が変わって一年とちょっと?くらいで安心はしています。
 
けれど、ストレスが凄かったようで、そのダメージからの回復がどうも自己判断ですが、3ヶ月はかかるくらいの強いダメージを受けているようです。
 
また、私はようやく、ご心配して下さる方々が特に気遣って下さるポイントが先ほどわかりまして。
あの、とんでもない状況でぽかん、としてしまうことこそが、一番危ないということだったんです。
その無感覚とでもいうんでしょうか。鈍くなってしまっている状態に、先日も知らずに入ってしまっていて、とてもご心配をおかけしてしまっていたんです。
 
気をつけようと思いました。
本当に気をつけようと思いました。
 
どうも、私は、心の奥深いところで、ちゃんと助かっていなかったようなんです。
 
実は、私はずっと、自分の手を引く相手の姿がいつも見えていて、それはいつも、どんなときも、私自身なんです。
どうしてか分からないけれど、私が、私を助けに来るんです。
 
だから、自分を助けられるのは自分自身でしかない、という考えをずっと持っています。
それはある意味、真理ですが、すごく間違っても居るんです。
 
そこがうまく飲み込めていなかったようなんです。
 
ずっと分からないまま、忘れることもしないで、心の奥に持ちっぱなしで、もののわかった方々は、そりゃあ心配されるだろう、と冷や汗がでる思いです。
 
なので、やはり藤の花の下で、ゆっくりと養生しながら、物語を作り、明るい世界を見つめて、お庭の手入れをしながら、仕事をして、感謝しながら、もう大丈夫だ、とおっしゃってくださり、私の呪いを解いてしまわれた方々に胸を熱くしながら、静かにしていようと思います。
 
いまはまだ、元気です、とは言えませんが、少しずつ暮らしの中で、ダメージを薄めていっています。
 
この春は、羽衣ジャスミンと木香薔薇の白の苗を手に入れました。
蔓を這わせ、満開の星のように庭の空中を彩るのは、来年になりますが、一生涯、恩に着るお二方が威風堂々と守り続け、天国に行ってもなお心熱く示し続けてくださる鋼の知性を祝福として受け取れるよう、そんな願いを込めて、この二つの鉢を育てようと思います。
 
植物は枯れるときもありますが、それでも私は私に許された愚直さを持って、可能な限り育てようと思います。
 

私は、ときどき無感覚に陥り、そのことに気づかず危ない状態を受け入れそうになったら、必ず声を出そうと、先日、気がつきました。
気をつけようと思います。

エナメル 20240318 00:22

20240408 09:40 不安定さが出てしまっていたので、おかしな所を数カ所と不要な箇所を直しました。


 
 



2024/03/17

ホワイトセージとラベンダーのお香

 
 

 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
先日、SHEINとTemuでお香立てとお香を買いました。
写真はお香立てにホワイトセージのお香を立てて焚いたところです。
 
記憶ですが、お香立てはSHEINで500円とかそんなんで、お香は少し割高でした。
 
お香立ては、いま色々なものが出回っていますが、私は、インテリアのアクセントになるものであまり呪術的な雰囲気の無い、日本の香道のイメージに重なるような、神秘よりも実用的なものを探していたので、こちらのにしました。
 
ゴールドで派手に見えるかもしれませんが、金はどちらかというと私にとっては寂びた(さびた)雰囲気を持つのと使い方がいたってシンプルなのがお気に入りです。
 
ホワイトセージというと、詳しい方や興味のある方は、場を浄化する効果があるといわれているもの、という感じだと思います。
 
私も以前、なにかでホワイトセージの葉を使って空間を浄化したいという方を見て、そういうものがあるのか、とちょっと驚いたのを覚えています。
 
今回、ホワイトセージの効果の話題について、Google検索をしてみたんですけれど。
 
私が一番しっくりくる色々な方面での考え、
 
そもそもどういう時に、誰が、どのような目的で使っていたのが始まりなのか、
 
そういうことが具体的に明確にしているサイト様に行き当たったので、
 
なぜ、浄化すると言われているのか。
本当に効果はあるのか。
効果があるとすれば、一体、何にたいしてなか。
健康被害はどうなのか。
そもそもホワイトセージを焚くことで、何が浄化されると言われているのか。
どうしてこのごろよく見かけるのか。
 
をお知りになりたい方は、
ぜひ、こちらの「一般社団法人 ホワイトセージ協会」様に伺って、フランクかつニュートラルな詳細をお読み下さい。
 
一般社団法人 ホワイトセージ協会 トップページ
https://whitesage.or.jp/
 
ホワイトセージについて
https://whitesage.or.jp/whiteasage/
 
 
こちらで歴史をふまえて紹介されているスマッジングをやっているのかと言われたら、特にそういう本気な感じではありません。
 
伝統的な使用方法「スマッジング」
ホワイトセージはまた、複数のネイティブアメリカンの文化的な儀式でも使用されています。
代表的なのが「スマッジング」です。

「スマッジング」は“薫香”の一種。

乾燥させた茎葉に火をつけてすぐに消すと、お香のように煙が出ます。この煙を使うことで、空間を浄化する方法を「スマッジング」と呼んでいるのです。

ネイティブアメリカンの間では、この煙によって空間の悪い気が清められ(浄化)、さらに天に煙が上ることで、人々の願いが神様に伝わるとされてきました。

そのため、現在に至るまで祈祷などの文化的な儀式には広く用いられてきたのです。

 

一般社団法人 ホワイトセージ協会 様内
ホワイトセージについて
https://whitesage.or.jp/whiteasage/
(改行 強調 エナメル)

 
私は、単に私の精神状態が部屋の中に作ってしまっている暗い雰囲気をどうにかしたくて、今回、ホワイトセージを選びました。
 
それは浄化を求めているのか? と言われたら、そういう期待も少しはありましたけれど、
お香を焚いて、窓を開けて空気を入れ換えた後の状態に部屋の中を持っていって、さっぱりしたかったんです。
 
いまはやることが多くて、コンディションも安定しないので、「徹底的に」掃除ができないので。
 
ホワイトセージにまつわる浄化の考え方で特に好きなのは、同じく「一般社団法人 ホワイトセージ協会」様のこちらの記述です。
 
このように、心と身体、心と空気(場所)、身体と魂が互いに相関性を持つという前提のもとでは、たとえば澱んで濁った空気や場所はそこに身を置く人の身体や心に悪い影響を与え、またすっきりしない心持のまま過ごすことはその人の身体の状態を損なうことにつながります。
そして、これらは包括的・スパイラル的に互いへと影響を与え合うわけですから、何らかの方法でこれらの澱み、にごり、すっきりしない心持などを払拭する必要があります。その役割を伝統的に担ってきたのがまさに「ホワイトセージ」による「スマッジング」というわけです。

スマッジングの方法については後述しますが、スマッジングで生じるホワイトセージの煙や独特の芳香は、場所や心、気をクリアに澄み切らせ、明晰化してくれるとされてきました。

そして、こうした「浄化」の過程は、それを行う人が深く自分自身や場所、世界に対して洞察を行い、それらの連関に目を向けるとき、一層効力を実感できるものです。

 

(見出しのみ略)
 
ホワイトセージによって場所や心、気を「浄化」することは、たとえば部屋が目に見えてかたづいたり、特定の病気が完治したりするものとは異なっています。

これも後述するように、ネイティブアメリカンの伝統的な風習ではスマッジングが病を払う作用も果たしていたようですが、薬草としてのホワイトセージの効能は本記事においては成分表や食材としての欄に詳述しています。

スマッジングによるホワイトセージの「浄化」機能は、煙や独特の芳香によって、それに触れた人の心を落ち着かせ、リラックスした状態を取り戻してくれるといったものに近いでしょう。

他のより馴染みある薬草では、たとえば我々はカモミールの香りによってくつろぎを、ラベンダーの香りによってリフレッシュ感を得ることができます。

薫香についての深い知識がなくても、香りが我々の心身へと深い影響を及ぼすことは日常的に馴染みある感覚ですよね。

 


一般社団法人 ホワイトセージ協会 様内
ホワイトセージについて
https://whitesage.or.jp/whiteasage/
(改行 強調 エナメル)

 
昔、お客様をお家に迎えるときに、ある種類の層では、事前に麝香(じゃこう)などを小さな香炉で焚いて、一度、窓を開けて風を入れ、その香りを外に逃し、残り香だけを漂わせて、お客様をもてなしていたんです。
これは主に茶道のやり方だったと私は記憶しています。
 
麝香(じゃこう)はジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種。ムスクとも呼ばれる。
(中略)
香料用途としては合成香料である合成ムスクが用いられるのが普通であり、麝香の使用は現在ではほとんどない。
ウィキペディア 麝香 https://w.wiki/3$mQ より

 
若者だったとき、偶然手にした重たくて分厚い雑誌に、そういうもんだ、とざっくり書かれていて、ああ、そうやってやれば、お家の匂いではなく、すこしあらたまった香りで来た人を迎えることが出来るんだな、とひどく納得したんです。
 
ルームフレグランスの特別版みたいな感じでしょうか。
 
確かに、昔、美味しいカステラでお馴染みの福砂屋・長崎本店を訪ねたときに、お店に入ったら薄く薫の残り香が漂っていて、掃き清め、水を打ってさっぱりした外といい、店内に入った時に出迎える、奥ゆかしく主張しない香りといい、やはりお商売をばっちりやってる所は違うな、と感激したことがあります。
 
また先日も東京に行ったときに、多くのお店が商売を始める前の夕方早くに、お店の大小にかかわらず、掃除をして植栽を整え、店の前に水を打ち、玄関の戸からお香の薫りが滲み出ていました。
 
私の部屋は住空間ですが、香りには強弱や時間があったほうが好きなので、空気の入れ換えをできるときにする場合、こういうさっぱりした気持ちになって空間をきりっとさせるお香や、ラベンダーのようにリフレッシュして少しお洒落な香り、白檀のように渋く侘びた(わびた)香りを部屋に通し、外に逃がして、1日の中で、あらたまった気持ちになる時間を作りたかったんです。
 
そうした上で、食事を作るときはお味噌汁の匂い、餃子を焼くときは油と焦げた薄い小麦粉の匂いがちゃんとして、ご飯の支度をする時の時間の匂いがし、シャワーを浴びたら石鹸の匂い、新しい服を出したらクリーニングの匂いがするという、たくさんの香りがある暮らしをしたいので、以前やっていたルームフレグランスはやめて、お香に切り替えています。
 
 


 
こちらは購入したお香です。
ホワイトセージのいくつかの種類とラベンダーです。
ここには出していませんが、白檀の香りが好きなので、けっこうたっぷり購入したんですけれど、ちょっと思っていたのとは違う、ありがたい香りがしたので(笑)、そういう心持ちになりたいときに焚こうと思います。
 
 

 
 
こちらはラベンダーの中身。
一本をお香立ての葉っぱの軸のところに開いている小さな穴に立てて、焚きます。
灰がお皿に落ちるので、後片付けもラクチンです。
 
ホワイトセージの香りは、少し甘みが強い香りがします。
ラベンダーはもっとカジュアルでお洒落な香りです。
 
火の始末には注意して、ちゃんと灰がお皿に落ちるのを確認してから、少し焚いた後、窓を開けて香りを外に逃します。
 
私の部屋は構造上、お隣に香りがそこまでご迷惑になる作りではないのと風がわりと通るのでやっていますが。
もしやってみようかな、と思われる方、おられましたら、換気扇や窓をうまく使えば、そんな目を開けていられない程、焚くわけでもなし、お寺さんや神社さんのように一日中焚いている訳ではないので、ルームフレグランスより弱い香りですから、問題はないのではないかな、と私は思います。
 
香炉ですが、いまアマゾンを見に行ったら、け、けっこうお値段がするんですね。
大昔、私が使っていたミニ香炉は、エスニック雑貨屋さんで800円くらいだったんですが。
・・・どうしてこんな本気のデザインばかりが出回っているんでしょう???
いまはやるなら本格派がメインストリームなんでしょうか。
 
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こちらは木蓮の花をあしらったお香立てです。
灰が落ちてしまうので、受け皿が必要ですが、これならインテリアの中に置いても主張しすぎないのではないでしょうか。
Unikato お香立て 白木蓮香炉 1350円
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こちらはちょっと大きめですが、お香を立てたりする実用道具がついていて良さそうです。
Agaou お香立て 線香立て 線香 お香 立て 香炉 和風 陶器製 蓋付き おしゃれ シンプル 難燃綿と香立てつき 1599円
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こちらは強いデザインですが、小さいのでスパイス的な効果として、素敵な感じです
丸香炉 お線香立て お香立て 香皿 アンティークモダン風 蓋 お香立て付き 陶器 1449円
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こちらはシンプルなデザインに、カラーバリエーションがあって、お香立ての金具付きです。大きさも大小選べます。
GOKEI お香立て 1599円
https://amzn.asia/d/9ba7FPS
 
 
どれもけっこう本気な感じなので、ちょっと試しにという方は、小さな深めの器に塩を入れてそこにお香スティックを立てて、下に必ず広いお皿を置いて、テーブルが焦げないようにして、やってみてはいかがでしょう。
 
住空間の匂いや香りって、たくさん層があって、色々な匂いがするのがいいですよね。
 
私はしばらくは、お香と換気を使ったリフレッシュ、続けるつもりです。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 
 
 
 
202403170317 18:08 誤字脱字の修正、分かりにくい箇所、引用説明の追加をしました。
 
 

2024/03/15

梅と藤

 

Photo by Spaceman from 写真AC

 

その人を最初に見たとき、白い梅の花を思いました。
 
静かで繊細な佇まいがニュートラルな方なんですが、どこか一途に思いつめているような、張り詰めているような、随分と端正な輪郭がある刀を肌身離さず携えているような、一本、きりっとしたものがありました。
 
ああ白梅だな、と感じました。

以来、梅の季節に白い花びらを見かける度に、その人が全力で進み続ける道のことを考えたりしていました。
 
梅は、櫻よりどこか力強いものがあります。
都から太宰府に流された菅原道真公(すがわらのみちざね こう)を追いかけ、彼の地に飛んでいった白梅のように、必ず信じてやまない、そんな熱さがすっきりとみなぎっています。

春を告げる最初の花として、まず歌われるのは梅です。
古(いにしえ)の典雅人(てんがびと)達が好んで詠んだ理由は、容易いようでいて一番難しく、それはきっと尊い(たっとい)、「信」の字が、実は咲いているからではないでしょうか。
 
いつも写真写りが悪く、ものごとをきちんと見つめねば成せない生業を持たれているのだから、ご自身の様子の良さも、夢中にさせる魅力も知り尽くしているだろうに、なかなかそうは簡単に見せたりしない。
 
そういう上手さが、昔は、少し自分でも気になる所だったようですが、久しぶりに触れた芸の空間で高い位置に座る姿は、それすらもとうにご自身の天分だと、粋なふうに魅力を羽織られていて、芯は白梅でも、いまでは艶やかな藤の花のように咲き誇っているのだな、と、ひどく自慢な心持ちになりました。
 
 
Photo by きゅーまる from 写真AC
 
 
座席に居る全員と同じく、私も彼を長年の友人のように愛好し、八面六臂の活躍ぶりに圧倒されながらも、この人の為に何かしなければ、何かこの人の役に立つことをしなければ、と、甚だ迷惑な、何がなんだかよくわからない思い込みを持っています。
 
昔、その気持ちを書いたときに、偶然、古く立派な紅梅のイメージを持つ彼の師匠がこう言いました。
「拍手をしなさい。心から拍手をすれば、それで伝わる。」
なので、機会に恵まれた時は、いつもその教えに従っています。
 
切磋琢磨し合う仲間達と、共に花の山を登っている彼ですが、私はもうひとつ、この方について、非常に奇妙でおかしな思い違いをしています。
 
それは、壇上と座席越しに、真正面から向き合い続けるのではなく、当然、肩を並べるのでも無く、なぜか背中合わせに、それぞれが生きる世界を見つめているような、そんなようにどうにも思えてなりません。
 
決して振り返らず、決して寄りかかることなく、それぞれが背中合わせに立っている。
なにをどうしたら、希代の名人のおひとり相手にそこまで自惚れられるのか。
 
私の中の自分が散々私を嘲るのですが、 その体感が消えたことは一度もありません。
 
署名記事で拝読したのですが、私のような、生涯付き合っていくものを持つ人を励ます為に、世界では 「“」や「”」を使うならわしがあるそうです。
これで括るメッセージは特に無いのですが、実体のないこのネット上の私のアイデンティティの表記でもある「”」は、ところ変われば、日本語の濁音の意味も持ちます。
 
華やかな世界で天賦の才を巧みに磨き、鍛錬し続けるその方は当然、光りの中に居ます。
背中合わせの私はむろん、陰となります。
 
私は、その方が心に持ち続ける鋼の刃(はがねのやいば)に「しん」と表音する「信」の字を見ているので、陰の私は、自身のアイデンティティも投影して、そこに「”」を加え、「じん」と表音する「仁」の字を、この方への変わらぬ応援と勘違いな友情の証として反射していようと思います。
 
何ひとつ満足に返せませんが、命と心を助けていただいた方々の中のおひとりとして、私が思う、世界で最も誠実な心を生涯の感謝として、応援の中に反射し続けながら、動かし生きていこうと思います。
 
エナメル 20240315  18:02
 

追記
このようなことを書けば、大したことが全くない私のせいで、いらぬ恥をかかれるだろうと躊躇っていたのですが、たまには、周知の事実であってもひた隠しにしてきた応援を、このような形で告白するのも、
わけのわからない、途方もなく臆病な人間に、そこまで心を開かせ長年頼りに思わせるほどの人となりを、実はさらりとお持ちであると、
ひとたび白眉の高座を降りたら、そのような善行を決して黙して語らない、背中越し(思い込み)の立派な姿の証言として、
受け継がれている一門の名と、「芸は人なり」という教えに恥じぬ、至芸を継承されている旨、語らせていただいた次第です。
 
それと、・・・あの、この方は大変な「面食い」ですので、おかしな誤解はなさらないでください(笑)
ご迷惑になりますので。
 
追記 2
仁という字の発想元は、里見八犬伝の「仁」の字のエピソードからです。 
劇中では「人を愛する心」とされていますが、
私の場合は、親しみ、いつくしみ、モモ・ウメの果実の堅い核の部分に含まれているやわらかい部分、という出で立ちで使用しています。
(Oxford Languages より)