休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/04/07

a Day in Our Life


 
羽衣ジャスミン(ハゴロモジャスミン)


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
素敵な名前の小さな庭は、3月後半から4月に入り、温かい雨が降るたび植物達がぐんぐん成長していきます。
 
写真は、羽衣ジャスミン(ハゴロモジャスミン)。
昨日はまだ一輪しか開いていなかったんですが、一夜明けると一気にひと枝が開きました。
香りはそう強くなく、ベランダの小さな庭ですので香りが風に散ってしまっているのかもしれません。
 
私、そういえばプレゼントというものをあまりもらったことがなかったように思うんです。
いえ実生活では、普通にもらっているんですけれど。
(プレゼントの数の普通とは?)
 
ずっとですね。
私、隠しコマンドのように、自分の書いた駄文や物語内でプレゼントをしていることが多かったんです。
割に察して下さる方が多く、たとえば物語の場合は読んで下さる方々は、それを私からのプレゼントとして受け取って下さることが多かったと記憶しています。
 
なにをプレゼントしていたかというと、ざっくり言うとポジティブな感情とか相手にまつわる話題とかで、物語内では、ヒップホップ手法のサンプリングと呼ばれる、引用ではなく参照をあれこれ文学やコミックなどから行い、隠しアイテムのように忍ばせておいて、繰り返し物語を読んで下さる方々に、あれ? これって・・・? と気づいた瞬間、別の面白い物語の存在を受け渡す、という案外、サプライズなプレゼントをしていました。
 
大昔のことで、プロの方々は、ああ、これやっていたんだろうな、とすぐお分かりだったと思うんですけれど、当時でもネットで、パクリとか引用ならば、主と副の割合い度合いなどについてあちこちで議論が勃発しており、偶然それを目にするたびに私もよく真顔になっておりました。
 
真顔になりながらも、私は尾崎翠(おざきみどり)の第七官界彷徨を制作した手法で、何かファンフィクション(当時はなんて呼ぶのかも誰もわからなかったジャンルですね)で出来ないものか? と思っていたときに、そうだ!私は日本語ラップに強い影響を受けているので、異口同音手法や歌詞の引用などを混ぜ込み、私は尾崎翠の手法のフォロワーですので、同じく物語の構図、システム、表現手法などのサンプリングまでそれを広げていたんです。
 
ただ問題があって。
それは、私が死ぬほど文章が下手くそだったということなんです。←苦笑
 
なので、最初は、どうもこの人は何かわざとやっているらしい・・・。ということで、単に人称の移動でちょっとやってみようかな? ということをやったりして、(普通、すっごい怒られることです(笑))、こ・これは・・・? と買いかぶりすぎの話をしてくださっていた方々もおられたようです。
 
あと、高度な知的ウインクだと勘違いしてくださった方もおられたようで。
誤解が誤解を呼び、私はあまり自分で、これはこうでこうでと説明をするのを面倒くさがるところがあり、一度も明記したことがなかったんですね。
 
物語を公開して数年経過すると、なんか別のところから、パクリじゃん!とか、私これわかってますアピールなの?とか、これがわかる人向けにしかこの物語を書いてません的な(笑)、大変私が頭の良いことになっている判断を、真顔でしてくださっていた方もおられたようです。
 
いや、単にプレゼントということで、繰り返し物語を読んで下さる方々に、二読目、三読目でそれに気付き、あっ!これ、これだよね?とか、これのことですか? とかそういう新しい作品へのガイド、または私もこれ好きー!という優れた作品への再読を促す、隠しアイテムであり、隠しコマンドだったんです。
 
こういうのを、ホームページでやっていたんですけれど。
実は、日記も最初、隠れメニューで、なんだかわからない記号、それは三点リーダーによく似ていたデザインに、リンクをわからないように貼っておいて、そこに偶然マウスをのせたらクリックデザインにマウスが変わるようにしていたんです。
(三点リーダー論争っていうのもありましたね。そういえば。)
 
それで、え? この人、日記まで隠しアイテムにしてんの?
隠さなきゃいけない日記って、ひょ・ひょっとして? と若干生唾ごっくんなものを作っておいて、その実、ふっつーの日記だったりとか、そういう遊びをあれこれやっていたんです。
 
それと私ですね、今頃やっと、自分はすごく変わっていると書くようになったんですけれど。
そのことに気がついていなかったんですね(笑)
変わっているんだろうな・・・、とか思っていたんですけれど、それを凌駕するとてつもなく変わり者だったことが、異様に誤解されていたことを、なんとなーく知っていって、ついこの間まで愕然としていました。
 
で、変わっている上に、ラジオが好きだったので、ふざけた記述とか言い回しとか、そういうシャレでテキトーなことを書くのが好きなんです。
それもまたさらに誤解を生んで、その上ダブルミーニングとかして遊んでいたので、なんか、私からのクイズに答えられるかしら? オホホホ・・捕まえてご覧なさーい、と波打ち際をスローモーションで走っているイメージを持たれた方が、頭の良い方達に多かったように、いまでは反省しながら認識しています。
 
そんな中ですね。昨日の投稿で取り上げた兄のように慕っていた方が、勘違いされている私の状況をすごく面白がって下さっていたんですね。
 
で、大変な慧眼の方でしたので、いや、こいつがやってるのはコレだよ!とか、いや単にバカなんだよこいつは、という感じで、古いネットユーザーのやり方で、私が過去にやっていた中で面白かった事とか、私の好きなものを、今度はコピーペースト的に、ご自身のいろいろなアレで再現して、合図を送る、というやり方をして下さっていたんです。
 
すごく面白い方だったので。
 
その頃の、脅えるばかりで状況がよく分かっていない上(未だに何がなんだかさっぱりわかっていない。)、
な、なんかいますっごい攻撃されてる!と必死で説明していた一時期の私を安心させて下さっていたり、気がつくのが異様に遅い私のそんな所をさらに面白がって下さっていたんです。
 
なので私も兄のように慕っていたんです。
 
そして昨夜遅くに、ようやっとその方が遺されたものをそろそろ読める状態になった時に、最後のメッセージをまた分かるように残して下さっていた情報に、やっと行き当たったんですね。
 
色々なメッセージが混ぜ込んである中、最初に伝えてくださったのは、笑え!というものだったんです。
 
この4年半?の中で私がよくやっていた手法は、文の冒頭ですぐ要件を言う、というスタイルだったので、それにならってくださっていました。
その上で、私にかけられていた嫌な呪縛のようなものをすべて解除してくださっていました。
 
だからまあ、やっぱり私が後で調べるだろう事もお分かりの上で、遺しておいてくださったんですね。急がなくても良い、あとで受け渡せば良いメッセージを。
 
そして、自分が天国に旅立った後、私がどうなるのかも、よくご存じだったんです。
慧眼だったし天才だったから。
 
昨日、やっと冷静になって数えてみたら、半年近く、泣き暮らしていたんですね。びっくりしました。
 
別の大恩ある方が、「死は、しばしの暇(いとま)である。」と表現された物語があるそうです。
そのうち読みたいリストにもちろん入っていて、実は今日、その方の別の物語が家に届くんで、楽しみにしているんですけど。
 
私、それまで来世とかそういうの全然信じていなかったんです。
でもなんか、この切り出し方をしてくださって、素直に、死別を受け入れられるかなと思ったんですけれど、やはり惜別が本当に苦手な上、今回は続いてしまったので半年も泣き暮らしてしまいました。
 
恋愛のお別れのほうは全然ラクなんですけどね。
(別に恋愛上手アピールじゃないですよー)
 
だからやっと整理がつき始めたということで、
今日は、朝からタイトルの楽曲を聴いて、後で私がプレゼントの返礼に思うだろうメッセージは、
天国のお二方はとっくに予測がついているでしょうが(笑)、
その言葉で本日の日曜版を締めくくろうと思います。
 
 
 
” きっと また めぐり逢う Someday "
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 20240407 15:00 誤字と文章を補足しました。