もうなんに載っていた文章だったか忘れてしまったんで、私の記憶でかなり変わってしまっているかもしれないんですけど。
何年も前に、人生の中で、そんなに何かしようとしなくてもいい、という文章を読んで、すごく反発したのを覚えています。
いま考えると、いまから私が書こうとしていることをその文章でも言っていたんだと思うんですが、当時は、自分のことを、取るに足らない存在だから、おとなしくしてろ、と言われた気がして、そんなすごい才能はなくても、自分なりに何かしたいんだよ、と、怒っていたのを覚えています。
そうではなくて、多分、そんなに成長しようとしなくてもいい、ということを言っていたんじゃないかと思うんですよね。
解釈って、その時々によって変わるから、いまの私はそうとらえるようになったというのが、1番正確な言い方です。
私は下手くそながら、植物を育てていまして。
8年選手と、もういつだったか覚えていない、きっともっと長く育ててるだろう植木があります。
で、その植木達を眺めていて、この頃、よく、そんなに成長しようとしなくてもいいんじゃないか、と思うんです。
成長期っていうのは確かにどこかにあって、その時期は無我夢中でやっていって、ふりかえると、ああ、あの時が成長期だったんだな、というのはあります。
この先もそういう時があるのかな?と、時々考えるんですが、それはよくわかりません。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
ただ、成長という言葉を最近、目にすることが多いんですね。
で、その度に、そんなに成長しなきゃいけないのかな、とよく思うんです。
それは私が、維持することの難しさに、いま直面しているからだと思います。
成長したと言っている人たちが、何か間違ってるとか、その言い方はどうなのよ、という話じゃありません。
そういう伸び代がある時に、すごくすごく頑張って結果を出したんだろうなと、すごいことだと思っています。
結果を出すって、並大抵の努力ではできないですから。
でも、成長する時期ばっかりでは、当たり前に、ないんですよね。
その時期が過ぎても、何か、成長しよう、成長しなきゃ、と、慌ててる気持ちがあるとすれば、私は、いやいや、維持するときもあるから、そんなに成長という言葉に振り回されなくてもいいですよ、と、成長しようとやっきにならなくてもいいですよ、と、先に出した文章と似た感じのことを思うようになりました。
ここからは私の解釈になるんですが。
成長期というものが過ぎたら、維持期という時期に入るんですよ、きっとね。
で、その時期って、養分をどんどんどんどん備蓄していってる時期なんです。
そういう蓄え(たくわえ)の時期だから、はたから見ると、特に変化がないように見えるし、実感として、これだけ前に進めた、これだけ高く伸びたということがないから、わりと本人は焦るんです。
でも、小さくアップデートは繰り返していて、植物に例えるなら、よく見ると、ちゃんと芽吹いたり、あれ?と思って、刈り込みをしてスッキリしたり、そういうことを意識する、しないに関わらず、すごく細かく繰り返していて、その動きが、前やった時より、どんどん洗練されていってるから、特に表立って変化がないように思うんじゃないでしょうか。
そういう時期って、成長期の後に必ず用意されているような気がするんですよね。
だから、それは停滞じゃなくて、維持期、むしろ「磨きこむ期」に入っているんだと、私は思います。
研磨(けんま)することって、ものすごく難しい鍛錬(たんれん)ですけど、それができるだけの力が、何回かの成長期によって、知らず知らずのうちに備わったのかな?と思うようにして、毎日、おずおずと繰り返しています。
同じ方、もしいらっしゃったら、お互い、ゆっくり、じっくり、やっていきましょう。
以上、それは磨きこむ時期のことなのでは?という話でした。
寒い日が続きますが、あったかくして、日曜日をお過ごしくださいね。
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