休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2024/03/24

お彼岸の庭・泣きたいときには大いに泣く。

 

ビオラ グラーデーションが出てきました。

 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
3月に入り、ベランダにある、素敵な名前を持つ小さな庭がなんだか活気づいて来ました。
 
私のコンディションが少しだけ落ち着いている時間が増え始めたので、なるたけ1日に1回は庭に出て、午後や早い夕方の時間を過ごしています。
 
でも実は全体的にはコンディションがなかなか安定せず、なんだか毎日涙を流しています。
それにお彼岸ということもあって、いつもよりさらにセンチメンタルになっています。
 
どうしてそこまで関わりのない方々(現実に)相手に、思い入れを強く持ってしまうのかというと、多分私は、彼岸に渡られた恩人というものを今まで持ったことが無かったからなんだと思うんです。
 
この間、教わったことなんですが。
とても後悔していて、申し訳なく思っていることで、現在ではどうにもできない場合、謝りたい気持ちを持ち続けているのは、 過去にお詫びに伺いたがっている、ということとして切り出されます。
 
そして、仮に過去にお詫びに伺うとしますよね。(細かいことは置いておいて)
 
でもそれって相手はどこにも居ないんだそうです。
いつ行っても、過去の相手はどこかに出かけている。
いつ行ってもです。
留守では無く、「相手は、いつもどこかに出かけている」ん
ですって。
 
「過去に詫びに行けたとして。
 自分が、過去にいる相手の所にいつ行っても、相手はいつもどこかに出かけている。」

なぜなんでしょう?
それは、現在から自分が過去に行くことが、現在から過去に出かけているように、過去のその人の元に行っても、その人は常にその人の現在にいるからです。
過去を基準にして考えると、「いつも現在に出かけている状態」なんですね。

お墓に伺っても、それはある意味、そこにあるのはその人の「現在」ではない。
 
当たり前といえば当たり前なんですけれど、過去に謝罪には伺えないし、過去に感謝しに伺えないんですって。
 
それはそうですよね。
当たり前のことなんですけれど、反省し続けてもその人に会うことはできないんですよね。
だから、私は教えていただいた言葉、
「(それ以上)反省しなくても良いから、一生恩に着なさい」という親切をとてもありがたく、胸に抱えさせていただいています。
 
 
ピンクのチューリップが綻んでいます。

何かで読んだわけでは無く、ある意味、お声をかけていただいて知った言葉なんですけれど。
きっとあまりに私がしょぼくれていて、見かねてのことだったんだと思います。
 
よく考えれば、この頃、食事を摂るのが煩わしくて、なんだか痩せるというよりけっこうやつれているので、少しでも元気出そうかな、とは思っていたんですけれど。
 
でもなんだか、無理に元気なふりをするより、部屋の中で思い切り泣いた方がいいや、と考えを切り替えて、変な話ですけれど、泣くに任せています。
 
 
アルバコエルレアオクラータが開花しました。
 
辛いときや落ち込んでいるとき、あまりに1人きりで落ち込みすぎてはいけないけれど、私はわりかし1人でひっそり悲しんでいたいタイプです。 
 
寂しいことや悲しいことって、過ぎると危険ですが、私は人にそういった感情を預けるよりは、1人でしっかり受け止めていたいんです。
 
昔、小説で読んだんですけれど、こういう状態の時ってなにかと不思議なことが起こったり、不可思議な体験があったりするんだそうです。

実は今年は、春のお彼岸に入ってから、私にもそういうことが頻発しているんですが、どれもきちんと礼を尽くして自分に従って対応しています。
 
きっと何年も経った後、あのときの時間は、弱っていたから、なんだか妙に都合のいいことが起こっていたんだな、とわかると、小説で読んで、そういうもんだと、もう知っているので、きちん、きちん、と対応して、窓を開けて換気したり、お香を焚いたり、神棚を掃除したり、そうやってひっそり1つずつやっていっています。
 
 
木香薔薇(白)の苗木
 
昔は、悲しいことを隠して明るいものばかり書いているつもりだったんですけれど、今回はもう元気なフリはやめようと思いました。
 
今更、心配かける相手もいないし、私の性分をご存じの方はご存じの方で、「ああ、きっとそういう風にするんだろうな」とそっとしておいて下さると分かっていますので。
 
時々、声をあげて泣いてしまう時がありますが(部屋で1人の時間に)、なんだ。いま自分は思い切り泣きたかったんだな、とわかって、むしろ良かったです。
 
なんだかずっと緊張して過ごしていたので、自分の悲しさをちゃんと悲しもうと思いました。
 
 
羽衣ジャスミンのつぼみ
 
さっきからしれっと、それは、つる性の植物では? というものの苗木が写っていますが(笑)
 
そうなんです。
つるを這わすのは、今年の秋冬前になりそうですけれど、素敵な名前を持つ庭の空中にも花を育てようと思っています。
空間で庭を見てみると、案外、小さなスペースがあるんですよね。
そこを有効利用してみようと計画中です。
 
 
美しいピンクグラデーションのチューリップとビオラ
 
私、今まで、悲しいとかこういう所で言って、読んで下さる方にそんなことをお伝えして、心配かけたりするのって本当に嫌いで、ずっと元気なフリばかりしていたんです。
 
でも、悲しいなら悲しいと言ったほうが、きっとそっちのほうがいいんだろうな、と思いました。
泣いているなら、泣いています。と言って、どう悲しみと付き合っているのか、どう涙を流しているのか、ちゃんと書いた方が、変な心配をかけなくて済むのでは無いかと思いました。
 
思いつめるタイプの方や、おひとりでいま過ごされている方にはおすすめはしませんが、私はパートナーが居ますし、思いつめそうになったら、至芸で笑わせて下さる方をはじめ、なんだかもったいないことに、気にかけて下さる方々が居て下さいます。
 
なら、悲しみながら、変な話ですけど、生活をゆっくり静かに動かしつつ、悲しい時間を過ごしています、と。
泣いていますが、それは確かにそうなんだけど、それでもやっぱり、へーきなんですよ、と、お伝えした方が、なんだか私らしいと思いました。
 
日曜版としては異例の、悲しみについて、涙についての話でしたが。
 
悲しいことはそう怖がらなくても良いのだ、ということがなんとなく分かってきましたので、今日はこのような話にしました。
 
悲しくないのに悲しまなくても、全然、大丈夫ですので(笑)、
お彼岸あけの春の日をどうか、穏やかに、ゆっくり楽しんで下さいね。
 
そろそろ櫻です。
確か、コノハナノサクヤビメ木花之佐久夜毘売)という櫻の神様が日本におられますね。
とても見目麗しい姫神様だったようで、櫻のなかにそんな永続を重ねてみるのも良いかもしれません。
 
ウィキペディア コノハナノサクヤビメ 
 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごして下さい。
 
 
来年の春のお彼岸は、おはぎとちらし寿司を作ろうかななんて思います。
「いらねーよバカ!」と、さっそく天国から2トラックで言われそうですが(笑)
 
 
20240324 13:29 文章を補填し、いくつか直しました。