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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/03/20

春一番とクレマチスがよくわからない、良い魔法

 

クレマチス ピンク・パッションの新芽

 
クレマチスも無事、冬越えができました。
 
・・・、クレマチスも育てています。←(笑)
 
写真は、風があってピントがうまく取れず、処理で誤魔化しています。
これは悪い例です。撮り直すのが一番の良策です。 
 
薔薇はけっこうがんばって情報をアップデートし続け、どうにかこうにかビギナー2年目なんですけれど。
 
私は正直、 
クレマチスというものが、
よく分かりません(笑) 
 
何回読んでも、頭に入ってこないんですよ。(興味が無いのでは?)
いや、あるんですよ。ちゃんと、興味はあります。
ただ、クレマチス界の大まかな体系って、なんだか全然馴染みが無くて、繰り返し読んで、そのときは一応、頭に入っているみたいなんですが、すぐわからなくなるんです。
(それは理解をしていないということ)
 
で、もう全体を把握しようとするのを止めて、とにかく我が家のクレマチスに集中しようと思いまして、
とりあえず私の小さな庭にあるのは、新旧両枝咲きのクレマチスである、と認識して、後はあまり考えないようにしようと思います。
 
馴染みの無い方は、し・新旧両枝咲き? と戸惑われると思いますが。
私もずっと戸惑っています!(笑)
 
枝は一本なんですよ。蔓ですけれど。
で、新旧で両枝なので、よくわかんない両枝は置いておいて、たぶん古い、前回伸びた蔓からも花が咲くタイプ、なんだろうと、思うことにしました。←勝手
 
新と旧???
前に花が咲いた茎や蔓からは、花は咲かないものなんですか?
とさらに混乱されると思いますが。
そういう種類の薔薇もあります。←クレマチスの話をしていたのでは?
 
ね? わからないでしょう?
よくわからないんですよ。クレマチスって。
 
しかもですね、花が終わったら剪定するのが、わりかし植物ではお馴染みなんですけれど。
クレマチスは、いくつか体系の中の種類によって、
剪定する場所が違うそうなんです。
 
ね? わからないでしょう?(2回目)
で、ですねー、もうよく分からないから、
とにかくウチのクレマチスってピンク・パッションって名前だから、
「ピンク・パッションは、どこでもピンク・パッションの気分次第で、好きな場所に花をつけるものである。」
で、それ以上考えるのを止めて、もう全体を理解しようとするのを止めようと思います。
(そんなに理解が追いつかないのに、なぜ育てようと思ったのか)
 
いや、クレマチスが欲しかったんですよ。
けっこう長い間、クレマチスを育ててみたい、と思いながら生きていて(壮大)、あれこれ植木を購入している時に、
そうだ、クレマチス育てよう。
と気がついて、ひとつ購入したのが、ピンク・パッションです。

櫻色だし、なんかダリアにも似ているし、春から秋にずっと花をつけるらしいし、ウチのベランダに蝶を呼んでくれるので、遠巻きに首を傾げながら、おそるおそる雑に育てています。(細かく育てようにもやり方がわからないので、結局雑な育て方に・・・)


クレマチスって私にはとても神秘的に見えるんです。
なんだか、どこか妖しさを秘めていて、とても洗練された魅力があります。
植物ってどれもちょっと怖い面があるように私は思っていて、それが美しく形を持った存在として、クレマチスはそこの一番打者のように感じるんですね。
 
たくさん種類があって、なんだかすごく通好みの形のものもあるようで、正直、これがベランダに咲いていたら怖いな・・・、というデザイン(と言ってもいいと思います)のものもたくさんあります。
 
薔薇もそうで、私は、実は赤い、よくお馴染みの、先の尖った薔薇で大輪のものは、なんだかよく見るとその中に顔がついているように思えて、怖いんですね。
(アンタの想像のほうが怖いよ!)
 
背中を向けてるとうっかり喰われそうと思えたり。(それ、なんてリトルショップインホラーズ?) 

大きすぎるのが原因だと思うんです。
・・・、育てている方ごめんなさい。(いま気がつきました)
 
多分ですね、私の中に花の大きさに対する先入感があるんだと思うんです。固定観念ともいえます。
 
それ以上、大きいと、意識では、これも花で、ダイナミックで、とても美しいと分かっているんですけれど、なんかもう知能を持っているように見えてしまうんです。
どこか、植物って肉感的だからではないでしょうか?
 
・・・フォローじゃないですよ?(そう書くから、フォローじゃなくなるのでは?)←そもそもフォローになっていないような。

なので、逆に、小さめの花が怖いかたもおられると思うんですよね。
 
慣れの問題かもしれません。(きっとそう)
 
今日、私の住む街では、春一番が吹いているようです。
天気アプリのマークばかりで、詳細を読んでいないので、二番とか三番かもしれませんが。
春の風が吹くと、語感で、私は「西の魔女が死んだ」という本のタイトルを思い出します。
 
名作と名高いこの本はまだ未読です。
本屋さんにいる体(てい)での予感で、これはもっと後になって私は読んだ方がいいと決めている本です。
タイトルだけでずっと、このような物語なんだろうな、と色々想像しているんですけれど。(本買えない人あるある)

きっと西の魔女はいわゆる良い魔女で、よくイメージされている大鍋をぐつぐつ煮込んでいるのではなくて、不可思議と不思議の現実を、きちんと暮らしているのではないだろうか。と私は期待に胸を大きく膨らませています。

この頃、やっとお名前がわかったんですけれど。
ターシャ・テューダーさんという、絵本作家で素晴らしいガーデナーさんがおられたんですね。
 
随分前にテレビでその暮らしの断片を見かけたとき(CM?)、この方は良い魔女なんだな、と贈り物のような、暮らしを生きるその偉大な姿に、大好きになってしまったことがあります。
 
魔女というと、私の住んでいる東洋とは違って、世界ではよくないイメージの言葉のようですが。
勿論、この方を貶めているのでは当然なく、「良い魔法使い」、何らか、「とても大きく豊かなところからの報せ」のような感覚で、「白い魔女」「良い魔法使い」という暮らしの知性という印象をずっと持っています。
 
その後、色々な時間を経過して、私がベランダに小さな庭を作ろうと思ったのは、少しお見かけしただけのターシャ・テューダーさんの影響が、胸の内に沈み、静かな影響を発芽させたのかもしれません。
 
これは良い魔法、と言っていいと思いますし、私はどこかでそうだろうな、と信じています。
 
もしかしたら、良いもののうち、こういった静かで確かなものほど、浸透し、大きな影響を及ぼすには、とてもゆっくりな長い時間がかかるのかもしれません。 


 
このところ、不規則な状態の影響で、更新が、できるとき更新、やろうと思ったとき更新になっていましたが、また、意識的に無理せずに、お昼1時更新に戻そうと思います。
 
以上、 春一番とクレマチスがよくわからない、良い魔法、でした。
 
そろそろ列島でも櫻が開花し始めますね。
櫻の季節にいつも聴いたり、その年は聴く機会がなくても、ずっと心の中にある楽曲があります。
 
歌詞がとても好きです。
 
みなさんにとって、
丘の上で自分に手を振っている人はどなたですか?
 
私は昔、はじめてこの曲を聴いたとき、丘の上に居るのは、それは、誰でも無い誰かでした。
いまは、声に出しても出さなくても、どこに居ても、
また会おう、と言ってくださる方々です。

いつか会えるのだろうか、と、
もし心許なく思われているのであれば、
時間が掛かりすぎても、私でさえも巡り会えました。
 
だから、必ず会えます。 

まだ見ぬ約束は、確実に存在します。

 
きっと春一番の日に。
エナメル 20240320 12:53







20240320 21:31ターシャさんのお名前を誤表記しておりました。訂正してお詫び申し上げます。