休刊 キム・ソクジン



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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/03/03

THREE TIMES

 
 
J-HOPEさんには3度、驚かされている。
 
BTSというグループの光に気がついたとき、もうすでに彼らはワールドスターでコロナ期でも圧倒的な光を放っていた。
 
私は、当時療養中で、ネット情報に触れるのも工夫とパートナーに協力してもらわないといけない状態だったのだが、とにかく尋常な光ではないので、さっそくBTSを検索してYouTubeにたどり着いた。
 
詳細は覚えていないが、どうも彼がBTSの一員らしい、という動画を見つけた。
 
それはその時より年若い、私の言葉でいうなら、まだ男の子だったメンバーがホテルのスイートクラスの部屋から配信している、過去の動画だった。
なんとまあ、高級な男の子だろう。と、とてもびっくりした。
 
かねてより、私は自分の狭い現実で、高い男の子、高い女の子、という言葉を、上等で上質な人やピカピカの人、リッチが似合っていて洗練されている人に向かって、よく使っていた。
もちろん当人に向かって言ったりはしない。
ただ自分の好意的な判断の最終段階に、その言葉があった。
 
ちなみに日本には、「お高くとまりやがって」というよくない言葉がある。
育ちの良さを鼻にかけた、という意味でもあるし、上品ぶって私はあなた達とは違うのよ、と言葉や態度で自慢しひけらかすやり方を攻撃する言葉だ。
 
だが、おわかりのように私が使っていた、高い男の子、高い女の子、はその意味をまったく持たない。
 
今考えると、むしろその良くない言葉を逆手にとり、肯定的に自分の狭い範囲で使うことで、自分がもののわかった人間であると思いたかったのかもしれない。
 
動画の中で、彼はとにかく圧倒的に高い男の子だった。
 
顔かたちや着ているものも美しく、振る舞いは多少ぎこちなかったが、そのどれもがちっとも無理をしていない、自然な高級さ、洗練さを持っており、おそらくは生まれながらではなく、あとで身につけたのだろう賢さが漂っている、久しぶりに見た、とんでもなく高い男の子だった。
 
彼は、愛するファンに向かって、慣れぬ手つきでフルボトルのコルクを開けようとし、少し失敗してコルクのカスがワインの中に落ちてしまっていたのを、薄く徹底的に造形されたワイングラスで飲んで、失敗、と顔をしかめた。
 
これがKスターか、とも思ったし、これがワールドスターか、とも思ったし、これがBTSか、とも思ったが、私がとにかく驚いたのは、彼が、そのとき宿泊していたスイートクラスの部屋よりも高級で上質なことだった。
 
その若さでは、通常ありえないことだったからだ。
 
随分、賢いのだろうな、と思った。
若くして成功し、生臭さを持たずに居るというのは、おそらく彼の日常は訓練がメインで、武術家のような生活なのだろう、と思った。
 
だから維持できるのだろう、と思った。
 
彼に興味があった。
なので彼の動画を探した。だがあまりARMYさん達が有志で翻訳した彼の動画がなかった。
 
やがて、ホテルでの動画配信の後、数年経過した動画を見つけ視聴した。
 
そこで、少し大人になり、迫力が増し、高級さがより洗練され貫禄といってもいい雰囲気をまとった彼が、今度はおそらく当時の高級共同宿舎での一室で、愛するARMYさんに向かって配信している動画だった。
 
彼は、「悪いけど、僕はいま、一人の人の愛と信頼を得たいと思っている。」とはっきり言った。
 
胸のど真ん中だった。
 
いいな。と思った。
 
ああいう商売では、言わなくてもいいことは言わなくともいい。
必要のないことで、正直である必要など、まったくない。
 
ビジネスだからというより、自分が一体、なんの商売をしているか、という理解の問題だと私は考えている。
どういったファンダムと支え合い、何を共有し、なにをもって先に進むのか、考え続けていないと沈む稼業だという理解を私はしている。
 
彼は、その時、判断したのだ。
自分で決めて、自分はこれを言うと決めた。
 
決めたらはっきりと言う。
私は、そういう人が好きだ。
 
男だろうと女だろうといかなる性であろうと、自分のルールの中に、自分のチームという家族があり、自分がどこに居て、なにをやっていて、一体、誰に向かって配信しているのか。
 
わかった上で、自分のルールに従い、言う判断をした彼に、私はしびれた。
彼に2度びっくりさせられた瞬間だった。
 
堂々と自分で選んでのける、やわらかな、当時は虫が苦手だった、そういった頼りなさや都会的な繊細さをまとう人物の、その芯にある強靱な賢さに圧倒された。
 
もっと彼のことを知りたかったのだが、それ以上は、あまり動画がなかった。
 
仕方がないので、耳に残った楽曲を配信でセレクトし、購入しても私にとって捨てアルバムでないものを2.3聴きながら、異様に好きな楽曲に気づき、どうして好きなのかも分からず、ひたすらそれを聴いていた。
 
やがて、その楽曲を創ったのが彼だと知った時、私は3度目の驚きの中にいた。
 
聞けば、音楽は独学だという。それで本来の自分のスタイルとは違う、当時流行していた楽曲でここまでのものを創れるものだろうか。と思った。
 
私は、彼に興味がある。
毎日、彼の情報を集める興味ではなく、彼の存在に興味がある。
 
いま、彼は軍務につき、仲の良いメンバーの話では、物腰も立ち振る舞いも男性らしく、たくましくなっているそうだ。
それは環境もあるだろうが、私は、彼は、そういう自分をもう出しても良い、と判断したのだろうと思っている。
 
そういった芯にあるしなやかな強靱さ、使命というものを自分に課す、そんな厳しさをいつも彼から感じる。
 
私は、彼とは考えも価値観も、違うところがたくさんあるようだが、彼を非常にリスペクトしている。
天文学的な可能性を排除し、現実でうまくいくとすれば、その先に熱い友情が生まれる可能性がある、そんなリスペクトだ。
 
私が知っている限り、ファンになるなり方としては、特に間違ってはいない。
 
 
 
蛇足として余談を付け加える。
 
最近の言葉では二推しを持つということをするのは、ひとつのグループでというなら、私はおそらく初めてだろう。
そうだから、そうだ、と、この4年弱の間書いてきたが、今思うと、二人には共通点がある。
 
それは、最初に、仕事上ではあっても強い結びつきを持つ自分のホームグラウンドから、必要がないとジャッジされた経験を持つ、ということだ。
 
そのことに気がついたとき、私は自分の眼は間違っていなかったと久しぶりに爽快な気分になった。
 
赤信号を渡ろうが渡るまいが、端正な生き方をしようがどうしようが、正直、私にはどうでもいい。
 
執念、ただひとつ、を仕事という結果に結びつけた二人が、これからどのような仕事をし、どういう生き方を選んでいくのかを、
 
この先も幾度となく眼にするだろうという確信がある、
永遠とも思える滞空時間の後、
ボールをゴールに押し込む瞬間を見て、
歓声をあげたいだけだ。
 
 
私はファンだ。
いつか時間が来たら、ここを去る。
 
仮に去った後でも、きっとそのニュースを耳にすれば、夕方、喧噪の街の中、コンビニで好きな酒を買ってきて一杯やるだろう。
 
悪いが、このやり方に、愛はいらない。