今日はみなさん、大変レアなものをご覧になっています。
この日曜日は、なぜか日曜版が二つ存在しているという、なんらかのバグではないか?と思われたかもしれませんが、内容が違いますので(笑)、大丈夫です。←?
この頃は、気持ちの上で少しずつ、本来の自分の感じにだいぶ近づいていっています。
それで、元々私はそうだったんですけれども、身の回りの小さな安価なものの範囲で、本当に自分が気に入ったもの、好きだと心から思うものを購入するようになりました。
節約生活なのは相変わらずなんですけれど、SHEIN と Temu、ニトリ、アマゾン、ダイソーオンラインという力強い味方が2024年の日本には存在していますので、そちらであれこれ購入しています。
色々考え方があると思うんですけれど。
私は、好きで気に入っている考え方は、それは高価であるか安価であるかというのは二の次だ、という考え方です。
心のどこかで無理をしているのかな?と思わないことも無かったので、しばらくそんな自分を30年くらいじっと見ていたんですけれど。
もともと品(しな)が良い、ということが、品質の良さ、グッドデザインでお洒落を差すのなら、どうしてそこに気に入っているもの。
I Love Itが含まれていないのか、と個人で不思議に思っていたんですね。
私の趣味が悪いのかな、とか思ったんですが、そこに存在している、他の人のある種類に非常に偏った視線にも説得力があるもの、という項目に、私はすごく窮屈なものを感じていたんです。
それは私が、同じであることがほとんど無い人間に生まれついているのもあるし、高いものは良いものなのは当たり前である、という考えを持っているからなんです。
真正面から、一切の妥協なしに自分の胸をとらえて離さないもの、それが私にとって良い品物なんです。
勿論、シャネルやディオールへの憧れ、イヴ・サンローランへの敬意と素敵さへのため息は持ち合わせているつもりなんですが。
だったら貯金して買えばいいし、そうでなくとも気に入ったものがあるのなら、躊躇せず買えばいいという考え方なんです。
私は、SHEIN をこちらで紹介したとき、取り扱っているものが安いことだけで、持ってると格好が悪い、と思う人も居るところには居るだろうなと思いました。
でも、いくつか調べたときに、SHEINは安いという感覚はあっても、SHEINはお洒落ではない、という感覚は無かったんです。
同じように、つい最近では私はTemuデビューを果たしたんですが、欲しかったアクセサリーは、高いものが欲しいのでも、安くていいやというものでもなく、好きなものが欲しかったんです。
気に入ったものが欲しかったんです。
普通すぎて、あまりいま市場に出回っていないデザインのもの、
こういうのあったらいいな、という組み合わせ、
もう少し繊細で古くさい、アンティークなもの、
そういう、ロンドンののみの市でお買い物をしたり、
フランスの横道に入ったところにあるアンティークショップをのぞいたり、
ニューヨークの街角に映画のように現れる、誰も知らない素敵な小さなお店でしか扱われない、いつか夢の中のコーヒーテーブルのすみに、アクセサリープレートの上にそっと置かれていた指輪。
そういうものが欲しかったんです。
それは世界中のマーケットを訪ね歩かなければ叶わないものです。
でも、それをインターネット通販が可能にし、安価であるというだけで誰も見向きもしない、そういうアクセサリーを集めて売ってみよう、というアイデアから、おそらくは始まったのだろうマーケットが、私がやってみたかったことをあっさりと叶えてしまったんです。
また、こういうものは他の人達はどうしているんだろう? そういえばマウスパッドっていまどんなデザインが出回っているんだろう?
と量販店に行くと、自分の持っている繊細さと先天的な特性の為に、どうしても途中で店を出ないとならない私のようなものに、現在、手に入る範囲のもので何が求められているか、という問いに、あっさりと答えてみせているのが、SHEINやTemuです。
あの人、SHEIN持ってるって言う人、本当にいますか?
仮にそんな野暮な人がいるとして。
どうしてそれが目に飛び込んできたんですか?
お洒落だからでしょう?
素敵だからでしょう?
それ、良いね。どこの? と訊こうかどうしようか迷ったからでしょう?
ユニクロが出てきたときもそうでした。
私は、ユニクロの服が好きで、そして安くてたくさんお洒落な服が買えるのが嬉しかった。本当に嬉しかった。
だから若者だったとき、青年だったときも、私はユニクロを着て居ました。
そうしたらある日、職場で仕事も出来ない、嫌な奴が個人識別の特徴なだけのおじさんが、「君、ユニクロ履いてるの?」と嘲笑ったことがありました。
「ええ、いいでしょう? この靴下」と言う私を彼は鼻で笑って去って行きました。
なので、私は、それから毎日ユニクロを着ていってやりました。
そして私が着ているTシャツを見て、たくさんの、地方だけどお洒落だと自他共に仕事の世界で信じられている人達が、どうしてもわからないから悔しそうにこう言いました。
「そのTシャツどこの?」
「ユニクロです」
皆、黙り込みました。
それでも私は商店街の店頭の服とユニクロを組み合わせて着ていき続けました。
そうしたら、お洒落である。ハイセンスである。ということが仕事に強く求められる人達が皆、私にこう言いました。
「スタイリストをやってみないか?」
そう言われたのは1度や2度ではないですし、全員別のトップの人達からです。
私はご存じのようにお洒落でもハイセンスでもありません。
いまやインターネットは世界標準であり、当たり前に日本では東京が一番お洒落な街です。
だから私はこのエピソードをずっと隠してきました。
こんなレベルでは、恥ずかしいからです。
けれど、たとえ身近にちょっとだけそういうのが好きな奴がいるから、簡単に出来るからという理由だけで、勧められてたとしても、ユニクロを着続けていた私が出した、当時の、まごうことなき結果です。
好きなものを買って着ることが導き出した、当時の市場のリアルな解です。
私は、大昔書いていた物語の中で、登場人物達のモデルとなった人達がそんな価値観を持っているのではなく、当時のリアルな現実を写し取る為に、ユニクロを登場させたことがあります。
そして物語の都合上、一人の女の子を大切に思う気持ちを表現させるためだけに、ユニクロで良いじゃないか、というユニクロを認めない人達に対するアンサーとして、高いものが良い、良い服を着るべきだというポリシーを持っている設定の登場人物に、本人が好きで、一番、似合う服が結局は良いのだ、という展開をこれでもかと書いていました。
私の筆のあまりの力量のなさに、なんだか随分大きな誤解があったようですが。
良い機会なので、説明させていただきました。
私は、ババアになりました。
なので、もう言ってもいいでしょう。
シャネルに憧れる気持ちを持つ人々の好みを、
お洒落なものをただ着たいだけの人々の判断を、
なので、もう言ってもいいでしょう。
シャネルに憧れる気持ちを持つ人々の好みを、
お洒落なものをただ着たいだけの人々の判断を、
好きなものを着る毎日を謳歌しているだけのみんなの選択を、
こちらにはなんの関係もない市場原理と古くさいハイセンス固定観念だけでジャッジして嘲笑うのは、いい加減にしていただきたい。
こちらにはなんの関係もない市場原理と古くさいハイセンス固定観念だけでジャッジして嘲笑うのは、いい加減にしていただきたい。
そういうセンスこそ、日本語で「クソバカダサい」って言うんです。
堂々としていましょう。
堂々と着ていましょう。
堂々と自分を飾りましょう。
好きなものを身につけ、お洒落だなと思うものを買える自分の選択と、判断のセンスを誇りに思いましょう。
シャネルとディオールを買うための貯金、サンローランの香水を狙う具体的な計画を、好きな服を着て楽しむ気持ち、お洒落をする自分の工夫を、
好きなものを身につけ、お洒落だなと思うものを買える自分の選択と、判断のセンスを誇りに思いましょう。
シャネルとディオールを買うための貯金、サンローランの香水を狙う具体的な計画を、好きな服を着て楽しむ気持ち、お洒落をする自分の工夫を、
いつまで経っても理解できない人なんか、もう置いていきましょう。
春です。
気持ちが華やいでいるのなら、好きなものを、自分が良いと思うものを探しに、街やネットショッピングを覗いてみてはいかがでしょう?
私は、ちょっと買いすぎたので(笑)、自分のためだけに初めてバラの花を購入してみようと、計画を立てる予定です。
それでは、素敵で、レアな(笑)、日曜日をお過ごし下さい。
気持ちが華やいでいるのなら、好きなものを、自分が良いと思うものを探しに、街やネットショッピングを覗いてみてはいかがでしょう?
私は、ちょっと買いすぎたので(笑)、自分のためだけに初めてバラの花を購入してみようと、計画を立てる予定です。
それでは、素敵で、レアな(笑)、日曜日をお過ごし下さい。