日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
本日は珍しく、ショートムービーの体(てい)で書きます。
どうか読んで下さる皆さんの想像力を、その”見立て”で動かしてみて下さい。
近所の花屋さんで、珍しい百合を見つけたので購入しました。
八重咲きの百合で、オリエンタルリリー・アイシャというそうです。
アイシャだけで検索するとアラビア語で「生きる」「生きている人」「(幸せで安寧な)長生きする人」 という意味だそうです。
ピクシブ百科事典より
オリエンタルリリー自体の花言葉は、百合と同じで[
威厳」「純血」「無垢」「高貴」。
彩季舎より
以前、オリエンタルリリーの一種が「お化け百合」と形容されていて 、酷いな・・・、と苦笑していたのですが、きちんと調べると、とても祝福に満ちた花言葉を持つ八重咲きなので、買って良かったと気持ちが膨らみました。
オレンジ色の花はピンクッションというそうで、その名の通り、針刺し(針山)なんだそうです。
花言葉はこちらもおめでたく、「どこでも成功を」
「共栄」「陽気」「ふりそそぐ愛」とのこと。
Pure flowerより
こういった感じの、一見オブジェのように見える花をワイルドフラワーと呼ぶとも、上記リンク先様に書いてあります。
百合というと私は聖母マリアを連想します。
でも実は夏が盛りなんですよね。
何回聞いても冬の花のような気がするので、夏が来るたび百合が安く流通しているのを見かけては、ちょっとだけ違和感を覚えます。
百合って薔薇の次によく使う花の名前なんですが、この不可思議な違和感こそが、百合の醍醐味のように私には思えます。
違和感というと少し緊張してしまうんですけど、きっとこの字面が実際に体感する「異質」とジャストサイズだからなんですよね。
イメージだけで書きますが。
百合の中でも特に白い百合は、キリスト教での天国に咲いているのが一番しっくりきます。
きっと純粋が祝福と契約して純潔となり、天を覆い尽くす満開となっている。
白い花が地上に降り注ぎ、降り積もり、真夏に違和感が咲いているのではないでしょうか。
そう考えると、私個人にとって違和感だらけの真夏、地上に降り立った聖なる違和感が、肌を灼く違和感を「ましろ」に相殺してくれるのだ。と、少しホッとします。
本当は冬に咲くべき白い花は、なぜ真夏に開くのかな? と、とりとめのない想像を進ませると、きっと街中の空気中に蔓延するささやかな違和感が、白い百合の形で世界にスタンプされているから。
そして、その美しく純粋を約束した違和感が咲いた花は、実は天から降りこぼれたものが、変異しながら落下する途中なのだ。
なんてことを考えるとですね、違和感を覚えても、あまり緊張せずに済みます。
白く、先端が外側にカールした百合が、最初に胸に飛び込んでくるのですから。
自分が違和感を覚えても、誰かがこちらに違和感を見い出しても、それはすべて、降ってくる途中の、澄み切った美しい白い純潔だったのだ、とそっと心の中で人知れず確かめると、違和感というのは、なんらかHSPと静かさが好きな方達にだけ赦された、純粋を約束したものがこの世界に転生した象(かたち)とも言い換えられます。
私は、もういい歳なんですが。
とにかく変わっている、お前は変わっていると、言葉や沈黙や空気でずっと指摘され続けた日々でした。
最近では、ここまで来たらもうなんだっていいし、変わっている、という定義自体、時代や街、所、価値観によって、いくらでも転がっていく、単なる一時的な見当でしかないのだから、この先、あと何回、変わっていると指さし確認されるんだろう、と無表情で受け入れることにしています。
あんまりしつこく変わっている、とイチイチ確認の為だけの便宜の言葉を使われたとき、よかったら、違和感というのは白い百合の象をしている。
花が降ってくると思う、と謳った詩人の心にあったのは、きっと白い花だったのだ。
と少しだけイメージを逃がしてみて下さい。
そうすれば、少し気分が良くなるのではないでしょうか?
百合は良い匂いもしますしね。
花屋さんは冷房が効きまくっていますので、一番小さな避暑地として覗いてみるのも残暑の街では打ってつけです。
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
大きな台風が近づいて来ています。
予報の地域の方は、備えをしっかりしてください。
私もベランダの鉢植え達を中に入れる準備をします。(夜に)
八木重吉詩集
「貧しき信徒」 花が降ってくると思う より