休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/08/18

普通で、清める。


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
清める。という言葉を見たとき、何を想像しますか?
 
「え、怖いな。なんだろう・・・?」
という気持ちに私はなります。
 
どうして怖いと思うのかという思うと、
清める→え、怖いな。なんだろう?→わからないことをなんとなくやらないと清められないのでは?→目に見えないものを清めないといけない→えーっとすいません。これからシャワー浴びるんで考えないことにします。
 
という、変な刷り込みがあるんです。
 
または掃除です。
これも嫌いです。
 
この二つの共通点は、うまくできない。得意ではない。
前者においては、なるべくならやりたくない。だってそういうことを勝手にやってもし間違っていたら、怖いから。
・・・もう考えなくていいですか?なんかすみません。(いや誰に?)
 
なんですよね。
 
先日、小豆を炊いてぜんざいを作ったり、漉し餡を作ったり(お盆を満喫したようですね)していて、普段の暮らしの中の範囲で起こっていることは、暮らしの範囲でなんとかなるのではないか? と思いました。
 
私は穀類を煮たりするのが好きでして、料理が出来る以前に、やっていて気持ちが鎮まるから、なんです。
 
暮らしの範囲とは、あたりまえの穏やかさの中に存在する、部屋、家でのことです。
 
そこからはみ出るものは、緊急の番号先へ要請するレベルの出来事、清める、でいうなら神社仏閣のプロを当てにします。
 
そこからはみ出ないものは、自分が暮らしていて、自分の裁量でだいたいなんとかしていくもの。のことです。
 
その中に、本格的なものではなく(みなさんが想像なさっているプロの手を借りるアレです)、普通の範囲、当たり前の範囲、どこかでなんとなくやっていることの範囲、が暮らしの範囲で起こっていることをなんとかできる基準なんだと思います。
 
清めると言われて怖いのが収まった後、
 
とにかく窓をあけて換気しようかな?
そういえばここ掃除しようかな?
このごろお菓子焼いてなかったな。
今日は久しぶりに煮物焼き魚で行こう。
 
と決めていくことが、おそらく、私達が感じているよりも、大正解の解を踏んでいるのではないかと思い、本日の話題にしました。
 
これは、環境を自分の手でできる範囲で一気に変えてしまう行為、という置き換え方が出来ます。
 
同じく、清め、という考えや感じていることを、行動や実行可能な範囲でやるとしたら、まず多くの方がなんとなく知っている「塩」と「酒」を思い浮かべると思います。
 
これは消毒効果があるんだよ? とか、これは実は化学反応がですね、ということは今日は並べません。
 
なぜかというと、なんとなくやっていること。なんとなく知っていること。なんとなくそういえば昔言われていたな。ということは、
経験則の積み重ねが発信している解答だからです。
 
それは、
 
これをやったらなんだかまあなんとかなった。こと。
ここは無理があって続けられなかったけど、これは続けやすかった。
お休みしても特に不安はならなかった。
再開しても前と同じ気分になった。
ちょっとだけ、コンディションが良くなる。
 
そういうことを、うっすら感じながら、まあ今日はカップ麺にしよう。とか、美味しいもの食べちゃおうかな? とか担々麺にしようとか(好物)、決めていくことを指します。
 
決めていけるから決めていいですし、決めたことでリスクを背負わなくてもいいから、普段の日常でなんとなくフォルダに入ってることを、なんとなくやっている。
 
それこそが、経験値からのアドバイスではないでしょうか。
 
少し怖い、と思うのは、たぶん、失敗したらどうしよう。と直結しています。
でも暮らしの範囲でのことは、だいたい自分のできる範囲でなんとかなるように、なってるハズなんです。
暮らしていけているから。
 
清め、で言うとまずは「塩」です。
よく耳にするのは、必要な方は普段携帯し、お清めの塩を購入して(Amazonにありますよ)、なんらかのいい影響を自分に与えるからそれを使っているそうです。
 
私は、そうなのかな、とは思うんですけれど、どこかでなんとなく「ウチの場合は、普段買っている塩でやれる範囲でやる」と決めているところがあります。
私が気にしているのは天日干しかどうかではなく、普段手に入リやすい、続けられる範囲の安価である、が基準なので、売っている塩を購入しています。
塩は天日干しかそれに準じた環境で作られた製品が市場に出回っているから、私は、その製造過程であるのならオッケー派です。
 
営業妨害にならないように添えますが。
売っている良い塩は、おそらく天日干しだけではないものが付加価値として付いているんです。 
それは、プロレベルの判断やセレクトである。と私は考えます。
 
「プロの判断が清めの塩の場合として売っている」ので、それを購入すれば、必要な人向けの安心が手に入りますよね。
 
日々の積み重ねが忙しくてあまり出来ていないから、いま時間取って豆煮たり(私です)、旬のもの取り寄せたり(私です)、なんか育てて肥料やったり(薔薇とかです)、気になったら玄関先ほうきで掃いて打ち水したり(年に1回くらい)、そういうの、今やれないんで! という方は、こっちだと思うんです。
 
私はですね。掃除、煮沸、水が気になるときは置き冷まし(沸騰させて冷ますアレです。レンチンもちろんオッケー)、あと塩(fromスーパー)が、私に合っている、普段なんとなくやっている清めです。
お香も焚いているかな。
 
それプラス、旬のものを食べているとやっぱりコンディションがいいんですよね。
体調もいいし、あんまりピリピリしなくなる。
 
旬のものって難しいし・・・、と思われるかもしれませんが、スーパーのあの斜めの台またはお洒落樽(たる)にガッサリ入っているにんじん、じゃがいも、たまねぎは、いっつも旬のものが売られています。
だから安いんですよ。
どこかしらのその地域で旬のじゃがいもが一番、流通が多くしていて、安く仕入れて(つまり「いつもの値段」)で売られ続けているんです。
いっつもあるけど旬なんです。
他には、その時々で安いものが旬です。
たまに旬にしか流通できないものは、まあまあのお値段です。
 
それをふっつーに食べているとやっぱり調子がいいんです。
 
私は、なんとなくそれをやっています。
きちんと説明しようとすると、経験値の積み重ねとか、漢字だらけの難しそうな見た目の文章になっていますが、そういうの食べてりゃオッケー、と確かに決定して、毎日ご飯食べているんです。
 
普段の暮らしの範囲って、できる範囲なんですよね。
できる範囲で、まあまあ成功体験があるから、できる範囲と判断されている。
 
そういう環境にはあまり縁が無くて・・・、と心配にならなくてもいいと思います。
言い換えると、それは暮らしの中でどこか懐かしいと感じる、一番ささやかなもの。
それこそが、以前からなんとなく知っていて、なんとなくやっていて、明るい気持ちが穏やかに続いくんだと、すでに1人1人が知っていること、だからです。
 
 
私はお盆が過ぎた途端、窓の外の明るさが9月の色になっていることでホッとして、身体の力が抜けました。
 
以前の愛読書「おうちで楽しむにほんの行事」 広田千悦子著を引っ張り出してきて、いまパソコン机の上に置いています。
休憩のたびにちょこちょこ開く読書の再開としては、なかなかいい指南書だと、自分の無意識セレクトに満足しています。
 
今日は、青山フラワーマーケットから定期便の花が届きました。
白くて華やかでお洒落な花が好きなのでそれを飾ったり、綺麗だなと思う心に従って気持ちを生けたりしたいと思います。
 
今日は、少し遅刻しました。 
お詫びはチョコレートパフェにしたいので、2回断ってから3回目に渋々、そんなに言うならいいけどさ・・・、と言って下さいね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。