休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/09/01

毒という名の香水


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
クリスチャン・ディオール 「Poison」


クリスチャン・ディオールの名香のひとつに「プワゾン」という香水があります。
これは「毒」という意味で、刺激的で扇情的でもある名前です。
この香水について2024年の現在、どのように捉えられているかを知りたい方は、以下のリンク先をご覧ください。
 
Wikipedia プワゾン(香水)
https://w.wiki/B4mK
 
最近、私は「プワゾン」を買い直しました。
20代前半の頃、私はどうしても「プワゾン」をつけてみたくて、パルファンではなくオード・トワレの「プワゾン」を購入しました。
でも結局、思うように上手につけることが出来ず、結局しまい込んだままにしてしまいました。
年月が経ち、この頃なぜかとみに「プワゾン」のことを思い出すことが多く、この年齢になれば上手につけられるかもしれないという期待もあって、この度「プワゾン」のパルファン購入に至ったワケです。
 
「プワゾン」という香水に対し、今の私なりに真正面から思考してみると、私は長い間、「プワゾン」について或る疑問を抱いていたことに気づきました。
それは、イヴ・サンローランの「オピウム」を意識して「プワゾン」は創られたのかもしれない。という少しだけ確かさに近寄った疑問でした。
調べると、本当に「オピウム」を対抗する商品として開発されたのが「プワゾン」だったんだそうです。
 
要GoogleChrome
Wikipedia オピウム(香水 )
https://w.wiki/B4UL
 
私は「オピウム」を普段使いしていた頃があって、割りと近年なんですけれど、素敵なアンティークの調度品という調った(ととのった)イメージを私に想起させるので、「オピウム」を普段使いしていました。
 
「オピウム」というのは「アヘン(阿片)」の意味です。
こちらも非常にセンセーショナルな名前ですし、個人的には香水というものの概念を覆し、革命を起こした名香だと思っています。
当時も商品開発段階で、そういった名前を使うのはどうか、とイヴ・サンローラン社内外で物議と動議を巻き起こしていたそうです。
ですが、イヴ・サンローラン自身の「オピウムか名前が無いかだ!」という断固とした姿勢で商品化され、現在もセンセーショナルな名を纏った香水として知られています。
ファッションの開拓者であるイヴ・サンローランらしいエピソードです。
 
香水とは、私は、総合芸術だと考えています。
 
ただの嗜好品なのに、と思われるかもしれませんが、手に触れるものから手に触れられないものまで、その全部を表現し得る、総合芸術でありながら非常にプライベートな嗜好品が、香水というものだと私は切り出しています。
 
状況、記憶、物質(マテリアル)、空間、音、光、時間、そういう全部を表現できるのが香水なので、複合芸術でありながら総合芸術でもある、とても広くて巨大な存在が、瓶に入れられて販売され、良い香りとして愛好されているんです。
全体像としては、最も巨大で最も小さいものです。
 
私が知っている範囲では、香水は精神を表現するもの、として存在していること多いようです。
「精神性が香りとして表現されている」と書くと、私の捉えている「香水とは何か」が伝わりやすいと思います。
香水は「精神の香りが象られているもの」です。
 
それが目に見え、手に触れられる液体と美しい瓶(または容器)で商品化されているのに、「目に見えない香り」が実際の正体です。
 
難解なのにシンプル過ぎて解きようもない哲学書のようですが、私が特に好きなのは、それでいて香水はとても個人的なものだという点です。
トンデモナイサイズのものが、日常に存在して、お洒落に使用できる。
そこがとても浪漫的でありダイナミックでもあり、非常に現実的な神秘なので、私は子供の頃から香水が好きなままなんでしょうね。
 
日本には香道という、今度は香りの持つ意味を広げ、十二単のように組み合わせによって、自身の大切にしている森羅万象のセレクトを相手に伝えたり、メッセージやその時々の季節を薫らせる「遊び」があります。
こちらも感性的かつ、香と紐付く意匠が示す言葉すらも自在に見えないものにしてしまう、莫大な世界観というものを手のひらの上から覗いて香る、典雅なものですよね。
時々、お寺さんなどで香道のレクチャーをやっていたりするので、興味がある方は体験してみてはいかがでしょう。
 
いま書いたような、香水へのそういう考えの取り組み方をすると、「プワゾン」という香水はどうして「毒」という名前なのか、をもっと自分なりに考えてみてもいいかな? と勇気をもらえます。
 
現実では、「オピウム」の向こうを張る圧倒的な名前を持つ香水を開発したかったクリスチャン・ディオール社が「毒」という名前を持つ香水を売り出し、大成功を収めた。
という情報です。
 
しかも、なんとこの香水は、アダムとイヴが楽園で蛇に誘惑されて手にした知恵の実である林檎をイメージし、毒としているんですって!
だから「プワゾン」パルファムの瓶は、林檎をイメージさせる形をしているのだとか。
 
私が大昔に購入したオードトワレの瓶はもっとなだらかな紡錘形だったんですが、こちらは知性が点るの、灯りの形に見えなくもないな、と今では思います。
買った当時は、あ、意外と都会的な形なんだな、と少し不思議な心持ちがしました。
「毒」というからには、もっと強烈なデザインの瓶なんだろうな、と思っていたので、拍子抜けしてホッとした感覚が今でも残っています。
 
どうしてその知恵の実である林檎を、毒としたのか。
 
諸説紛々或る中、白雪姫の食べた毒林檎の意味も持つ、ということもあり、直線的にセクシャルなイメージへの想起をこの名香に抱くのが妥当である、とい風潮が今もあるようです。
「毒婦」を気取ったりセクシーなイメージを逆手に取ったり、または危険そのものとして香らせている、と1時期信じられていたことも私が知っている範囲ではありました。
 
その価値観はそれとして、「プワゾン」は知的な風に香らせるべきだという決心が私にはあります。
 
わたくしのフランス語の先生が当時「プワゾン」を愛用しておられ、先生が通った後の残り香漂う廊下で、あ、フランス語のテストもうすぐだな、と思ったことを今でも強烈に記憶しています。
とてもエレガントで茶目っ気をお持ちの素敵な大人の女性でした。
特に言葉を交わしたり、お気に入りになれたことはなかったのですが、私はなんだか先生が好きで、先生も私を好ましく思っていてくださっていたことを当時から感じていました。
懐かしい、数少ない良い思い出です。
 
いま考えると、その影響もあって、
「違うのよ、プワゾンっていうのはね、そういう付け方をするもんじゃないのよ。もっと、もっと・・・こう、ね。なんて言ったらいいんだろう、これ・・・?」
という気持ちが私の底にあり、「プワゾン」を上手につけてこそ大人の女性、という飽くなき探求の原点となっていたんでしょうね。
 
アダムとイヴが楽園を追われる原因となったのが、知恵の実である林檎を食べて羞恥心やその他諸々を抱いてしまい、地上に降り立ったというエピソードがこの「プワゾン」の軸となる思考なら。
 
私は、この香水の正体は「知性」の香りだと思います。
あの林檎の味こそが「知る」を知った二人が楽園を追われる原因だったので、楽園からの視点では林檎は「毒」でもあります。
けれど二人は死ぬどころか、新たな探求を求めて世界を広げてしまい、知性をもって大いなる旅を始めてしまった。
もし本当に毒なら、なぜその林檎の木は楽園にあったのでしょうか?
蛇は本当に良くないものだったのでしょうか。
なぜ蛇はアダムとイヴに知性の存在を教え、自らの意思で食べることを選ばせたのでしょうか。
私には、そこまでがワンセットで楽園の機能のように思えます。
 
知性は毒にも薬にもなる、というエスプリをその名にダブルミーニングとして持ち、あれは良くないものだよ、と眉をひそめているフリをしながら、その実、甘い果実でもある、という官能性をも併せ持つ、非常に不思議で、不可思議で、調和しているのにいくらでも考え続けることができる騒ぎをも持っている。
 
この「毒」という名前の香水は、その実となる香りが持つとおり、確かに知性そのものの広がりを香らせていると、味わいながら思いを巡らせています。
 
きっと知性という態度を纏えるのでしょう。
 
 
まったく無関係なのに、延々と考え続けられることが身近にあるのは、日々をとても豊かに充実させるものだと私は思います。
香水について検索したり、アットコスメのレビューを見てあれこれ購入計画を立てたり、歴史の図表(で合ってますか?)の香合わせを見て、あ、この香り今でも使われてる!と感心するのも楽しいですよね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。