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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2023/11/17

Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第5夜 しあわせな男達へ ***

 
 Let's listen to Taeko Onuki, shall we?
<大貫妙子を聴こうじゃあないか>
*** 第5夜 しあわせな男達へ  ***
 
 
 
 
 
 
 
 
しあわせな男達へ / 大貫妙子(Taeko Onuki)
作詞:作曲 / 大貫妙子(Taeko Onuki)
編曲 / 清水信之(Nobuyuki Shimizu)

 
昨日に引き続き、アルバム「copine」収録曲となっております。
アルバム「copine」についての情報は、Wikipediaの「copine」をぜひご覧ください。
 
参照リンク
Wikipedia 「copine」 https://w.wiki/8Aej
 
アレンジャーの清水信之(Nobuyuki Shimizu)は、日本のポップシーンを主に編曲家として牽引している大変な方で、現在ジャズミュージシャンとして活躍している大江千里(Senri Oe)のポップミュージシャン期や飯島真里(Mari Iijima)や平松愛理(Hiramatsu Airi)そしてEPO(【epo】)の出世作「う、ふ、ふ、ふ」のアレンジなどが、シティ・ポップというジャンルを愛聴しておられる方にとってはわかりやすいキーワードではないでしょうか。
 
発音記号 参考リンク
GSET Academy 様
【音声付き】英語の発音記号一覧|英語の「音」に挑戦してみよう!
https://gset.co.jp/academy/pronunciation-symbol/
 
 
Wikipediaによると大貫妙子や山下達郎(Tatsurou Yamashita)と同期のミュージシャンで、編曲家へも進まれたそうです。
清水信之が編曲として携わっているミュージシャンは星の数ほどいるんですけれど、主に大貫妙子や山下達郎、坂本龍一が切り開いたミュージックシーンの後続世代達との関わりが深いようです。
詳しくはWikipedia 清水信之のページをご覧ください。
新しい日本のポップミュージシャンやシティ・ポップの楽曲の発見があるかもしれません。
個人的には、池田聡(Satoshi Ikeda)の「モノクローム・ヴィーナス」がおすすめです。
 
参照リンク
Wikipedia 清水信之(Shimizu Nobuyuki)
https://w.wiki/8Aej
 
 
「しあわせな男達へ」は、窓から床に落ちる六角形が連なる光を思わせる、美しいピアノの音から始まります。
その第1音から、非常に明るく、静かでくつろいだ視線がこの楽曲のテーマであることをリスナーに伝えてきます。
 
大貫妙子の楽曲の特徴として、歌詞の発音、言葉の持つ意味とメロディラインの調和や融合があげられると思うんですが。
この「しあわせな男達へ」もその大貫妙子のスダンダードなエッセンスを強く表現できている1曲ではないかと、個人的には考えています。
 
日本から新しく発信されているBento Waveの提唱者である、みのミュージックのみのさんが、歌詞は詩ではなく、歌詞である。という考えを動画内で示されたことがあります。
私もそれには、自分の誤った認識をあらためる良い機会となったのですが。
大貫妙子の愛聴者としては、大貫妙子の歌詞はメロディラインに乗った状態では歌詞ですが、文字単体としては詩である、という認識をしています。
 
余談ですが。
現在、みのミュージックチャンネルでは、松本隆(Takashi Matsumoto)が出演し、みのさんと「HAPPY END」や「風街ろまん」(こちらの表記は、最初は漢字とひらがなの「風街ろまん」でお願いします。後続としてカッコ内にKazemachi Romanと表記してください。個人的なこだわりです!)について、語っています。(20231117現在)
 
ぜひ、自動翻訳をお住まいの地域の言語に設定して、ご覧ください。
私も、時間を作ってソッコー視聴してきます!
私はただの視聴者です!(いいから落ち着けよ。)
 
参照リンク

YouTubeチャンネル みのミュージック 様
https://www.youtube.com/channel/UCDkAtIbVxd-1c_5vCohp2Ow
 
 
「しあわせな男達へ」の歌詞ですが。
文字表記された詩を読むと、いままで大貫妙子が取り扱ってきた情景、想い、時間の経過、シチュエーションとは、全く異なる世界観であることがわかる、と思います。
 
これは、大貫妙子の全worksの言葉をチェックしたわけではないので、私が勘違いをしていたら申し訳ないのですが。
おそらく、こういった俯瞰の世界観を大貫妙子が言語化し、詩に推敲し、メロディに乗せたことは「copine」以前にはなかったという認識です。
 
もちろん、「若き日の望楼(ぼうろう)」(明日やります)の後半でも試みられてはいるんですが。
 
完全に第三者、小説でいうなら、登場人物以外のことを話す、自己紹介していない透明人間なアイツ。の視点というのは、昨日触れた、大貫妙子の得意分野だといっていい、物語世界を楽曲内で再構築する視点以外では、これが初ではないでしょうか。
 
これは大切なことです。
これは大切なことです。(2回目)←(笑)
 
大貫妙子の歌詞世界と詩作という切り口で、登場人物の視点を考えた場合、大貫妙子は「若き日の望楼」で試みたシャンソンの手法を、運命の傍観者の視点を、その後も発展させていったと判断してもいいのではないでしょうか。
 
いいですか。
「ピーターラビットとわたし」では、詩のなかに「わたし」は出てきませんよね?
これを便宜上、傍観者の視点と定めます。

ですが、アルバム「copine」以前の大貫妙子の楽曲には、必ず登場人物に語り部の大貫妙子が憑依する視点があるはずなんです。
ですが、アルバム「copine」は、ファーストトラックの「タンタンの冒険」で、大貫妙子の得意分野であるといってもいい、当時、すでにお馴染みであった物語世界の再構築での傍観者の視点を披露し、「Siena」の詩では「あなた」と呼びかけてはいますが、完全に登場人物から離脱し始めるんです。
 
「OUT OF AFRICA」では、登場人物はいませんが、視点はあくまでも私なわけです。私の視点が詩のなかに登場しています。
そして視点は、私の解釈ですけれども、アフリカの情景のそばで様々な謳歌を描写しています。
 
「Jacques-Henri Lartigue」では、最後に本を閉じる人間として出演しています。
ですが、ここではこの手の持ち主が誰なのかは限定されていません。
けれど、歌詞を聴き、この描写の人称がおそらくは大貫妙子の視線である、とリスナーがイメージしやすい造りになっています。
 
・・・大丈夫ですか?(笑)
ついてきて下さいよ?(笑)
 
すごく大事なことを書いています。
うわ、ナード出てきたコレ。と引かずに、是非とも、この話についてきて下さい!(熱烈)
これはとても重要なことです!
 
大貫妙子の楽曲内でのカメラワークの推移が、このアルバム内の楽曲で、徐々に移行する、という表現がなされているんです。
 
そして、「しあわせな男達へ」では、完全に俯瞰からの視線となって、楽曲世界が象られているんです。
 
で、最終トラック「野辺」では、日本の古い言葉、文語長の語り口で、一貫して、無人の世界が歌われているんです。
 
これは完全に、私の個人的な解釈の範囲になってしまうんですけれど。
物語世界を再構築する、という大貫妙子の得意技であるらしい手法、当時の商業ミュージックシーンでお馴染みの、大貫妙子といえばこれ!の傍観者の視点の手法から、楽曲ごとに視点を自由自在に動かし始め、最後の楽曲で、物を語る世界、物語りそのもの「だけ」を、音楽で、ただ構築してみせたんです。
大貫妙子が存在しないで物語る世界を、「野辺」で生み出したんです。
 
これは大貫妙子の発明ではなく、みなさんもお馴染みの、マザーグースや童謡、日本では唱歌の世界で取られている、誰もそこにいないのに、世界が物語られる、詩作の手法です。
名前は、不勉強で申し訳ないんですが、私は知りません。
 
この手法を、1985年の日本の、商業的成功を目指して創られたアルバム内で、「タンタンの冒険」という物語の再構築の視点でスタートしたアルバム「copine」という作品集が、最終的には、唄の始まりに存在する童謡・唱歌によく見られる、詩作の手法に回帰しながら、自分が出演しない、人称のない、ただの物語り、として独立性と独自性を同時に併せ持った楽曲「野辺」をそこで構築して、このアルバムは終わるんです。
 
簡単に言うと、大貫妙子にとって、視点の移動や人称の移動くらい、なんでもない創作である、ということを、あっさりとやってのけたんです。
 
そりゃ、こんなことをあっさり、やすやすとやれば、大貫妙子が1985年の時点で、1目も2目も置かれていたミュージシャンであった理由が、おわかりになるのではないでしょうか。
 
そして、アルバム「copine」がいかに凄まじいアルバムであったかを物語る、非常に重要なポイントでもあります。
ただし、これは大貫妙子にとっては、本意の方向性ではなかったそうです。
つまり、この時点で大貫妙子がとてもやりたかったことではない創作レベルで、このアルバムのクオリティだということです。
 
正直申し上げて、今日の楽曲は「野辺」でも良かったんですが、「しあわせな男達へ」のなかで、カメラワークの情景として表現されている大貫妙子の視点が、非常に自由自在に楽曲の中で構築された空間内を動き回り、最終的には屋外のかなり高い上空まで移動しているのが、はっきりわかるという点で、私は、楽曲の好みもさることながら、1番、愛聴者の皆さんに伝わりやすいという判断から、この楽曲を選びました。

本日、「しあわせな男達へ」をなぜ取り上げたか、わかっていただけた時点で、私見に満ち溢れた本日の投稿を終わります。
 

以上、Let's listen to Taeko Onuki, shall we? <大貫妙子を聴こうじゃあないか> *** 第5夜 しあわせな男達へ  *** でした。
 
 
 
それでは、また明日、日本時間では22時に、主にアメリカでは朝の8時に、お会いしましょう!

 
 
2023111722:16 わかりにくい点を補足しました。 
2023111808:58 誤字をなおしました。