休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2024/09/05

極楽浄土・天国というものへの1解釈

 先日、仏教の一般的な考え方に三十三回忌というものがあると知りました。

 

「弔い上げ」とは、故人様の死後、33年目(満32年目)に行う、最後の年忌法要です。
一般的な法要には、初七日や四十九日法要、一周忌や三回忌などがあげられます。そこでは、故人様の魂が極楽浄土へいけるよう、個別で法要をしてご供養します。
しかし一般的な仏教の教えでは、「弔い上げ(三十三回忌)」の時期には“どのような魂も、極楽浄土へいき往生する”といわれています。そのため、それ以降は、個別の法要は行いません。

霊園・墓石のヤシロ

https://www.yasiro.co.jp/colum/detail/colum74.html

 

法要を行う、行わないの選択とは別に、私個人としては、仏教の考え方として、故人となった後も最長三十三年間はこの世界に留まり静かに過ごす方もいるのだな、という気持ちでした。

ここからは、もっと私自身の捉え方というか、考え方なのですが。

極楽浄土や天国とされる場所に行くまで、時間がかかる人かからない人と色々あって、幾億の人々の縁や事情で望んでそうされている方もいるのかもしれない。

そして、いつかその人にとっての時間が来たら、明るい静かであたたかい場所へ行くのかもしれないな、と解釈すると、穏やかな、秋の始まりの今日の晴天のような明るいものが胸の中に吹き渡りました。

この世に留まっている故人について、暗かったり怖ろしかったりする話ばかりが多いようですが、そうではない事情もあるのかな、なんて、思いました。

ただ単に、淡々と歳をとっていく中、年月を経て、個人的な見当を持てる、こういった機会が嬉しいです。



 

Take Fiveを聴きながら街を歩く:本日の雑感(不定期)

 
UNIQLO FLOWERで購入した百合

 
台風の混乱はまだ収まっていませんね。
 
私は通販ヤロウでもあるので、来るはずのモノが仲々やって来ず、運送業者さんが必死なのがまた胸が痛いです。
 
当たり前ですが、日々の暮らしはAmazonを始め、大手通販サイトが誕生して20数余年経ち、物流というものが日本の大動脈になって久しいので、こういった災害が起こるとその影響力が如実に明らかになり、社会の混乱の破片が私達市井(いちい)の生活者の元に押し寄せます。
 
誰かが以前ネットで語っていたことですが、どうして物流が暮らしの経済の主軸となっているにも関わらず、運送業者さんという職業の価値は昔のままなんでしょうね。
低すぎると思うんです。
同じく、コンビニエンスストアの店員さんの価値も、以前のまま凍りついています。
 
コンビニってもう重要な社会インフラでもあるのに、あんな難しいことを次々やっている店員さん1人1人の給料や社会的立ち位置が、相変わらず誰がやっても一緒の職業だと思い込まれているなんて、本当に信じられないんですよね。
 
この方達のお給料を上げると商品や物流の一単位の価格が値上がりしてしまう。という世の中で当たり前のこととして信じられていることが、実はいくらでも商品価格を据え置き(もちろん物価の影響は受けますけどね。)、お給料を上げることがいくらだって出来るんですよね。
 
現在Uber Eatsを始め、ネット通販の変則的な形でコンビニの営業形態もまた変わりつつあるので、その手数料その他の「数量」をうまく工夫すれば、コンビニエンスストアの店員さんの賃金を上げることは出来るんじゃないでしょうか?
 
また、私はよくわからないですが。
労働組合を作り、自分達の労働環境を守ること。社会保険の適用範囲に入ること。なども、各店舗のオーナーの個別の判断に任せっきりじゃなくなり、だいぶ労働環境が整うのではないかな? なんて、思っています。
 
こちらはスーパーで購入した百合(アマリリス?)
 
実は私はこの頃、街を歩く機会が多く、人生の大先輩のお話を聞きながら、また他愛もないハナシを楽しみながら、ときに黙りながら、2024年の街を歩いています。
 
とてつもなく不思議だと思うことに。
リーマンショック以来の不況である。そして人々は暗い気持ちを抱え、ものすごく貧乏になり、私の住んでいる街の中心部を歩いているのは、すべてインバウンドと呼ばれる海外からのお客様ばかりで、日本人は出かける余裕すらない。
と言われているし、耳でそして目でインターネット上のメディアに漂っている雰囲気を感じています。
 
ですが、この十年ずっと言われ続けている日本の経済は底打ちで、もうダメになっていく一方。
というものが、街を歩いていて、それは本当なんだろうか?
としか思えない現状を私はじっと見つめています。

単に未だコロナの影響が残っていて、まだ街がきちんと建て治っていないだけではないでしょうか?

リーマンショック以降、一体いつ日本は金持ちになっていたんでしょうか?
 
例えば、デパートに人が行かなくなった。と信じられていますが、私の街のパルコには月曜日の時点で、夕方平日の人並みが普通に存在していました。
集まっている人達は、信じられている海外からの旅行客ではなく、ファッションを楽しまなくなったはずの若い女性や30代女性は攻めたファッションでお店に入っていき、中高年の女性はお友達とではなく、けっこうソロで動きやすい格好をして、やはりぐいぐいパルコに入っていっていました。
 
主に海外からの観光客は、安い日本の商品が売られている免税のドラッグストアや百均で買い物をしているようでした。
物価が安い国に旅行に行って、安い国ならではの、価格設定やお得なサービスを展開しているお店に集まり、こんな所にもあったのか・・・? という免税のお店にも外国語が飛び交っていたり、私が日常の買い物をするスーパーに楽しげに買い物カゴをカートに乗せて、売り場を珍しそうに見ているようでした。
おそらく、専用の口コミが共有されているんでしょうね。
安いお店で買い物をして帰国する。が、日本に来ている旅行客のステイタスなんでしょう。
お店側もちゃんと心得てて、外国語表記も言葉が通じない方相手の接客も慣れているようでした。
 
夕方の街と言えば、私のような特性のあるもの( HSP)は少し寂しくなってしまうものですが、夏の終わりに日常が始まってしまった、モラトリアムの終焉とよく象徴される、9月の始まりの中心部の風景は、元気いっぱいどころか相変わらず賑わっていて、私もどっかお店に入ってみよっかな? なんていう気持ちになりました。
 
ユニクロフラワーのコーナーは、海外からの買い物客のフォトスポットになっていましたよ。
 
あとCOOLジャパンと信じられて久しい日本のエンタメ世界ですが、街でビラを配っているアイドルグループのご本人達がいて、私はイチおばさんの暮らしの義務として、一枚受け取り、まず来ないだろうな、まず行けないだろうな、とお互い分かっていながらも「頑張って下さい」と右手でガッツポーズを作ってしまう私に、彼女は一生懸命笑顔で「よろしくお願いします」と答えてくれました。
 
他のメンバーさんも少し離れたところで同じビラを配っていたので、やはり「頑張って下さい」と私は声をかけ、彼女は会釈したあと、別の通行人に向かって、少しだけより大きな声で「ライブやります。来て下さい」と言ってくれました。
 
市井の声援に対する、配慮とはにかみがある彼女達の応え方に、私はとても爽やかな気持ちになりました。
 
インターネットのせいで、街に人が、主に若い方が居なくなったと信じられていますが。
私はこの2年で、むしろ街に若者や青年、私の年代の中高年達、ビジネスパーソン達が増えていっているように感じています。
 
また、お洒落をしないと信じられている若者達こそ、工夫と「生き金」の使い方が上手で、懐かしいバブルの頃のように(私はその後の世代です)、90年代の頃のように、全身を好きな服で包んで、街で遊んでいるのをよく見かけるようになりました。
 
私達は、一体どこから出てきた憂鬱を社会の前提として受け渡されているのかな? 
と、明るい気持ちになるばかりの街歩きを、私はこの頃やっています。
 
公園からスケートボーダー達を閉め出してしまった経緯には、双方の理由と事情があるのでしょうね。
けれど、閉め出した後に彼らに新しいスペースを提供するまでが、若者と青年達への社会からの解答ではないでしょうか?

いつの間にか、路上ライブをやる若者の姿も街から消えてしまいましたね。
 
彼らのような、集まる所がない人達、行き場のない人達が、独自の文化を形成し、やがて大きな潮流を作り、経済を動かし、社会を整え、引き継いでいくのに、どうしてこんなことになっているんでしょう?
 
アイデアは識者や市井の物を考え続ける人々に無数にあるのに、そのアイデアを発信し、伝播させるには現在の「古くなって行っているのに、発明や進化という開発をやむなく停めさせられている発信ツール」しか無いから、だと、これまた誰もが感じていることを書いて、今日の投稿を終わります。

あくまで理由であって、責任の所在を問うものではないことも、ちゃんと書き添えますね。


20240905 11:52 誤字を直しました。
 
 
 
 
 
 
 

2024/09/01

毒という名の香水


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
クリスチャン・ディオール 「Poison」


クリスチャン・ディオールの名香のひとつに「プワゾン」という香水があります。
これは「毒」という意味で、刺激的で扇情的でもある名前です。
この香水について2024年の現在、どのように捉えられているかを知りたい方は、以下のリンク先をご覧ください。
 
Wikipedia プワゾン(香水)
https://w.wiki/B4mK
 
最近、私は「プワゾン」を買い直しました。
20代前半の頃、私はどうしても「プワゾン」をつけてみたくて、パルファンではなくオード・トワレの「プワゾン」を購入しました。
でも結局、思うように上手につけることが出来ず、結局しまい込んだままにしてしまいました。
年月が経ち、この頃なぜかとみに「プワゾン」のことを思い出すことが多く、この年齢になれば上手につけられるかもしれないという期待もあって、この度「プワゾン」のパルファン購入に至ったワケです。
 
「プワゾン」という香水に対し、今の私なりに真正面から思考してみると、私は長い間、「プワゾン」について或る疑問を抱いていたことに気づきました。
それは、イヴ・サンローランの「オピウム」を意識して「プワゾン」は創られたのかもしれない。という少しだけ確かさに近寄った疑問でした。
調べると、本当に「オピウム」を対抗する商品として開発されたのが「プワゾン」だったんだそうです。
 
要GoogleChrome
Wikipedia オピウム(香水 )
https://w.wiki/B4UL
 
私は「オピウム」を普段使いしていた頃があって、割りと近年なんですけれど、素敵なアンティークの調度品という調った(ととのった)イメージを私に想起させるので、「オピウム」を普段使いしていました。
 
「オピウム」というのは「アヘン(阿片)」の意味です。
こちらも非常にセンセーショナルな名前ですし、個人的には香水というものの概念を覆し、革命を起こした名香だと思っています。
当時も商品開発段階で、そういった名前を使うのはどうか、とイヴ・サンローラン社内外で物議と動議を巻き起こしていたそうです。
ですが、イヴ・サンローラン自身の「オピウムか名前が無いかだ!」という断固とした姿勢で商品化され、現在もセンセーショナルな名を纏った香水として知られています。
ファッションの開拓者であるイヴ・サンローランらしいエピソードです。
 
香水とは、私は、総合芸術だと考えています。
 
ただの嗜好品なのに、と思われるかもしれませんが、手に触れるものから手に触れられないものまで、その全部を表現し得る、総合芸術でありながら非常にプライベートな嗜好品が、香水というものだと私は切り出しています。
 
状況、記憶、物質(マテリアル)、空間、音、光、時間、そういう全部を表現できるのが香水なので、複合芸術でありながら総合芸術でもある、とても広くて巨大な存在が、瓶に入れられて販売され、良い香りとして愛好されているんです。
全体像としては、最も巨大で最も小さいものです。
 
私が知っている範囲では、香水は精神を表現するもの、として存在していること多いようです。
「精神性が香りとして表現されている」と書くと、私の捉えている「香水とは何か」が伝わりやすいと思います。
香水は「精神の香りが象られているもの」です。
 
それが目に見え、手に触れられる液体と美しい瓶(または容器)で商品化されているのに、「目に見えない香り」が実際の正体です。
 
難解なのにシンプル過ぎて解きようもない哲学書のようですが、私が特に好きなのは、それでいて香水はとても個人的なものだという点です。
トンデモナイサイズのものが、日常に存在して、お洒落に使用できる。
そこがとても浪漫的でありダイナミックでもあり、非常に現実的な神秘なので、私は子供の頃から香水が好きなままなんでしょうね。
 
日本には香道という、今度は香りの持つ意味を広げ、十二単のように組み合わせによって、自身の大切にしている森羅万象のセレクトを相手に伝えたり、メッセージやその時々の季節を薫らせる「遊び」があります。
こちらも感性的かつ、香と紐付く意匠が示す言葉すらも自在に見えないものにしてしまう、莫大な世界観というものを手のひらの上から覗いて香る、典雅なものですよね。
時々、お寺さんなどで香道のレクチャーをやっていたりするので、興味がある方は体験してみてはいかがでしょう。
 
いま書いたような、香水へのそういう考えの取り組み方をすると、「プワゾン」という香水はどうして「毒」という名前なのか、をもっと自分なりに考えてみてもいいかな? と勇気をもらえます。
 
現実では、「オピウム」の向こうを張る圧倒的な名前を持つ香水を開発したかったクリスチャン・ディオール社が「毒」という名前を持つ香水を売り出し、大成功を収めた。
という情報です。
 
しかも、なんとこの香水は、アダムとイヴが楽園で蛇に誘惑されて手にした知恵の実である林檎をイメージし、毒としているんですって!
だから「プワゾン」パルファムの瓶は、林檎をイメージさせる形をしているのだとか。
 
私が大昔に購入したオードトワレの瓶はもっとなだらかな紡錘形だったんですが、こちらは知性が点るの、灯りの形に見えなくもないな、と今では思います。
買った当時は、あ、意外と都会的な形なんだな、と少し不思議な心持ちがしました。
「毒」というからには、もっと強烈なデザインの瓶なんだろうな、と思っていたので、拍子抜けしてホッとした感覚が今でも残っています。
 
どうしてその知恵の実である林檎を、毒としたのか。
 
諸説紛々或る中、白雪姫の食べた毒林檎の意味も持つ、ということもあり、直線的にセクシャルなイメージへの想起をこの名香に抱くのが妥当である、とい風潮が今もあるようです。
「毒婦」を気取ったりセクシーなイメージを逆手に取ったり、または危険そのものとして香らせている、と1時期信じられていたことも私が知っている範囲ではありました。
 
その価値観はそれとして、「プワゾン」は知的な風に香らせるべきだという決心が私にはあります。
 
わたくしのフランス語の先生が当時「プワゾン」を愛用しておられ、先生が通った後の残り香漂う廊下で、あ、フランス語のテストもうすぐだな、と思ったことを今でも強烈に記憶しています。
とてもエレガントで茶目っ気をお持ちの素敵な大人の女性でした。
特に言葉を交わしたり、お気に入りになれたことはなかったのですが、私はなんだか先生が好きで、先生も私を好ましく思っていてくださっていたことを当時から感じていました。
懐かしい、数少ない良い思い出です。
 
いま考えると、その影響もあって、
「違うのよ、プワゾンっていうのはね、そういう付け方をするもんじゃないのよ。もっと、もっと・・・こう、ね。なんて言ったらいいんだろう、これ・・・?」
という気持ちが私の底にあり、「プワゾン」を上手につけてこそ大人の女性、という飽くなき探求の原点となっていたんでしょうね。
 
アダムとイヴが楽園を追われる原因となったのが、知恵の実である林檎を食べて羞恥心やその他諸々を抱いてしまい、地上に降り立ったというエピソードがこの「プワゾン」の軸となる思考なら。
 
私は、この香水の正体は「知性」の香りだと思います。
あの林檎の味こそが「知る」を知った二人が楽園を追われる原因だったので、楽園からの視点では林檎は「毒」でもあります。
けれど二人は死ぬどころか、新たな探求を求めて世界を広げてしまい、知性をもって大いなる旅を始めてしまった。
もし本当に毒なら、なぜその林檎の木は楽園にあったのでしょうか?
蛇は本当に良くないものだったのでしょうか。
なぜ蛇はアダムとイヴに知性の存在を教え、自らの意思で食べることを選ばせたのでしょうか。
私には、そこまでがワンセットで楽園の機能のように思えます。
 
知性は毒にも薬にもなる、というエスプリをその名にダブルミーニングとして持ち、あれは良くないものだよ、と眉をひそめているフリをしながら、その実、甘い果実でもある、という官能性をも併せ持つ、非常に不思議で、不可思議で、調和しているのにいくらでも考え続けることができる騒ぎをも持っている。
 
この「毒」という名前の香水は、その実となる香りが持つとおり、確かに知性そのものの広がりを香らせていると、味わいながら思いを巡らせています。
 
きっと知性という態度を纏えるのでしょう。
 
 
まったく無関係なのに、延々と考え続けられることが身近にあるのは、日々をとても豊かに充実させるものだと私は思います。
香水について検索したり、アットコスメのレビューを見てあれこれ購入計画を立てたり、歴史の図表(で合ってますか?)の香合わせを見て、あ、この香り今でも使われてる!と感心するのも楽しいですよね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 




2024/08/31

台風大丈夫でしたか? と短気ではありませんと楽曲の対訳・レビューをテキストファイルで購入させてほしい。

台風大丈夫でしたか?
 
私の住む街は思ったより風が強くなかったんですけど、雨がすごく降り続いていて不安でした。
昨日、8月30日の昼頃、もう台風は温帯低気圧になったのかな? と外出の支度をしていたら、吹き返しかな?と思うくらい強い風が吹き始めて、外出するのをやめました。

本日、8月31日 午後12:12現在では、私の住む街を台風は通り過ぎ、現在は本州にいるようです。
 
そう。
この台風はいまだ温帯低気圧になっていません。
 
物申す系って好きではないので、相変わらずのふんわりのびのび口調で書きますけれど。
 
気象庁はフェイクニュースを出しませんよ。
信頼とか信用とかそういうハナシ以前に、気象庁がフェイクニュースを出す理由がありませんよね?
 
「どうしてもこれをやらなければならない」 という動機、行動理由がありませんし、気象庁は1人ないし数人のグループではなく、たくさんの人達が働いている所でもあるので、台風が温帯低気圧になったのに、それを、まだ台風はあります。みなさんの経済活動や交通機関等の生活の動きを止めて下さい。とフェイクニュースを出す理由がありません。
 
そういう風に考えてみましょう。
 
ときどきネットは、びっくりするようなことを言い出す人が現れるんです。
主に、見ている人達が不安になっている時に。
災害やその準備をしている時、大きな犯罪が起こったとき、世界情勢が不安定な時、などなどなど。
 
そういう時、まず、その内容を実行する理由は現実的にあり得るだろうか? という考えをすると、わりかし無いな。と判断できます。
そして、無いな。と判断しても、それは自分の先入感ではないかな? だとも、一度ざっと考えてみると、現実的という言葉が、日常生活の経験の蓄積から出てくる判断である。
実寸大の判断であるのだ。
という確認ができますよね。
 
良かったらやってみてください。
 
------------
 
あと、これは私からの意思表示として読んでいただければと思います。
 
私は今後、前回の日曜版のように、「今回はショートムービーの体(てい)で書きます。」と前置いていることは、読んで下さった個人個人の解釈におまかせします。
お一人お一人が感じたことを大切にして頂ければそれでオッケーです。
 
今後、同じようなものを書いたときも、それ以上の説明をいたしません。
 
前回の日曜版は、エナメルお得意のお家芸だと、知られている所では知られている、美しいイメージを読んで下さった相手に伝える手法での、散文形式の文章です。
 
私は読んで下さった相手に不安を伝えるものを書くのが嫌いです。
そして、同じく私のことで心配をかけてしまう内容を書くのを極力控えるようにしています。
特に日曜版ではそうです。
 
ですが、日常生活で危ない目にあったり、ヒヤッとしたことなどは書くときは書きます。
 
私はアマチュアで、その範囲でブログを書くという立ち位置から動く予定は、現在ありません。
 
なのでネタを探しに街に出かけませんし、ひっそり暮らすのが大好きなので、日々のことやすれ違う人達のことを無闇に書いたりしてきませんでしたし、書きません。
 
他の方がどうしようとそれはその方のお好きなようにすればいいことですし、いちいちビーフを仕掛けたりしません。
そういうワケで、私は私の好きにしていますし此れからもそうします。
 
あ・それと大昔、私は自分のキャラ立ちの為にひとつウソを書いていたので訂正します。
 
実は、私は短気でもなんでもありません。
HSPの特性はありますが。
どちらかというと対処は常に淡々としています。
トラブルが続けば続くほど、より淡々と対処していきます。
 
それは子供の頃から大人になっても、自分の思う通りになることがあまりにも少なかった為です。
師も同じ環境に居たそうで、だからこその出会いだったのだな、と胸を熱くしています。
 
-----
 
この頃、実はものすごく忙しくて、なかなか文章を書く時間が取れなかったのですが、やっとお盆前からのバタバタとお盆のバタバタが終わり、のんびりできそうです。
 
-----
 
台風一過で私の住む街は晴れています。
影響を受けている地域にお住まいの方は、くれぐれも公共情報に従ってご注意ください。
 
-----
 
私室にあったメモの山を昨日整理できて、気分がスッキリしています。
もうしばらくはブログの更新が週末に集中しそうですが、これから得意な季節が始まりますし、暮らしのスケジュールも元に戻せそうです。

----

ビヨンセの「COWBOY CARTER」をやっと聴いて数曲をiTunesで購入して繰り返し流しています。
 
あのー、私はアーティスト側の歌詞への情熱はとても重要だと思っています。
iTunesやAmazonMusic等で、楽曲を購入したときに、数十円から数百円割高にして、オフィシャルの歌詞と各国の対訳(翻訳詞)とライナーノーツとかつて呼ばれていた論評ないしレビュー、アーティスト紹介を楽曲購入時にテキストファイルで売ってもらうと、私のように、
この楽曲はどうして創られたのか。
どうしてこの歌詞だったのか。
引用元はなにか?
一体、どの国で起こったどういったことを歌っているのか?
なんていう疑問が、あっさり解消されると思うんです。
 
アルバム全体購入用のもの。
楽曲単体購入用のもの。
それぞれテキストファイルで用意して欲しいんですが。
 
こういう希望は昔からあると思うんですが。
音楽ライターさん達とか翻訳家の方達とか、忙しいですか?
 
よろすくです。
 
 



 

2024/08/25

八重咲きの百合・オリエンタルリリー・アイシャ

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 

オリエンタルリリー・アイシャとピンクッション
 
本日は珍しく、ショートムービーの体(てい)で書きます。
どうか読んで下さる皆さんの想像力を、その”見立て”で動かしてみて下さい。
 
近所の花屋さんで、珍しい百合を見つけたので購入しました。
 
八重咲きの百合で、オリエンタルリリー・アイシャというそうです。
 
アイシャだけで検索するとアラビア語で「生きる」「生きている人」「(幸せで安寧な)長生きする人」 という意味だそうです。
 
ピクシブ百科事典より

オリエンタルリリー自体の花言葉は、百合と同じで[
威厳」「純血」「無垢」「高貴」。
 
彩季舎より
 
以前、オリエンタルリリーの一種が「お化け百合」と形容されていて 、酷いな・・・、と苦笑していたのですが、きちんと調べると、とても祝福に満ちた花言葉を持つ八重咲きなので、買って良かったと気持ちが膨らみました。

オレンジ色の花はピンクッションというそうで、その名の通り、針刺し(針山)なんだそうです。
花言葉はこちらもおめでたく、「どこでも成功を」
「共栄」「陽気」「ふりそそぐ愛」とのこと。
 
Pure flowerより
 
 
こういった感じの、一見オブジェのように見える花をワイルドフラワーと呼ぶとも、上記リンク先様に書いてあります。
 
百合というと私は聖母マリアを連想します。
でも実は夏が盛りなんですよね。
何回聞いても冬の花のような気がするので、夏が来るたび百合が安く流通しているのを見かけては、ちょっとだけ違和感を覚えます。
 
百合って薔薇の次によく使う花の名前なんですが、この不可思議な違和感こそが、百合の醍醐味のように私には思えます。
 
違和感というと少し緊張してしまうんですけど、きっとこの字面が実際に体感する「異質」とジャストサイズだからなんですよね。
 
イメージだけで書きますが。
百合の中でも特に白い百合は、キリスト教での天国に咲いているのが一番しっくりきます。
きっと純粋が祝福と契約して純潔となり、天を覆い尽くす満開となっている。

白い花が地上に降り注ぎ、降り積もり、真夏に違和感が咲いているのではないでしょうか。
 
そう考えると、私個人にとって違和感だらけの真夏、地上に降り立った聖なる違和感が、肌を灼く違和感を「ましろ」に相殺してくれるのだ。と、少しホッとします。
 
本当は冬に咲くべき白い花は、なぜ真夏に開くのかな? と、とりとめのない想像を進ませると、きっと街中の空気中に蔓延するささやかな違和感が、白い百合の形で世界にスタンプされているから。
そして、その美しく純粋を約束した違和感が咲いた花は、実は天から降りこぼれたものが、変異しながら落下する途中なのだ。
 
なんてことを考えるとですね、違和感を覚えても、あまり緊張せずに済みます。
白く、先端が外側にカールした百合が、最初に胸に飛び込んでくるのですから。
 
自分が違和感を覚えても、誰かがこちらに違和感を見い出しても、それはすべて、降ってくる途中の、澄み切った美しい白い純潔だったのだ、とそっと心の中で人知れず確かめると、違和感というのは、なんらかHSPと静かさが好きな方達にだけ赦された、純粋を約束したものがこの世界に転生した象(かたち)とも言い換えられます。
 
私は、もういい歳なんですが。
とにかく変わっている、お前は変わっていると、言葉や沈黙や空気でずっと指摘され続けた日々でした。
最近では、ここまで来たらもうなんだっていいし、変わっている、という定義自体、時代や街、所、価値観によって、いくらでも転がっていく、単なる一時的な見当でしかないのだから、この先、あと何回、変わっていると指さし確認されるんだろう、と無表情で受け入れることにしています。
 
あんまりしつこく変わっている、とイチイチ確認の為だけの便宜の言葉を使われたとき、よかったら、違和感というのは白い百合の象をしている。
花が降ってくると思う、と謳った詩人の心にあったのは、きっと白い花だったのだ。
と少しだけイメージを逃がしてみて下さい。
 
そうすれば、少し気分が良くなるのではないでしょうか?
 
百合は良い匂いもしますしね。
 
花屋さんは冷房が効きまくっていますので、一番小さな避暑地として覗いてみるのも残暑の街では打ってつけです。

それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
大きな台風が近づいて来ています。
予報の地域の方は、備えをしっかりしてください。
私もベランダの鉢植え達を中に入れる準備をします。(夜に)
 
 
 
 
 八木重吉詩集
「貧しき信徒」 花が降ってくると思う より