今日は音楽の話です。
デスティン・コンラッドつながりでおそらく出て来たんだと思うんですが、アンブレの3000°がお気に入りで、デスティン・コンラッドと一緒に繰り返し流しています。
2022年のEPだそうです。
ウィキペディアの英語版を機械翻訳にかけると。
音楽活動は17歳の時からで、ケラーニのオープニングアクトを務めたり、18歳の時にH.E.Rのソングライティングに参加し「Changes」「U」を共作していますね。
詳しく知りたい方はWikipediaをご覧になってくださいね。
私は洋楽と呼ばれるジャンルの中で、すごく個人的な音としか言いようない、聴くものがまるでそのミュージシャンのプライベート空間に一緒にいるような、そういう音を出すミュージシャンが好きです。
ときには車の助手席に座り、そのミュージシャンの独り言とも打ち明け話とも取れる言葉を聞いている時間だったり、
ときにはそのミュージシャンの自宅の床に座って、出されたスナックと軽いアルコールが混ざった炭酸飲料を飲みながら、くつろいだ中に鋭い視点が混ざっている話を聞くような。
これ確かSZAの時に、ライターさんがこういう表現を書かれていたと思うんですけれど。
そういう、すごく身体的な近さ、がある音楽を作るミュージシャンが好きです。
なのでSZAはもちろん、ケラーニ、ジェネイ・アイコもすごくその近さがあるので、ずっと繰り返し聴いています。
たぶんですけど、2020年代のR&B、ネオソウル系の音楽の、一つの潮流なんでしょうね。
私が知っている範囲では、SZAが最初に始めたんじゃないかなと思っている、この特殊な「近さ」を持つ音楽は、聴いていると、なんだか薄くスライスして重ねた日常というものを、何枚も通り過ぎているような錯覚をもたらします。
なのでそこに触れると、自分のいまいる日常の空気の延長線上に、たくさんの人たちの日常があるのだ。
という、
当然、知っているはずのことを、音や歌詞とともに再確認できるのがすごく好きなんです。
また、とてもその感触が、現実的な手触り、肌触りがあって、聴き終わると、窓の外を眺めて、今夜はちょっと飲みに出かけようかな、それともめんどくさくて後回しにしていた手の込んだご飯を作ってみようかな、という、淡々とした前向きさが私の中に置かれているのを発見します。
なのでこの系統の音楽を聴くと、現実に潜む息苦しさから離れることができるんですよね。
「すべて解決するわけではない。
けれど、少しだけそこから離れて、やっていけるようにはなっている。」
そんな感じです。
これがそういう創りなのか、聴いている私にだけ起こる、幸せな勘違いなのかは、わからないんですが。
トーンとしては物憂げだし、歌い上げる時は歌うけれど、独り言のような音の刻まれ方、言語の選び方なので、映像的に言うと、
晴れているけれど、少し灰色がかった薄陽の射す時間に、目の端で揺れているハルジョオンをなんとはなしに眺めているとき。
深夜2時を過ぎたあたりの妙な熱さをもった醒めてきてる、テーブルに残ったグラスの水の跡を指でなぞりながら、あてもなくぼーっとしている時間。
そういう、とるに足らないとされている、とても強烈な印象をもたらす時間を囁く楽曲群だと、私には聴こえています。
少し疲れたな、というとき、よかったら聴いてみてください。
以上、3000° / Ambré でした。
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