休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/10/18

苦情レビューを書く行為、クレームを入れる行為について


 
はじめに
一生懸命ソフトに明るさが少しでもあるように書いたつもりですし、できる限りなおしたつもりなんですけれど、それでも、ちょっとどうかわからない感じの投稿になっています。
なので、引きずられそうな方は、読むのをやめてくださいね。
 
 
みなさんは、ネットレビューって書きますか?
私はネット歴が長いくせにネットレビューを書いたことは、数えるくらいしかありません。
2回とか、それくらいだったような・・・。
 
どうしてやめちゃったかというと、当時、思いっきり私が書いたというのが、その頃来てくださっていたサイトのお客様にバレていたからです(笑)。
 
ポジティブなレビューです。
あともうひとつも、なんかホメちぎる奴を書いたような、書かなかったような・・・。
それくらいです。
 
最近では書くようにしています。
いま利用している通販ショップのひとつはレビューを書くのが普通みたいで、やったほうがいいのかな、という感じで書いています。
こちらもポジティブなことを。レビューというより、一筆箋(いっぴつせん)に書いたお礼状のような感じでやっています。
でも、続けるかわかりません。
他の方を見ていたら、書いたり書かなかったりみたいなので、私もそうしようかなとは思っています。
 
ネガティブレビューはやったことはないです。
気が小さいし、これは私が心優しいからとは誰も思わないでしょうけれど(笑)、私、書かないんですよ。基本的にネガティブレビューって。
怒って書いたことも、多分、ないと思います。
商品とかについてですよね?
書かないです。
私はそういう面では、ものすごく冷たいので。
 
教えないんです。
なんでわざわざお金払って嫌な思いした上に、その商品のウィークポイントを教えてあげないといけないんでしょう?
そんな商品を”通らばリーチ”で送ってきた相手に、どうしてそのビジネスがうまくいくきっかけになる情報を渡してあげなきゃいけないんでしょう?
 
私は、そんなにお人好しじゃありません。
だから黙って2度と利用しないだけです。
そのまま立ち去るのみです。
 
これは私個人の考えですけれど。
お客様は神様だっていう考えじゃないんです。
 
明らかに客に敵対心や嫉妬心をむき出しにして(その時点で変でしょう。仕事に対する考え方が。)おかしな真似をする店員を雇っていたり、アクシデント以外で、妙な商品をあえて売ってるんですよね、そういう店や会社は。
わかっててやってるんです。
そんな店員は続かないし、続けられなくなるのは目に見えてるし、そんな会社はやがて倒産するんです。
必ずそうなります。
だからそういうところに有用な情報なんか渡しません。
黙って2度と行かない。利用しない。それだけです。
 
クレームと呼ばれるようになって久しい苦情も、私は成人してから今までで、電話ですけれど、本名を名乗った上で、やっぱりこれも2回とか3回くらいしかありません。(2回だったかな・・・?)
 
そのうちの1回は、ものすごく怒っていました。
ちょうどクレーマーという言葉が出てきていた時期だったんです。
なので怒りながら苦情内容を説明しつつも、頭の隅で、ああ、この人、絶対、私のことクレーマーと思ってるよね・・・、というトホホ感があったのは記憶しています。
 
苦情対応って、いまはどうかわかりませんけれど、厄介で大変な業務だけれど、あれはビジネスチャンスでもあるんです。
 
わざわざ電話代を自分持ちでかけてきて、客がその商品を利用しない理由、客がその店に来ない理由を、無料で教えてくれるんですから。
 
私の記憶でですけれど。
クレーマーという種類の人がいるんだ、という話が世の中に出てきた途端、わーっとそのクレーマーという怖い人のイメージが広まっちゃって、苦情はもうクレーマー! あんたもあんたもどいつもこいつも苦情かけてきたらクレーマー!的なノリがあったんですよ。(大昔の話ですよ?)
 
あっという間にその誤解はなくなりましたけれど。
だってクレームはビジネスチャンスだから。
 
そして、その時を経て別の目的があってクレームを装ってハラスメントをする人、いわゆる本当のクレーマー対応が生まれてきたはずです。そう記憶しています。
 
私の苦情電話ですけれど。
乱暴な言葉は全く使っていなかったと思います。
これも別に私が礼儀正しいとかそういうことではなく、こちらに全く非がないのに、言葉使いひとつで不利な立ち位置にされるのは悔しいじゃないですか。
 
そうでなくても、これは別の落とし物の問い合わせをした時ですけれど。
若い女の子というのをやっていた時は、落としたものを説明しているのに、「おー、おー、おー、おー、それはすごいものを落としたねぇ」って言われたりしてたことが日常茶飯事だったんです。
女性だからとか、若いからとか、そういうことはあまり言いたくはないんですけれど、私のいた現実では身近に、頻繁(ひんぱん)に、普通にありました。
 
苦情電話に至るまでに、何があったかは書きません。
昔のことだし、いまのインターネット上で詳細を書くことは、その時のとんでもなさとであっても、等倍ではないからです。
 
そのことをいま思い出しても、あれはもっと怒るべきだったよ、私。としか思えないくらいのことだったし、あまりのことに驚きながらも、わざと怒らそうとしているんだろうか・・・?という、不思議な世界に迷い込んだかのような体験でした。
 
いまの現実でも、そんなことはまず誰もしません。
誠実とか親切とか言う前に、そういうことをしたら自分が不利になることは誰でも知っているから。
 
もう1つの苦情電話は、これは若い女の子というものをやっていた頃です。
乱暴な言葉は使ってなかったはずだけれど、強く出てこられたので強く押したのは憶えています。
 
真似されると嫌だから書きませんけれど。
その当時、苦情を入れるときのコツというのを知人に教わっていて、それを実行した機会でもあったんです。
それを伝えた時、その人は、なんでそんなことをしなければならないんだ、という対応をしたんです。
別に土下座しろとか、靴舐めろとか言ったんじゃないんですよ?
 
苦情をいうときに、「もっともまともに相手に苦情を伝えるやり方」をした時に、そういう判断をされました。
そして、私が教わったそのコツは、伝えた時に返ってくる相手のリアクションによって、「いま自分と相手が向かい合っている目の前の卓に置いていることはどういうことか」が、はっきりわかる仕組みになっていたんです。
 
相手はそういう判断をした。
そこから、こちらが判別したことを日本語にすると、「お前のことは相手にしなくてもいいと思っているし、このことは隠したい」でした。
あ、じゃあ結構です。ということで、私もそれなりのことを言って電話を切りました。
いま考えると、この時は、自分が不利になる機会を相手に与えてしまった失敗例ですね。
 
思い出しながら書いてると、胸の中にどす暗いものがバーっと広がってきて、いまちょっとベランダの素敵な名前を持つ庭に出て、植物を触ってきました。
 
いまとなっては、どちらの相手の顔も名前も忘れているし、どうでもよくなっていることですけれど。
 
こちらも苦情に至るまでの出来事は書きません。
あまりにもとんでもなかったし、怒って当然のことをされましたが、こちらもいまのインターネットで書くには、そうであっても等倍ではないと思います。
 
そういう対応をする相手ですから、きっといいように周囲には伝えてるんでしょうね。
 
そんなもんですよ。
本当にね、びっくりするほどいいように言う人は言うんです。
誰にも、きっとそういう気持ち、自分を守りたい気持ちや、自分が不利になることは避けたいと思う気持ちはありますよね。
私もそうです。
でも、なるたけ、たとえそれが自分にとってだけの事実であっても、憶えている限りのことは、そのまま出そうと努力する気持ちもあるんですよ。
そこはちょっと頑張ろうよ、という気持ちで。
 
ちょっと別の話になってしまいますが。
しない人は、ほんっとーにしないですよね。
良い人悪い人という話じゃなくて、ほんっとーにしないんですよ。
で、そういう奴の特徴は、周囲を固めるんです。
面白いですよね。自分は多勢のつもりなのかはわかりませんが、ただの個人戦なのに。
なぜ団体戦にしたがるのか。
そして、巻き込んだ人たちの、自分は間違っていないという気持ちをうまく利用しようとするんです。
無駄なんですけどね。人は当事者ほどそこまで関心持たないから。
 
だから私は、自分がされたことの全部をあまり言いません。
臨機応変で、必要な場合はちゃんと言いますし、紙に書き出して整理して、できる限り協力します。
 
でも、自分のことの場合。
私は、本当のことのいくつかを言うだけで、されたことを全部は相手に渡しません。
善良な相手なら、なぜ言わないんだろう?と心配になると思うんですが、そうならばこのやり方は、そこまでは言わないよ、という私の明るい部分を切り出します。
 
でも、意図的に作為的で、巧妙に仕掛けてくる場合は、(もうそういうやり方をこっちがやってる時点で、始めにそう判断させる材料がゴマンとあるんですが)
相手の過剰防衛に繋がっていくか、相手の別の行動やこうちゃく状態を引き起こすので、理由があって言わないのはなぜか、という私の沈黙の意味を切り出します。
どちらにしろ、私は本当のことを言うだけです。
必要だと判断した時に。
 
こんなの戦略でもなんでもないです。
本物の戦略家が耳にしたら、お腹抱えて笑われるような、ただ本当をついてるだけです。
ご存知のように、私はとても単純な人間です。
複雑なのは、わけのわからない自分の人生だけでお腹いっぱいです。
だから、人をいいように利用しようとする奴からは蛇蝎(だかつ)のように嫌われるんです。
 
クレームと苦情レビューの話に戻りますが。
だからあの大変なことが起きてしまったとき、自分がさらに悪目立ちしていたことに気がついて、きっと色々調べられてるだろうから、ああ、私、たぶんクレーマーと思われてるんだろうな・・・、という思いが強くあったんです。
その当時はうまく言葉にできなかったんですけれどね。
 
いまは、お互いのために録音をするところが多いみたいですので、サポートセンターに電話したりした時に、よく電子音声の「録音しますよ」と言う案内を聞きながら、いい時代になったものだな、としみじみ思っています。
 
そういうわけで、クレームを入れる、苦情レビューを書く行為については、私はかなり独自の考え方や価値観を持っています。
 
苦情レビューを書く理由って、色々あると思うんです。
それを、やめたほうがいいですよ、とも、どんどんやりましょう、ともなんとも言えないです。
 
ただ、下手に相手に利用させる機会を与えてしまうと、すごくいいように利用されてしまうことも、また事実なんですよね。
本当にいいように言いますよ。
 
そんなめんどくさいことをするくらいだったら、訴訟に繋がらないんだから、その時だけ頑張って謝って相手をなだめればいいのでは? と思うし、私ならそうするんですけれど。
いまのビジネスシーンのリアルが私はわからないから、そうしない訳も相手にもあるのかもしれないですね。
 
ネガティブなレビューは書きたくなくなっちゃうな、と心配にならなくても大丈夫だと思いますよ。
 
私はメールで、ですけれど、通販を利用した後、忌憚(きたん)なきご意見を、という言葉をよく目にします。
だから、私がいま書いたことは、レビューを求める側もよくご存知のことなんだと思っています。
だって、いいことばかり言われてて、それで売り上げが伸びないなんて、1番、おそろしいことですからね。
 
ただ、不愉快だったのをわかってほしい。傷ついたから、謝ってほしい。今後そういうことをなくしてほしい。等々。自分がどうしてほしいのかを整理して伝える方が、相手も混乱せずにすみますよね。
できるだけ礼儀正しく。敬語が間違ってても気にせずに(自己弁護全開)、丁寧に、穏やかに、きちんと聞こえる声で、読みやすい言葉で。
 
いろいろと大変なことが起こっていますが、それでも、この世界は精神的な面では、明るいもののほうが割合いとしては多いように、私には見えています。
なので、自戒も込めて、明るいものの交換をできる限り心がけていきたいですよね。
 
いまはそんな風に考えています。
 
 
以上、苦情レビューを書く行為、クレームを入れる行為について、でした。
 
 
20231018 21:29 文章をなおしました。