休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/10/13

猫を思い出すということ


 
 
子供の時から動物が好きだった。
けれど汚いからという理由で飼ってもらえなかった。
飼ってもらえたのは小鳥だけ。
それも逃げられたり死んでしまったりと、ちゃんと飼えたことはなかった。
仕方がないので、私は子供の時の悪ガキだった遊び友達と死にかけたハトを拾って、秘密基地にかくまい、看病してみたけれどそれでもダメで死なせてしまったり、猫の死骸をちゃんとお墓に埋葬してあげるのだと、みなで運んで埋めてあげたりと、そういうなんだかよくわからない子供だった。
 
猫がうちにもらわれてきたのは、小学校高学年くらいだったと思う。
いつ頃かははっきりは覚えていない。
その猫はただの雑種で、すごく気難しくて、クールで、無駄に責任感の強い、私のことを自分の格下だと信じてうたがわない、いつも私を指導してくれる、こちらもさらに、なんだかよくわからない猫だった。
 
それからその猫を飼ううちに、やがて家族は、猫は汚くなんか絶対にないこと、猫はしつければ必ず人間と一緒に暮らしやすいルールに従ってくれること、猫は病院に連れていって定期的に指導してもらえれば、病気をうつしたりなんかしないことを知っていった。
 
そして、人間の留守中には、これはやってはいけないよ、と教えたことを、きちんと、これは破ってもそうは怒られないという判断の範囲で破ることも、とてもよく、辛抱強く、私たちに教えてくれた。
 
とても長生きで、私が大人の前段階になるくらいまで生きていたと思う。
私はもうその頃、家を出ていたので、その猫の最期は看取れなかった。
 
1人で暮らしていた時、私は乱れた生活はしていなかったが、仕事を持っていても、基本、その日暮らしのようなもので、明るくお気楽な毎日だった。
暮らしていた部屋は、賃貸なのでペットは禁止されていたので、植物をせいぜい部屋に飾るくらいだったと思う。
 
古いビルで暮らしていた頃、ある日、夜の散歩の途中に猫を拾った。
もう大きくなっていたが、まだ口元にピンク色が残っていたので、体は大きいけれど大人になりきっていないのだろうと思ったし、いつまでもついてきて、とうとう私の部屋の前までついてくるので、部屋に入れてあげた。
当時も相変わらず、あまり裕福ではなかったというか、貧乏だった。
でも、私はできる限り猫のために色々なものを準備して、自分が知っている猫の世話をしていた。
それは、私が優しいからというのではなく、そうするのが自然なことだったからだ。
ところが、すぐにその猫が捨てられた理由がわかった。
マーキングが凄かったのだ。
何度教えてもどうしてもカーテンにオシッコをしてしまうし、部屋の壁、バッグ、本棚、何もかもにオシッコをしていた。
病院に行って手術してもらえば治まることは知っていたので、確か、微々たる生活費の中で、その費用を貯めていた時だった。
 
ウチに来て以来、爪を切っていなかったので、爪を切ってあげようとしたが、どうしても切らせてくれなかった。
初めはそっと試していたが、爪は切らないといけないので、少し強引にしようとした時点で、猫はおそらく怒ったし、私に乱暴をはたらかれたと勘違いをしたのだと思う。
それ以来、猫は、私を襲うようになった。
困ったな、と思い、一度、ここにいるのが嫌ならば、と部屋の扉を開けっぱなしにしてみたら、すぐに出て行ったので、そうだったんだな、としょんぼりした気持ちでドアを閉め、その後、ゴミ捨てに行った時、なんとなく気になってガスメーターの下を覗いたら座っているので、慌てて部屋に連れ帰ったりしたが、やはりどうしても隙を見ては私に飛びかかってくるようになっていた。
じゃれているのではなく、常に臨戦体制で唸りながらこちらをうかがい、隙あらば顔や首を狙って襲ってきていた。
さすがに困っていた。
 
当時付き合いのある友人に譲ることも考えたが、同じ賃貸暮らしや、実家暮らしであっても問題を抱えていたり、そもそもマーキング癖の処理も、人を襲う癖もどうにもできない猫を譲るわけにもいかなかった。
また当時は、まだネット環境が一般的ではなく、保護シェルターの存在を私は知らなかった。
そして、頼みの、街の掲示板(本物)に譲る旨を出すことも考えないではなかったが、一度、別の話で掲示板を利用したときに異常者から電話が頻繁にかかってくるようになっていたので、当時の一人暮らしでは論外だった。
 
やはり、嫌なんだろうな、と思っていた。
ご飯はしっかり食べるけれど、決してなつかない。その時にはなでるのもできず、ただ襲われていた。
なので、私は、ある日、夜の散歩の時に、ついてくるならばと見ていたら、やはりドアを開けると、ついてくるので、そのまま一緒に外に出た。
もうどこかに行きたいのだろうな、と思っていたので、道の途中で好きに行かせていたが、やはりしばらくすると私と同じ方向に行く。
それを繰り返した後、とあるレストランの裏に出た。
すると猫は迷わずその裏口から中に入っていった。
やはりしばらく待っていたが、コラッと怒られる声も、飛び出してくる気配もなかった。
なので、これでいいんだろうな、と思って、私は1人で部屋に戻った。
 
次の日、何度かビルのガスメーターの下を覗いてみたり、レストランの裏口やその付近を、夜になっても見て回ったが、猫の姿はなかった。
その後も、しばらくは探していたような、探さなかったような、そこは自分でもよくわからない。
でも、結局、猫は私の前に2度と姿を現さなかった。
 
当時、私が住んでいた街は、野良猫が多く、いつの間にか忽然と全員が姿を消すということもなかった。
そして、その頃の”普通”は、外から猫が入ってきも、コラッと追っ払う人はあっても、「もしもし保健所ですか? 野良猫がいるんで引き取りに来てください」という人は、皆無だった。
なので、誰か別のいい人に拾ってもらったのだろう、と思った。
 
その後、何年も後になって、私は別のペットを飼った。
やがて大きくなって、発情期を迎え攻撃的になったときに、ペットは私を襲うようになった。
同じだな、と思った。
だったら、と、私は自分のしたかった通りに、襲いかかってきたペットを腕で受け止め、それでもそのペットと暮らすことを選んだ。
私の腕には、なかなかに大きな傷跡がある。
その傷跡は、ギョッとされるような形をしているが、私はそれを視線で、口で問われるたびに、交通事故で、とウソをついている。
理由はそのペットが誤解されるのが嫌だからだ。
これからもそのウソをつくつもりだ。
 
ペットは私の腕の中で息をひきとった。
うまく育てることはできなかったとは思う。いまでもすまないなと思うこともある。
けれど、私は自分の、一緒に暮らしたいという、わがままに付き合ってくれたペットのことをいまでも大切に思っている。
 
それ以来、何も一緒に暮らしていない。
何度か犬や小さな動物を勧められたが、私はどうしても新しい小さな家族を迎える気にはなれないからだ。
 
猫を捨てた、と思うのも、
猫を家から出したと思うのも、好きに思ってもらっていい。
 
後悔はないのか。忘れて楽しく暮らしてくるのか、傷にはなっていないのか、と面と向かって言われれば、私はこれから先も黙っていると思う。
 
私が大昔に書いた、家にいる女性を猫と呼ぶというC Mを見て、ああ、こうしようと、思った、いま思うと色々なことのはじまりとなった物語の第一話のタイトルは、”猫を拾うということ”だ。
 
そして、先日、Amazonで三匹の猫が並んで釣りをしている置き物を買ってインテリアとして、部屋のよく通る場所に飾っている。
この先、招待しようと思っている人たちが、そのなんだかよくわからない猫のそれを見て、爆笑しながらするだろう、「なぜ買った!」というツッコミに笑いながら「いやなんとなく」と返事をするためだ。
 
こうしていくつか書いたことが、いったい、どこから来て、どういう時に私の胸の奥や体の中に入ったのか。
そしてどうして物語や、日々の暮らしの中で顔を出すのか。
 
その理由は、わからなくてもいいし、この先もさして知りたいとも思っていない。
 
20231013 エナメル
 
 
 
この投稿を書くきっかけとなった、勝手に応援しているJ-HOPEさんが、遺棄動物の募金団体に、ご家族と一緒に募金をしたというニュースを拝読し、その素晴らしい心に尊敬を深めると共に、生身の人間なのに必死で良いお手本であろうとしてくれているスーパースター達から届いた良い影響に、謝辞をおくらせていただきます。
 
 
参考リンク
 
SIPPO 様内
捨て猫・捨て犬を遺棄罪で追及するために発見者がすべきことは? 専門家に聞いてみた
 
公益財団法人
どうぶつ基金 様内
寄付のお願い特設ページ
 
 
 
 
追記
優しい方達へ。
これは私のことなので援護は不要です。