日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
お月見はいかがでした?
私は、今年はいつもより楽しいお月見ができました。
Amazonの手を借りて、私も粟をまぶしたお餅を作ってみたんですが。
美味しかったです。素朴な味わいで。
覚えている通りの味になったので、まずまず成功と言ってもいいと思います。
お・美味しかったですか?
ご自身の美味しいに合わせていただければ、と保険をかけておいたので(いや言い方)、きっとお口にあっただろうと思っています。
違っていたなら、すみません。
「粟をまぶしたお餅」という、同じキーワードを頭の中に描いているのに、現実に取り出してみるとそれは全く別々のものになる。
って、すごく面白いと思ったんです。
きっと私たちが過ごしている現実でもそうで。
同じものを見ているようでいて、見ているものは本当は少しずつ違う、というリアル。
私はこのことを考えると、すごく安心するんです。
どれも同じであるはずがないのだから、自分たちも同じであるはずがない。
同一であるわけがない。
と気持ちが励まされます。
これは、もう10年くらい前にネットでどなたかがそう書いていたのを強烈に記憶していたことが、たぶん私の中にずっと沈み込んでいて、先週の粟のお餅の話の時に顔を出したんだと思っています。
いま我が家には、ずっと欲しかったモビールが飾ってあります。
それを眺めていると、絶対にモビールって同じ形をしていないんですね。
当たり前のことなんですけれど。
って、すごく面白いと思ったんです。
きっと私たちが過ごしている現実でもそうで。
同じものを見ているようでいて、見ているものは本当は少しずつ違う、というリアル。
私はこのことを考えると、すごく安心するんです。
どれも同じであるはずがないのだから、自分たちも同じであるはずがない。
同一であるわけがない。
と気持ちが励まされます。
これは、もう10年くらい前にネットでどなたかがそう書いていたのを強烈に記憶していたことが、たぶん私の中にずっと沈み込んでいて、先週の粟のお餅の話の時に顔を出したんだと思っています。
いま我が家には、ずっと欲しかったモビールが飾ってあります。
それを眺めていると、絶対にモビールって同じ形をしていないんですね。
当たり前のことなんですけれど。
そして同じモビールを見ていても、決して同じ形を見ているわけではない、という現象。
私は時々、なにもかも実際の在り方ってそうなのではないか、と妙な確信めいた気持ちになることがあります。
若者だった頃、そのことが言いたくて、気まぐれに作ったものを寄せ集めて無料展示をしたことがあるんですけれど。
その時から、考えていることが変わっていないので、たぶん私はそこで考えが止まってしまってるんでしょうね。
ただ、このことは、私の見ている世界にはすごくフィットしていて、それ以上、肉付けしなくとも、十分に暮らしの中に入っていけるパスワードになっています。
一般的ではない、人と同じではない、ということが不安になるとき、同じであるはずがないんだ。と明るい気持ちに連れて行ってくれる効果があるので、私はこのこともとても大切にしています。
私は時々、なにもかも実際の在り方ってそうなのではないか、と妙な確信めいた気持ちになることがあります。
若者だった頃、そのことが言いたくて、気まぐれに作ったものを寄せ集めて無料展示をしたことがあるんですけれど。
その時から、考えていることが変わっていないので、たぶん私はそこで考えが止まってしまってるんでしょうね。
ただ、このことは、私の見ている世界にはすごくフィットしていて、それ以上、肉付けしなくとも、十分に暮らしの中に入っていけるパスワードになっています。
一般的ではない、人と同じではない、ということが不安になるとき、同じであるはずがないんだ。と明るい気持ちに連れて行ってくれる効果があるので、私はこのこともとても大切にしています。
普段意識していないけれど、あらためて考えてみると、インターネットってものすごくたくさん人がいますよね?
おそらく2023年の現在では、もう即座にイメージできないほどの天文学的な数の人々が、昔、仮想と呼ばれていた、現実をつなぐ無限に、自分の意志で参加している。
全員、全く別の日常を持っていて、そこからネットワークに参加したり、しなかったり、そうしていながら、時々はこうして同じものを読んで、違うことと同じかもしれないことを、一瞬、思ったり感じたりしている。
私たちは、なぜか集団になると、同じであることを強く求めてしまう傾向にあるみたいですが。
そもそもが同じではないので、個別のまま参加できる、テクノロジーが作り出した電子の宇宙の一角にある、奇妙な森の中で、日曜日についてみなさんに話している現実を私は持っています。
そしていまも、瞬時に過去に移り変わる時間にくるまれて、個別というものが織りなす、日曜日のイメージの交換を私たちは行っている。
それはなんだか、とてもロマンチックなことのように、私には思えるんです。
みなさんも”同じ”だといいんですけれど。
10月の朝、モビールを眺めながら、そんなことを思いました。
今日から10月ですね。
私の住む街では、今朝はもう気温が肌寒く感じられるほど下がりました。
熱い飲み物が楽しめる季節が始まっていますね。
私は、そのままになっていた冬支度を再開しようと思っています。
毎年ストーブの掃除を始めると、冬の匂いがして、どこか懐かしく、それでいて秋冬シーズンの始まりに、気持ちが新しくなるんですよね。
おそらく2023年の現在では、もう即座にイメージできないほどの天文学的な数の人々が、昔、仮想と呼ばれていた、現実をつなぐ無限に、自分の意志で参加している。
全員、全く別の日常を持っていて、そこからネットワークに参加したり、しなかったり、そうしていながら、時々はこうして同じものを読んで、違うことと同じかもしれないことを、一瞬、思ったり感じたりしている。
私たちは、なぜか集団になると、同じであることを強く求めてしまう傾向にあるみたいですが。
そもそもが同じではないので、個別のまま参加できる、テクノロジーが作り出した電子の宇宙の一角にある、奇妙な森の中で、日曜日についてみなさんに話している現実を私は持っています。
そしていまも、瞬時に過去に移り変わる時間にくるまれて、個別というものが織りなす、日曜日のイメージの交換を私たちは行っている。
それはなんだか、とてもロマンチックなことのように、私には思えるんです。
みなさんも”同じ”だといいんですけれど。
10月の朝、モビールを眺めながら、そんなことを思いました。
今日から10月ですね。
私の住む街では、今朝はもう気温が肌寒く感じられるほど下がりました。
熱い飲み物が楽しめる季節が始まっていますね。
私は、そのままになっていた冬支度を再開しようと思っています。
毎年ストーブの掃除を始めると、冬の匂いがして、どこか懐かしく、それでいて秋冬シーズンの始まりに、気持ちが新しくなるんですよね。
電気ストーブ、エアコン、膝掛けのチェック、室内履きの準備、やろうと思えば色々と忙しくなってしまいますが。
20231001 16:11 誤字をなおしました。