休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2022/12/24

Dear My Winter / george,Chuu

 


 

 

 

もともとクリスマスがあまり好きでは、ありませんでした。

クリスマスというのは、どうしてこんなに、寂しい気持ちを持っていたり、つまらなく過ごしている人に対して、徹底的に意地悪なんだろう・・・、といつもクリスマスを呪っていました。

 

けれど、ふと、それなら自分で面白いと思うことをやればいいじゃないか。

と、突然、ある年の11月に気がついたんです。

お金なんてそんなたっぷりあるわけじゃないから、ケーキやお酒、料理をそれぞれ持ち寄って、手作りのパーティをしよう。

そう思いました。

私は決して、いまで言う「パーティピープル」では、ないんですけれど。

面倒でやらなかったことを全部自分で引き受けて、

クリスマスを自分で作ろう、と思って、やってみたんですね。

それが、毎年、私がクリスマスをやる始まりでした。

 

その後、若者でなくなっていくにつれ、友達が変わり、私の生活も変わり、疎遠になったり、縁が手繰り寄せたり、何もしない年もあったり、しても静かだったり、すごく元気だったり、その年によって、いつも違うコンディションではあるんですが、そういう感じで、クリスマスを過ごすことを続けています。

 

この頃は、今の状況もあるので、そっと過ごすことが多いですけどね。

 

そして今年はまさかの体調不良のため、ケーキのみ、というとんでもないイブになってしまったんですが、そういうクリスマスも後で思い出すと笑えるかなと、苦笑しながら期待しています(笑)

 

去年、名曲「メリクリ」を紹介したので、毎年「メリクリ」でもいいかなとも思ったんですが、12月の初めごろ、偶然スポティファイでこの曲がおすすめに上がってきて、なんだか今年のクリスマスの音は、これがぴったりなんじゃないかと思ったので、Dear My Winter / george,Chuuに今年はしました。

 

ほっ、と気持ちがほぐれる優しいナンバーですので、ぜひ聴いてみて下さいね。

 

1年間、このブログにおつきあいくださり、ありがとうございました。

私は変なところで少し頑固なので、ここのやり方に、読んでくださるみなさんが合わせてくださっていることを、いつも感謝しています。

about thisにもありますとおり、そっと楽しんでいただける場所になれればいいな、という思いでやっておりますので、今年一年、あなたにとっての過ぎていく時間の中で、ひっそりした楽しさとして関われていたのなら、それが一番なによりです。

 

私の不注意から始まった体調不良が、いまも長引いてしまっているので、今回の年末年始のお休みは、去年より多くとる予定です。

12/31 から1/15まで、お休みをいただきます。

どうかその間、体調を崩されたりしませんよう、ゆっくりと心と体をいたわってお過ごしになってくださいね。

私も体調を整えて、スケジューリングをちゃんとできるようにしておきます。←ほんとだよ。

 

来年もまた、ものすごくマイペースな、JINさんを待つ場所、音楽の話もするブログ、日曜日は穏やかな話をするブログとして、続けてまいりますので、いつも通り、お好きな時間に来て読んでいただけると嬉しいです。

 

それでは24日です。

とても寒いですので、温かくしてお過ごし下さい。

 

メリー・クリスマス、みなさん!

 

エナメル

 

 

 

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2022/12/23

寝込んでました

 


 

雑記です。

 

軽い風邪だったはずが、この寒さの影響で、ちょっと拗らせてしまったようで、結局、二日ほど寝込んでいました。(not コロナ)

 

当然、クリスマスの準備、何ひとつできてません(笑)←失笑

 

ものすごい寒波がやってきてるそうですが、みなさんは大丈夫ですか?

 

実は、私は前回更新した後、普段、眠っている時は、火を使う暖房器具を点火しているのはダメだと判断しているので、暖房器具を切って寝てたんです。

そうしたら、低体温になってしまって。

激しい体の震えが止まらなくなって、あやうく救急車に乗るところでした。

 

なので、みなさんも、くれぐれもお気をつけください。

 

私はいま、電気ストーブをつけて、ダウン着て、これを書いています。

 

ネットを見るどころじゃなかったので、BTS関係の情報が何も入ってなくてですね。

とりあえずJINさんがいるところは、今季、雪がものすごいらしい、という未確定な話だけ入ってきています。

(天気予報をご覧になったんでしょうか?)

 

JINさんがいるところは、日本の雪深い地域とほとんど変わらない緯度なので、今年の冬は特に厳しいでしょうね。

でも寒い地域は防寒用具が発達しているので、特に心配はしていません。

JINさん自身も、冬が苦手だと自覚があるので、きっと防寒も徹底しているでしょうし。

慣れない生活の中、この寒波でJINさんも大変だとは思いますが、あったかくして、乗り切って欲しいと思っています。

 

私の体調の話に戻って、申し訳ないんですが。

もう具合は良くなりつつあるので、今日あたりから日常生活をそろそろとやっていこうかな、と思っています。

 

クリスマスはケーキだけになってしまうけれど、そういう年もあるさ、と、気持ちを切り替えて、クリスマスを過ごすつもりです。

 

みなさんも、低体温には気をつけて、温かくしてお過ごしくださいね。

 

 

それではまた次回の更新にお会いしましょう!

 

 

20221223 14:35 文章をなおしました。


2022/12/20

2022年 クリスマスウィーク

 


 

クリスマスウィークが始まってますね。

 

とても寒いですが、みなさん、風邪などひかれてませんか?

私はひいてます。←この間から何やってんの?

 

コロナではなく、ただの軽い風邪なんですが。

冬が大得意なのに、今回は油断してしまったようです。

薬を飲んで暖かくしてこれを書いているので、ご心配には及びません。

この後は、栄養たっぷりの食事をとって、念の為横になるつもりです。

 

クリスマスウィークで思い出すのは、一度でいいからチキンの丸焼きを作ってみたい! と子供の頃からの夢だったことを、若者だった頃、かなえたことがあります。

普段あまり作り慣れない、豪華な料理がいっぱい載ったレシピ本を買ってきて、大きなチキン丸ごと一匹を頬を紅潮させて買ってきて、ちゃんと詰め物もして、お腹をたこ糸(だったでしょうか。竹串だったでしょうか。その辺は薄ぼんやりしてしまって定かではないんですけれど)で綴じて、オーブンに入れて、滲み出てきたソースを何度もチキンの上からスプーンですくってかけながら、じっくりと焼く。

そういう基本のチキンの丸焼きを作りました。

 

最初は美味しいね! すごいね! とワイワイ言いながら食べていたのが、そのパーティに参加した全員が最後には、「・・・多くない?」「まだ残ってるよ」と食傷気味になり、翌朝も残っているチキンを、無理やりチキンサンドにして食べて、「もうチキンはしばらくいいかな?」という気持ちになって以来、私は作っていません(笑)。←下手だったのでは?

 

この季節になると、お肉コーナーに並ぶ若鶏の丸ごと一匹を見かけては、あのとき買ったチキンはなぜあんなに大きかったんだろう・・・? と今でも不思議に思っています。

確かあの時、スポンジケーキも手作りして、海外のお母さんって大変なんだな・・・、と変なところで感心したのをすごく覚えています。

 

以来、クリスマスは、好きな種類のお肉かローストビーフの小さいのとケーキとワインとビーフ・シチュウ、お腹に余裕があればサラダも、で過ごすようになりました。

 

決して少食ではないんですが、クリスマスのご馳走って、ほんの少しずつ食べるのが適量なのかな、と思っています。

もしかして、おせち料理と同じで、数日持たせる料理なのかもしれません。

 

私は今年も同じようなメニューで、クリスマスを過ごす予定です。

 

それではクリスマスが近づくと毎年観に行っているこの動画を紹介して、今日は終わりです。

 


 

 

'All I want for Christmas' Carpool Karaoke

 

The Late Late Show with James Corden オフィシャルチャンネルより

 

 

クリスマスの準備、お互いに頑張りましょう!

 

 

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2022/12/18

ベスの三色すみれ

 


 

「すみれ」という言葉がとても好きです。

 

菫と表記してあれば尚、好きで、薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん)とくれば、「すみれ」が泣いてるのかあ! と膝を打ちまくって、いまだに泣菫を読んだことがないのに、「すみれ」という言葉を思い起こすたび、泣菫もセットで思い出しては、その鋭敏な感性にため息をついています。

 

タイトルにある通り、最初に「すみれ」を意識したのは、若草物語のベスが、隣の家に住むローリーのお祖父さんへ贈るスリッパに、三色のすみれを刺繍したエピソードを読んだ時です。

 

ご想像の通り、

刺繍? 

プレゼントを贈るだけでもスペシャルなのに、それにすみれの花を刺繍する? 

しかも三色すみれ? 

・・・って、一体どんな花? 

と、当時まったく身近ではなかった、美しい手仕事に強く憧れたり、三色すみれがパンジーやヴィオラのことなのではないか? と思いあたるまで、頭の中で色々な花を想像しては、うっとりしていたものです。

 

調べていないので、ベスが刺繍した三色すみれがパンジーやヴィオラなのか、それとも、私の住む日本を含むアジアに多く分布する、青く、ささやかな花の「色違い」だったのかは、いまだに調べていないのでわかりません。

 

きっと泣菫の精神の中で、ひと粒の真白の涙を落としていたのは、春を告げる青い花の方でしょうけど、ベスがスリッパにあしらったのは、パンジーやヴィオラがピッタリだと思います。

 

三色すみれの刺繍入りスリッパについて、色々と思いめぐらせはするんですが、このエピソードの正解がわかってしまうと、余白がなくなってしまってつまらなくなるので、今でも疑問のまま、大事に持っている小さなひとつです。

 

これを書くにあたって、馴染み深い花なのに、そういえばよく知らないなと思い、検索すると、Wikipediaにはパンジーとヴィオラは広い意味では同じ種類だとありました。

 

今季、我が家のベランダには、花を待つクリスマスローズと、いまはヴィオラが揺れています。

 

ヴィオラの花言葉は「誠実」。

 

浮わついた私には少し厳しい言葉だけれど、小さな静か姫には、とてもぴったりな花言葉だと思いました。

 

今年は厳冬になりそうなので、寒い夜は手仕事をしたり、甘いお菓子を作って過ごしてみようかなと考えています。

 

ベスと違って、刺繍ではなく編み物ですし、牛乳寒ではなくプリンですけれど。

 

それでも、電灯の下、好きな音楽をかけ、無心で手を動かしていると、胸の奥がやがて鎮まり、部屋の温度が少しあがるような、そんな心持ちがするんですよね。

 

みなさんは、この冬、どう過ごされますか?

 

それでは、温かい飲み物を入れて、素敵な日曜日をお過ごしください。

 

 

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2022/12/17

 SZAのSOSを聴きながら思っていること

 


 

今日は音楽の話です。

 

SZAの最新アルバムSOSはもう聴かれました?

私は発売日当日から夢中で聴きまくっています。

このアルバムは事件と言っていいんじゃないでしょうか。

 

いやー、すごいです。

ご本人のインタビュー等、言葉の断片を見ると、前作のあまりの評判の良さに、プレッシャーというか、逆に、だからと言ってプライベートでトラブル続きの人間に、高いレベルの作品を期待するというのは、人間に対する姿勢じゃない。機械に対してやることだ、というようなことを(私の覚え書きなので、正確な情報を知りたい方は検索してください。ごめんなさい)、言っていて、そりゃそうだろうなぁ、と思っていたら、このアルバムです。

 

びっくりしました。

良すぎて。

 

歌われている内容については、もう訳がガンガン上がり始めていると思いますので、それはおいおい語っていこうかなと思っているんですけれど。

 

もうタイトルがSOSなので、とても精神的に落ちてる状態を切り取った作品が多いようなんです。

楽曲面では、メロディラインがより透明感とプライベート感を増していて、ちょっと内面に踏み込みやすい音の連続で、その状態がしかもハイクオリティなため、危うさすら漂っているように私には聴こえました。

 

で、これはもうアーティストの宿命なんですけれど。

 

そういう状態でも良い音楽ができてしまう。

そしてそれをリスナーであるこちら側は愛聴している。

 

という、アーティストとリスナーの不思議な関わり合いが、これはこれで至福なんだけど、でもSOSって言ってるし・・・。

こうやって聴いていて、それだけで、本当に大丈夫なのかな? と、このアルバムがリリースされるまで過ごしていたSZAの精神状態を、やはり心配してしまう気持ちがあるんですね。

 

SOSを聴いて、SZAを待っていた人達は多かれ少なかれ、そう思うんじゃないでしょうか。

 

私もやっぱり、アルバムすごくいいんだけど、SZAは大丈夫なのかな? 作品に昇華できている時点で、自分の中で痛みや苦しみが整理できたのかな? とか、色々考えてしまうんですよね。

 

私はアーティストのプライベートって、本人が語らない限り、決して踏み込んではならない部分だと思っています。

 

どのような世界が作品に提示されても、それはあくまでも楽曲の世界観であって、作った本人の全てでは当然ないですし、時間の面で言えば、過去のことなんですね。

いま現在のアーティストのことは、本人が語らない限りわからないし、語った端から過去になっていってしまうので、いま現在を共有することは、決してできないものですから。

 

けれど、痛みというものが、確実にそこにはあったのだ、というものに触れると、その痛みとの関わりが、治癒に向かう作品昇華であってほしいな、と、すごく勝手なんですけれど、リスナー側のエゴと分かっていても願わずにはおれないんです。

 

カート・コバーンのこと然り、他のミュージシャンのこと然り、やっぱりありますしね。

 

私はそこまでポジティブでは無いんですが、創作という方向に生きる道を見い出すのが、アーティストの在り方のひとつと思っているので、痛みを作品にしていく過程で、よくアーティストの宿命と言われている、幸せになったら作品が創れなくなる、っていう、本当に馬鹿げている言葉に縛られないで欲しいと強く思っています。

 

身も蓋もないことを言えば。

幸せであっても痛みは続くし、暗い気持ちはやはりあるんですよ。

 

けれど明るいものに照らされている時間が長くなっていっていて、できていくものの彩度が上がっていく事象があって、作品がゆっくりとうねりのようなものを伴って変化してくことは、側から見たら、あれ、明るい方向に変わったな、と思ってしまうことがあっても、それは絶対にアーティストとしての失敗では無いんです。

 

その時触れているものを作品に変化させることができる人達の創造の記録なので、生きていっているんだから、変化して当然なんです。

 

それができている限り、失敗では断じてないんです。

 

商業的に成功するかどうかは、その時、人が聴きたい音の多数決がどれだけ分かっているか、ということであって、アーティスト性とは全く無関係なんですよね。

 

その両方できる人がトップミュージシャン、スーパースター、トップアーティスト、呼び方は色々ありますけれど、そういう巨大な存在になっていく。

そういうことなんだと私は捉えています。

 

なので、創作がアーティストにとって救いと言われるものの一片である限り、治癒の側面を持つ限り、明るい方向に向かうことを恐れないで欲しいと思っています。

 

以上、ざっくり言うと、

 

SZA、すごいアルバムをありがとう!

大変だったんだね。

あなたを苦しめているトラブルが全部、解決するといいし、物事が明るい方向に向かうといいね!

リスナーもあなたのことを大切に思っているよ! 」

 

でした。

 

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