暴力を想起させる内容を含んでいます。
苦手な方はご注意下さい。
相変わらず、なにがなんだかわかっておりませんが。
もう、わからないときは、自分ならそうしてもらったほうがいい、という判断をするしかありません。
どういうつもりであったか知りたい、と、もし、相手に言われたときは、ネットでは私は気を遣って、なるたけ角が立たない、うまい言い方をします。
それでうまく治まるなら、ウソはウソでいいじゃあないか、と考える人間でも私はあるので。
本気でぶつかって行く相手には、実は、こっちが本気なんだから、思いやりとか気遣いとか、生ぬるいことを言うな! ごまかさねぇで本当のことを言ってくれ、というような、一本気な性分を持っていたりも、します。
まあ、世の中には、往々にして、いちいち本当のことなんか言わないほうがいいことが山のようにあるんですけどね・・・。←このへんが歳月を感じさせますね。簡単にいうとババアになったってことです。
先にお詫びをしておきます。
どう考えているか、どう思っているかなんて、その本人にしかわかりようもないことですが。
ここまで、本人もあっちこっちも騒ぐんだから、本気で知りたがっていると判断したほうがいいようです。
だったら、本気で答えます。
もう忘れてたし、なんとも思っていません。
どうか、お気になさらないで下さい。
本題に入ります。
私は、過去に立派な人というものに会ったことがありませんでした。
ちょっと色々と複雑な人生ですので、立派な人というのは、そのときだけ立派な人で十分、という考え方をずっとしていたし、今もしているんですけれど。
でもそういう人には、私の過分な体験の数を差し引くほど会ったことなんか一度もなかったし、ほんのちょっとでも出会えないものか、とあきれ果てながら若者をやってるときも、会えなったんです。
だから、もうそんな人間はこの世の中には存在しないんだろうと、どこかにいたとしても、私の人生には姿を現さないんだろう、そうかいそうかい、なるほどね、と思っていました。
それから時間が経ち、そんな風に考えていたことも忘れていた頃、私には縁もゆかりもなかった人々が存在することを知りました。
その人達は、いわゆるインテリと呼ばれていた人達で、知識層の人達で、それで飯を食ってる人達でした。
紆余曲折あり、私は、生まれて初めて、その人達とその人達のことを理解し支持する、頭の良い人達の集まりに行くことを、高層ビルの上から飛び降りる気持ちで決め、当日を迎えました。
最悪な日だった。なにもかもが最悪の日だった。
私は、身綺麗にして行き、上品に振る舞おうと決めていたのに、緊張してなにもできなかったし、お世辞くらい言えば良かったのに、やっぱりそんな取ってつけたことようなことを言うのはいけないと思って黙って微笑んだつもりが、薄笑いを浮かべたと勘違いされ、それでいきなり嫌われて舌打ちされて、せっかくしてやってるのに感謝もできないのか、と言わんばかりの態度をあっちこっちからされ、うまくごまかせば良いのに何一つ誤解を解く真似もできなかったんです。
すぐ帰れば良かったのに、その判断能力すらうまく機能しなかった。
私の頼みの綱のセンサーは狂い、なけなしの知ってる社交の真似事ひとつ出来なかった。
無関係なアクシデントも起こり、会場は怒りと動揺に満ち、そのことで私は脅え、もっと動揺し、なんとかしなければならないと余計な振る舞いをした挙げ句、用のない人間には用など欠片もないのだと思い知らされ、棒立ちになり、もう私は真っ青だったと思う。
会は終わり、その後、会場を出た私は、外で気持ちを整えていた時に、よりにもよって、私のことを主催側と登壇した人達とスタッフが噂しているのをはっきりと立ち聞いた。
最低な話題だった。
私のことを、ネット越しに知っていた登壇者の現地妻だと言った人がいた。
いくつなの? とその人は重ねて尋ねた。
私の登録した実年齢をあっさりスタッフは明かし、わかーい!と場がはしゃいで盛り上がった。
若く見られたいんだろう。とんだ若作りだと、私のことを全員一致で断定してもまだ飽き足らず、しつこく私のことを現地妻だと言う、最初の声のその人に、ネット越しに知っていた登壇者は、ためらいながら、こう言った。
「タイプじゃないよ・・・」
なーんで、いっつもこういうことになるかなー、とその時には、自分の計り知れないほどのツイテなさに呆れかえりながら、どのタイミングでタクシーを呼んでもらおうかとぼんやり考えていた時に、その言葉を聞き、ちょっと驚いた。
・・・え?
と思った。
その時のその人の声は、すごく困りながら、言いにくそうに、けれどそれ以上囃し立てられないように、都会的なインテリジェンスを漂わせた声を出して、
「タイプじゃないよ・・・」と言い、すぐに別の話題を投じた。
この人は、なんでその場に私がいないのに、私の名誉を守るんだ? と私はその日、何度目かの驚きの中に突き落とされた。
なんで、この人は、私のことを、
「やめてくれよ」とか、
「あんなの現地妻じゃないよ」とか、
「俺は面食いなんだよ」とか、
自分とご自身の奥様を守るために言わないんだろう? と、驚いた。
その時、知ってるだけで意味がわからなかった言葉が頭に浮かんだ。
『何を言うかではない、何を言わないかが知性だ。』
そして思った。
これが知性かぁーーー。
その後、もっと最悪なことに、誰かがバタバタと走り込んできて、「外で聞いてるぞ! 窓が開いているだろう!」
と言った。
一瞬静まりかえり、なんのかんのと誰もが口々に言い訳をして、その最低な場はお開きになった。
私は、これ以上、知りたくもないことを聞かずに済んだことに感謝した。
私は、子供っぽい恋愛脳の持ち主が嫌いです。
すぐ、あの人はこれがあるからこの人のことが好きで、この人は絶対このことを期待して。
と、勝手に自分の乏しい体験を照らし合わせ、
(数じゃありませんよ? どれだけ恋愛を想い、考え、ただの一回であっても、想いを抱いた相手と強い体験をしているかの話です。)
そのことをさも世の中の真実のように、自分の経験値の低さが露呈していることにも気づかず、恥ずかしげもなく言ってやまない、その未熟すぎる馬鹿馬鹿しさがとても嫌いです。
それまでも、その後も、その幼稚な、小学生でもやらない恋愛脳の持ち主の空想に、私は常に、意図的に曲解され、侮辱され続けてきたからです。
例えば、寝言で言うくらいだから、それは本心なのだろう、とか。
夢に見るくらいだから、とても強い感情があるのだろう、とか。
気を遣って、憧れています、と言わんばかりの光を瞳に宿す社交テクニックや、
悪意がありませんよ、となけなしの優しさを意図的に宿す瞳を見て、
ほら、あの人は年中欲情してるんだよ、目を見ればわかるでしょう?
という馬鹿な判断が、とても嫌いです。
欲求不満、男好き、惚れっぽい、男しか頼みにならないバカ女、それくらいが、聞こえないふりをしていた現実の私の耳に届いていた、20代から20代後半の男女の言葉です。
まるでノーマ・ジーンのようです。
もっともノーマは、世界中からそれを食らっていて、深く傷つき、そのステレオタイプな価値観が生涯、大迷惑だったでしょうけれどね。
その会の後、私は、その悪口大会を望みもしないのに立ち聞いていたことを知っている人達が、その方の振る舞いを私が聞いて、かわいそうな、現実では満足に口もきけないインターネットの年老いた女が、過剰に期待し、ひょっとしたらその紳士的なふるまいをした人に恋をするかもしれない、と。いや、したはずだ。と。勝手に決められるのを警戒し、ネット上の知ってるだけの相手は、実際はお前なんかのことを知らないし、とるにたりない存在である、と言われるのが悔しくて、一生懸命、その人は私のことに気がついていたと、誰も信じないことを書いた覚えがあります。
なぜか、その人は、その後も、
傷ついたことを八つ当たりするのは、もういいかげんにしなさい、と判断されるまで、
もっともノーマは、世界中からそれを食らっていて、深く傷つき、そのステレオタイプな価値観が生涯、大迷惑だったでしょうけれどね。
その会の後、私は、その悪口大会を望みもしないのに立ち聞いていたことを知っている人達が、その方の振る舞いを私が聞いて、かわいそうな、現実では満足に口もきけないインターネットの年老いた女が、過剰に期待し、ひょっとしたらその紳士的なふるまいをした人に恋をするかもしれない、と。いや、したはずだ。と。勝手に決められるのを警戒し、ネット上の知ってるだけの相手は、実際はお前なんかのことを知らないし、とるにたりない存在である、と言われるのが悔しくて、一生懸命、その人は私のことに気がついていたと、誰も信じないことを書いた覚えがあります。
なぜか、その人は、その後も、
傷ついたことを八つ当たりするのは、もういいかげんにしなさい、と判断されるまで、
ネットで一方的に知り、まとわりついて迷惑ならそう言えばいいじゃないですか?
本当のことを言えと言うのなら、あなたも本心を堂々と言うべきだろう。
なに気遣う必要も縁故でも何でもない、ただのネットの卑怯者だ。遠慮する理由など微塵もない。
なぜそこまでご自身の品性を保ち、教育者であることばかりに気を取られ、私が昔の奥様に似ているなどと、思いっきりすぎるウソまでつかれるのか。
ネットで見せていた私の事実は、そんなにも、かわいそうな人間だったのですか?
という言葉にしない私の問いに、ああもう、これは答えたほうがいい、と判断されるまで(まあ、正直、私の可愛気のなさにハラワタが煮えくり返っておられたと思いますが(笑))、
ーーー、私の名誉を守り続けました。
それが、私の人生に初めて登場した、立派な人の話です。
あの頃、私は今もたいして変わりませんが、なかなかにハードな日常でした。
ご存じですよね?
だから、これを救いとし、異性として憧れに似た好意を抱いたほうが、それを明らかにしたり、示唆したり、そうしたほうが色々と場が治まるし、私の人生にも都合が良いのかもしれない、と思わなくもなかったんですが、それはそれで、自分が相当惨めになるので、やっぱりやめたんですよ。
なんだか、役割が入れ替わっているだけで、良く似た話ですね。
そして時間が過ぎ、私はそんなことがあったこともすっかり忘れ、ただ私の中にある、相手を傷つけずに事実を明かす言い方として、「タイプではない」というキラーセンテンスは極上のものだ、という価値観だけが残っています。
一軍美人という言葉を私はこの3年で、いきなり作りましたが。
大昔、子供の頃から多感な時期を経て、大人になって最期に会った時すらも、私のポンコツ家族は、決して一軍美人ではない私を認めようとせず、嘲り、自分の友人には恥ずかしくて見せられないから顔を出すな、と、実際、隠されていました。
だから、私は、人の好みには特に興味を抱きませんが、一軍美人しか絶対に人として認めない基準を持つ人間には、ロクな人間はいないし、私のような人間を常に攻撃対象にする、という警戒心を持っています。
2024年から遡って、ちょっとだけ過去に、本気でお知りになりたかったのだろうな、と、判断したので、書きました。
同情して下さってありがとう。
正しく、誠実な、その時、ご自分にできる範囲を差し出した、立派な振る舞いだったと、私は思いました。
涙は出るようになりました。
そして、長い間、壊れていた部分を修復するように、泣き続けていた時間も終わったようです。
よかったです。では。←そんな終わりかーい。
エナメル
追伸
一茶の句は、書いたとおり、足穂と漱石にかけたものです。
万が一、誤解されたとしても、手の届かない相手を取ってくれと駄々をこねる子供の意なので、綺麗な心そのものに抱く憧れ、という範囲で誤解されるだろうと踏んでいました。
まさか、こんな途轍もなく明後日の方向に取られるとは、夢にも思いませんでした(笑)。
私は、いつも周りに気を遣い、角が立たないように、うまくまとまるように、そういうことばっかりすぐやってしまう癖があります。
そのせいで自分が不利な立場になったり、悪感情を抱かれて攻撃されるのを怖れる気持ちから来ています。
その上、考えすぎて行動することが多々あるので、あまり理解されず誤解ばかりされます。
なのに、とてもよくご存じのように、怒るときは、普段我慢している分、カンカンになって怒り、ありとあらゆる悪罵が口から飛び出すときもあります。
余程、親しいパートナー以外に、相手に向かって言うことは、なかったはずですが。
実はいまの現実も半信半疑な心配事があります。
そういう理由です。
20240128 21:42 誤字とわかりにくい箇所をなおしました。