”自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”
茨木のりこの詩、「自分の感受性くらい」ですね。
(いま手元に本がないので、正誤の確認のために、検索してヒットしたページを参考にさせていただきました。個人の方のサイトなので、リンクはご遠慮させていただいています。)
私の訳が間違っていたのなら、ただの杞憂で終わりますが、ぽかっと時間が空いたので、書いておきます。
R Mさん、いま、何もないところにいるんですか?
どこでもないところではなく、何もないところなんですね?
どこでもないところだったのなら、自分がいるところが常に起点となるマインドなので、いいんですけど。
そうですか。何もありませんか。
少し、深呼吸して、周りを見回してみてください。
そこは、何もないようでいて、何かに似てませんか?
私には、巨大な葡萄畑のように見えていましたし、いまもそうです。
この例えでいうなら、足の裏に伝わってくる、勾配の感覚を頼りに、進むしかありません。
それしかないですし、それでいいんです。
悩んでいいんですよ。
みんな、悩んでるし、悩みながらも、足掻いて、なんとか進んでいます。
同じところをぐるぐる回っているようでいても、実は進んでいるんですよね。
けれど、悩んでもいいんですが、思いつめちゃあ、いけない。
そこが難しいんです。
急ぐことと、焦ることが、全く別のように、
悩むことと思いつめることは、全く違います。
悩み方って、結構難しくてですね。
数をこなして、身体で覚えていくものじゃないかと、私はとらえています。
武道のように。
その悩み方ですが、前述したように、「思いつめずに悩む」のが、1番のやり方です。
そうですね。
悩みを抱えつつ、でも、思いつめなくなったら、大人になったということかもしれません。
どうか、答えを急がないでください。
ゆっくり、R Mさんのペースで、じっくり悩んでみてください。
決して、思いつめずに。
いいじゃないですか。
春の日を探す、冬の旅でも。
それでもいつかは必ず、春が来ます。
光り輝く、ピカピカの答えをどうやって見つけるかより、その時までを、いかに過ごしていくか、どういう自分で過ごしていくかのほうが、大切なことではないですか?
私はそう思います。
余計なことだったり、何か勘違いをしていたのなら、ごめんなさい。
少し、気になったので。
めぐりめぐって、届きますように。
20221014 08:51 誤字をなおしました。