休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/03/26

そば粉のガレット

 


 

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。

 

そば粉のガレットが好きです。

 

何かの料理雑誌でレシピを見て、その日、休みだったこともあり、人気のない午後のスーパーにそば粉を買いにいき、一晩我慢して生地を寝かせて、フライパンで焼いて作りました。

 

とても簡単な、失敗しようもないレシピだったんですが、肝心の雑誌がなんだったか忘れてしまったので、新たに検索して、記憶にあるものとほとんど同じレシピのリンクを貼っておきます。

 

参照リンク

プロから学ぶ簡単家庭料理 シェフごはん

小川 智寛シェフのレシピ

そば粉のガレット

https://chefgohan.gnavi.co.jp/detail/5028/

 

 

生地ではなく、ガレットの上で火を通す具材に卵が使われていますが、みなさんご存知の通り、現在は卵が不足していますので、省略してもとても美味しいです。

 

アレンジとしては、スーパーカップのバニラとダークチョコレートを買ってきて、焼けた熱々の生地の上に、スプーン一杯のバニラアイスと刻んだダークチョコレートを乗せて食べても美味しかったです。

 

コツとしては、生地を一晩寝かすことだと思いますが、待てない時は30分から2時間冷蔵庫の中で寝かして焼いても美味しかった記憶があります。

 

そもそもガレットとクレープって何が違うのかと検索すると、強調スニペットに「生地に使われる材料が違う」とありました。

ガレットはそば粉、水、塩に対し、クレープは小麦粉、牛乳、バター、砂糖などの甘い生地、なんだそうです。

 

ガレットまたはクレープって、フランスはブルターニュ地方のお菓子なのに、そば粉を使うって? と不思議に思ったんですが、ウィキペディアのクレープの歴史のところに、ブルターニュ地方は、元々小麦粉の栽培が困難で、そばが常食とされていた、とありました。

日本のように麺にはせずに、そば粥やそばがきにして食べていたそうで、どうして日本は麺にしたんだろう? と果てしなく疑問が湧いてきます。

調べていくとキリがないので割愛しますが、ウィキペディアって疑問のリンク先を調べ出すと、数時間は軽く経ってしまいますよね。

なので、私はあまり疑問が湧いてこないうちに、ウィキペディアを閉じるようにしています(笑)

 

クレープとガレットでは、どちらかというとガレットの方がより好きです。

 

ガレットの、ざっくりしていながらもっちりとした食感と、生地が甘くないので、上に乗せて焼いたり焼いたあと乗せる食材を選ばないところが、オールラウンダーで助かるからです。

 

クレープなら普通にシーチキンとレタスの千切りを巻いたものか、バナナチョコクレープが好きです。

あとは、スタンダードなクレープという言い方が合っているかわかりませんが、バターとチョコレート、シナモンでくるりと巻いただけのクレープが気軽で、コストコでたまに買っています。

 

クレープって食べる時に、パクパク行けるところが手軽なのが、よく買って食べている理由なんだと思います。

 

そういう意味では、サンドイッチやブリトーなども、私の食生活にはよく登場します。

 

ただ、作るとなると、大量にできてしまったり、ガレットやクレープの場合、生地をフライパンで焼くときに少しだけコツがいる、その面倒くささを乗り越えないと、私も作るまではなかなかしません。

 

それでも定期的に作っている理由は、少しだけ時間の贅沢をした気分になれるからだと思います。

 

それは料理や製菓全般にいえることなのかもしれませんが、集中して手を動かしている、自分のため、または自分が作りたいという、自己という小惑星だけの時間は、暮らしているささやかな時間の中に、とても豊かな結実をもたらすものだと、体感として知っているからではないかなと、見当をつけています。

 

日常の積み重ねって、表面的には、新鮮味がなく、刺激のないもののように見えますが、いざ、その時間の中に身体ごと飛び込むと、すごく独創的でのびのびした時間の層が、はっきりと見えてきます。

 

そういうことをひとつずつ拾い集めながら、暮らしというものを再発見していくと、つまらないな、と思っている部分の全部ではなくても、ほんのひとかけら、ふたかけらが、日々の面白さにつながって、いつの間にか豊かなものとして自分の深い部分に蓄積していく。

そういうところが、暮らし、というものの醍醐味ではないかと、私は思います。

 

ーーそして、難しそうだけれど簡単で、簡単だけれどとても大切な、闇夜を照らす灯台のようなあの冊子の冒頭にある言葉が伝えたいことは、そういうことなのではないか、と私見ながら、解釈している次第です。

 

新生活を前に不安になってる方、もしおられましたら、あまり張り切らず、まずは力を抜いて、ご自身のペースで暮らしを創る。

そういう心持ちで、新しい時間に入っていってみてください。

 

始まりの最小単位は、ひとりです。

まずは、その自分という相手と、平凡と呼ばれる時間の中で、じっくりとつきあってみる。

そうすると、案外、自分というものは、とても頼りになる心強い味方で、人生というものを往く、最初の大切なパートナーなのだということが、わかってきます。

それまで意識していなかった自分が、実はあまりにも優秀で、そこから始まるあれこれが、ささやかだけれど驚きに満ちている瞬間の連続を運んできます。

それこそが当たり前の暮らしという時間の始まりの合図です。

 

深呼吸して、やっていきましょう。


新生活、おめでとうございます。

 

 

それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

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