休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/06/03

🌈 たとえば こんな、お国自慢 

 

おはようございます。

今日は雑記です。 


 

音楽は、私が昔っから愛聴しているブラック・ビスケッツの「Timing〜タイミング〜」。

 

 

 

とてもとても深い歌詞といつでも心に寄り添うメロディで、たくさんある私の人生の課題曲のひとつ、として、

心細くなったとき、

一生続く、自己嫌悪だらけの日常に折れてしまいそうなとき、

かなしいとき、

心配なとき、

そういう時に、どこからか探し出してきて、聴いています。

 

不思議なことに、気持ちがダメになりそうなとき、

いつもどこからか、この曲は私の元にやってきます。

 

それは忘れていたM Oからかもしれないし、

カセットテープかもしれないし、

ラジオから流れてくるときもあるし、

今だとYouTubeの動画かもしれないし、

今日みたいにSpotifyで見つけられたりします。

 

ブラック・ビスケッツってなんだ? とか、

どうして、あのビビアン・スーが参加しているんだ? 

とか、

色々知りたいことは山ほどあるでしょうが、

今日は別の話なので、

気になる方はWikipediaをご覧ください。ごめんなさい。

 

タイトルにあるとおり、ここを始めてしばらく経ちますが、そういえば自慢話を、一度もしたことがありませんでした。

 

なので、今日は、ひとつ、自慢話をしてみようと思います。

 

といっても、私には自慢できるところが何もないので、私が住んでいる日本という国の自慢をします。

 

ただ、いい所ですよ、だとか、

寿司が美味しいとか、

たこ焼きもあるよ? とか、

カツ丼が最高!とか、

牛丼は私は吉牛派なんですけれど、(吉野家の牛丼が大好きという言い方です。松屋も素敵)とか、

トンカツの美味さは異常とか、

SUKIYAKIって曲のタイトルは、食べ物のあのスキヤキの名前なんですよ? とか、

その人のお勧めするカレーがマズいって相当だよね? とか、

そういうことは、書きません。

 

「不思議の国ニッポン」ということで、

この国にある、とても不思議な不思議な、お笑いと呼ばれる芸能のことを、自慢します。

 

ジョークの国は、もちろんイギリスです。

ですが、奇妙なんですけれど、日本にはお笑いの専門の会社が何社もあるんです。

その中でも大きな会社が二つあって、そこは一流中の一流の会社であることは、ひょっとしたらみなさんの国にも伝わっているかもしれません。

 

会社の名前は知らなくても、あれ? という日本からやってきたコメディアンは、その会社と関わりを持ってることがほとんどなんです。

 

そんな国は、日本以外にはありません。

 

どうして日本でそこまで「笑い」というものが独自に発達し続けているのか。

 

どうして日本人は「笑い」が、そんなに好きなのか。

 

日本人の特性として、ポジティブではないのに、なぜそんな明るいものを好むのか。

 

ポジティブではない国民性の土壌に、一体どうして数々のコメディとみなさんが呼んでいるジャンル「も」ある、「笑い」という芸能が強く根付いているのか。

 

どうして「笑い」が商売として、興行として、日々成り立っているのか。

 

とても奇妙なことではありますが。

 

とにかく、もう、そういうことなんです。

それが、日本なんです。

 

詳しく知りたい方は、私なんかが書くより、たくさんの研究書が出されていますので、そちらをご覧になってみてください。

 

私のお笑いの好みを書くと。

この頃では、ジェームズ・コーデンの笑いが好きで、チャーリー・チャップリンも好きだけど、バスター・キートンがもっと好きで、ウェインズ・ワールドのウェインとガースは、いつまでも、いつでも、最高にクール!という「お笑い背景」です。

 

そんな私が、ここで書いている、何だか上手くないジョークっぽいことは、すべて私の住んでいる日本で、とても盛んな芸能、「お笑い」というジャンルのプレイヤーである、「芸人」さん達のパクリです。

 

え? その程度でパクってるっていうわけ? 

と言われそうなので、

えー、パクってるつもり、です・・・。

 

あまり面白くないので、文末にいつも(笑)をつけています。

ここで笑ってください、とダメ押しをして、読んでくださっている方々の失笑を日々買っています。

 

(笑)←これ一体なんだろう? 

なんでこの人、文章の後によく付けてるんだろう? と思っていたあなた!

そういう理由です。そういう訳だったんです。

つまらないから付けるんです。

他の方は知らないですが、私はそういうつもりで使ってます。

 

余談ですが。

(笑)という言葉をどう訳されているのか、とても心配していますが、きっと大丈夫でしょう。

どこの国にも、いまさら使うにはちょっと古臭い、ナードな感じの文字スラングってありますしね。かっこ笑い。

(私はオタクです。ナードの方。)

急に画面越しに振られて、びっくりして、前後を忘れてしまった方のために。

 

今日はですね。

エナメルのヤロウが、初めて自慢話をするというので、まぁちょっと読んでやろうか、というみなさんが、ここまで目を通してくださっています。

まだ始めたばかりですので、大丈夫です。

どーぞ、どーぞ、そこにそのままお座りになっててください。

自慢話をしますのでね。

いまちょうど、私の自慢ではなく、私が住んでいる日本という国の自慢をする、お笑いというのが日本にはあって、芸人さんというプレイヤーたちが毎日しのぎを削っている、ってところまで書きました。

じゃ、続けますよ? (feat.林家三平)

 

話を元に戻すと、ここでのジョークっぽいものは、全部パクってます。

そして上手くパクれていません。

理由は、私が「面白いやつではない」からです。

 

「芸人」さんと書いたのは、「さん」は、みなさんご存知の通り日本での敬称ですので、「芸人」(GEININ)が名称だけど、呼び捨てにしないで「さん」をつけて呼んでくださいね。

という意味で、「芸人」さん、と書きました。

 

簡単に言うと、「さん、くれろ!」ってことです。

(この星の一等賞になりたいの、卓球で、俺は。そんだけ! from ピンポン)

 

<こういうのを、まぁ、文章でやるサンプリングという感じでやってるんですけど。

手法として確立されているかは知りませんし、説明もしませんし、とっくに天才脚本家がやっていたことです。

ヒップホップっていうのが出てきた時点で、文章界隈にもその影響が出てるのは、当たり前といえば当たり前だと私は思っています。

もっと言えば、私は、その日本語ラップ文化の影響を強く受けている者のひとりです。

A Iが文章書いてプロの方がプロデュースする時代ですのでね。もうこのやり方もお馴染みですが。>

 

 

ややこしいので、以下は芸人さんとします。

 

その芸人さん達ですが。

ここを読んでくださっているみなさんは、不思議に思ってらっしゃると思います。

お前は、あのBTSですら、妙に冷感温度でいるけど。

(いや、私はBTS十分熱いですよ。)

 

じゃあ、お前にとって熱くなる対象は、どういう人たちなんだよ? と。

かっこいいと、掛け値なしに言える存在は、どういう人たちなんだよ? と、言われるとですね。

 

それは、

私にとっての、永遠のアイドルであり、

ピカピカのパラダイスであり、

ギラギラのパラダイスであり、

輝く、天翔ける星であり、

ときには心の中だけに存在する、かりそめの友人になってくれ、

ときには厳しいアドバイスをしてくれる、信頼できる年上の友人であり、

ダメな私をダメだな、と何も言わずに叱ってくれる人達であり、

行くあてなんか最初からない、

帰る場所も、ここ以外にはない私を、

私のような同じ気持ちの人達を、

それとは違うけれど、な人達、それぞれみんなを、

 

いつもご本人達はつゆ知らずに、

そっと遠くから、

たったひとりずつを励まし、寄り添ってくれる。

 

そういう、なにより、

いつでも、私を笑わせてくれる人達なんです。

 

芸人さん達に対する気持ちが同じ気持ちの人は、日本にはたくさんいます。

 

(最近では、お隣の韓国でも日本のお笑いが浸透してるみたいで、嬉しいです。韓国のお笑いも、詳しくないけれど私は大好きです。)

 

 

・・・冴えない自分、

弱虫の自分、

卑怯な自分、

それでも、いつまで経っても、変われない自分。

いい格好しようと立ち上がったまではいいけど、なんの役にも立たなくて、ただ恥をかいただけの自分。

傷ついたのに、平気なふりばかりして、結局いつまでもこだわっている自分。

本当は嫌なのに、正々堂々とやめてくれと言えない、臆病な自分。

嘘つきな自分。

嘘をつかないで生きていられる人間の、その権力に気づこうともしない相手に、言い返したいのに、上手く言えない自分。

ただの一度だって誇りになど思ったこともないのに、思い上がってると信じ込まれている自分。

知らないうちに、なんだかよくわからないものになっちゃってる自分。

 

結局、いつもひとりでいる、臆病でエゴイストな自分。

 

でも、ごくたまには、マシな自分。

 

その自分自身の姿の本質を写し取り、とても上手に笑いに変換し、クスッと、時には腹がよじれるほど、笑わせてくれる。

 

それをやってのけるのが、芸人さん達なんです。

 

 

笑うことがそんなに大切か、と思われるかもしれません。

 

でも、そうですか?

笑うことって、そんなに重要視できないものでしょうか。

 

なぜなんでしょう?

なぜ、笑うことは、そこまで大切にしなくていいと思われてるんでしょうか。

 

笑っているひとときが、ただ過ぎるだけの、愉快で面白い時間だから?

笑う、ということは、そこに到達するまでの、知性や苦労が、「表面上、見えにくい」から?

 

みなさん、よくご存知の通り、

ジョークというものは、権力に対抗する弱者の大切な武器です。

 

 

でも、私はずっと不思議に思ってるんです。

 

では、権力に対抗するとき以外の笑いはどうなるんでしょう?

 

それが権力である、と、まだ名付けられずに、巧妙に、陰湿にはびこっている、自在に姿を変え、時には陽気で親しみやすい顔すらしている、対峙したものだけが本能で気がついている、言語化されていない、そんな色々に立ち向かう時の笑いは?

 

うずくまっている時に、そっと肩に手をかけてくれる、良いことを言おうとして、全然うまく言えない、あのおかしなおかしな、涙が出てしまう不器用な温かさは?

 

わかるわかる、と、わかるはずもないのに近寄ってくる相手を払いのけた時の、せいせいした、腹の底から込み上げてくる、痛みにとてもよく似た笑いは?

 

それは、ワールドワイドでは、どういう扱いなんでしょう?

大切なものと認められていないんでしょうか。

あまりにも瑣末だと誤解されて、看過されて良いものだということになってるんでしょうか。

 

もし、そうだとすれば。

 

それは、私が住んでる日本だけではなく、この世界中のありとあらゆるところに氾濫しているのに、なぜ、認められていないんでしょうか。

 

なぜ、それは時間の浪費のように、ただの消費のように思われているんでしょうか。

 

気まずいひとときを、実は心の底でちょっと笑っていること。

 

気が利きすぎているジョークを言う相手を、醒めた目で見ている、なんだかおかしいひととき。

 

なんでも肯定する気味の悪さを、あえて誰も突っ込まずに観察している、笑うのを堪えているあの感じ。

 

「通らばリーチ」な相手に、キッパリ断った時の相手の壊れたおもちゃみたいな動き。

 

やみくもに主張ばっかりしすぎて、壊れたC Dみたいになってる人のおかしさ。

 

車に轢かれかけた時に、昔は人が車を引いてたっていうのに!

ていうか、

危ねぇじゃねぇかっ!このバカヤロウ!と気づく時。

 

そんなミニマムであり、同時に巨大でもある、そういったたくさんの笑い。

 

分母を日本語では「笑い」とするしかない、

人が生きる上での哀しいまでのおかしさ、

滑稽さ、醜さ、素晴らしさ、

気のいいちっぽけな、ある日の晩のおかずみたいな、

そういうたくさんの全部が、

何だかおかしいものとして、

実は存在している、そういうもの。

 

名前のない、でも確実に存在する、誰もが持つ瞬間を、

笑い、という芸能に昇華してみせてる、

それをずっと何年も何十年もやっている人たちが、

 

日夜、笑いについて考え続け、

命をかけ、

研ぎ続けている「芸」が、

 

なぜ、とりたててジョークとして機能していないものだと、いうことになってるんでしょうか?

ジョークの使命を果たしていないということになってるんでしょうか?

 

そういう条件分岐なことをやっていなくても、芸人さん達はすでに人を笑わせています。

 

笑う、という、本当に人を幸せにすることを、そしてそれは、決して誰にでもできることではないことを、芸にし、仕事にし、使命にし、産業にまでしている。

 

そういう人達の仕事が、なぜ、あまり認められていないんでしょうか。

 

笑いというものをバカにする人達は知らないんだと思います。

 

どんな時であっても、まだ笑えるなら、生きていけることを。

 

人は、クスッと、ほんのちょっとだけでも笑うことで、まだその先を生きていける力が湧いてくる。

どうしてかわからない。

でも、そういうふうにできている。

 

そのことに気がついている人は、実はたくさんいる。

 

そこをずっと、最初っから最後まで、

一から百まで、毎日毎日、変わらず、

ずっと、まっすぐにやってのけている、

「笑いという芸を生業(なりわい)とする人達」の存在は、

 

それは、ごく少なめに言って、

とても、偉大なことではないですか?

ものすごいことではないですか?

 

 

そう。

芸人さんって、日本人にとって、

彼らの笑いという、

漫才(MANZAI)、コント、話芸(WAGEIRAKUGOのこと)、を通して、私達を幸せにしてくれる、

 

3分経ってもいなくならない。

変身ベルトもいらない、

呪文も、

魔法スティックも使わず、

 

その回転数の高い頭と喋りだけで、

思わず、世の中を幸せにしている、

ヒーローなんです。

 

世界一かっこいい、

私の、私達の、ヒーローなんですよ。

 

それを自慢しようと思って、今日は頑張って書いてみました。

 

日本には、芸人さんという、たくさんのヒーローがいます。

性差は特に問わない、全員がヒーローです。

 

彼らは、そうとは知らずに、

いつも、たくさんの人達を助け、生きる希望を与え、

日夜、人を笑わせることに、心血を注いでいます。

 

これはなんだろう、といつも思います。

この眩しい光は、一体、なんだろうと、思います。

ずっと考えているんですが、残念ながら、私にはわかりません。

 

いまは、私の個人的な事情のためにテレビを見ることができませんが。

 

いまでも、脳に焼き付いている笑いを思い出しては、

吹き出したり、

一緒になって、

面白かったね、面白かったね。

すごいね。ほんとにすごいね。

と飽きもせず話したり、

ネットで見かけるようになった今も、

声を出して笑ったり、時々しています。

 

『なんて、不思議なチカラ』

(ブラック・ビスケッツ Timing〜タイミング〜)

 

と、この曲で歌っていますが、本当にそうとしか言えません。

とても、不思議なチカラを芸人さん達は持っていて、

日夜、惜しげもなく、それを使っています。

 

そういう人達が、たくさんいる国。

それが私の住む、日本です。

 

ね? 

ーーーー、いいでしょう?(笑)

 

 

 

 

 

以上が、私の、いっとう自慢なこと、です。

 

 

 

 

このファッキン駄文を天国のレジェンド達に。

 

遅くなっちゃって、ごめんなさい。

 

 

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20230604 21:00 誤字をなおしました。