O先生によるエナメル紹介


![]() |
ブログ更新通知機能付きRSSリーダー - ブログチェッカー
https://play.google.com/store/apps/details? id=com.skelabo.blogchecker&pcampaignid=web_share |
うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.) |
2024/02/27
今日の空と山菜、とても傷ついている人に告げる言葉
2024/02/26
シェルターとしてのインターネット
今日は、少し重たい内容を含む話題です。
なので、いま調子が悪い方、暗い内容にこの頃よく吸い寄せられているなという方、体調の悪い方は、最低でも2週間は、この頃、いつもより楽しい気持ちが続いていて、リラックスできているな、と自覚するまで、いまから書くことを読まないでください。
旅行から帰ってきて、1週間が気がつくと経過していました。
とても親切にしていただいたんですが、私の過敏な部分、付きあっていくものの部分、HSPの部分で、行く前からすっごいストレスがかかっていて、最悪の精神的コンディションでの出発となり、帰ってきてからも、ものすごく調子を崩していました。
繰り返しになりますが。
何かされたとか、ここがダメだったとか、そういうことではまったく無く、私は、おそらくもうこういう旅行は無理なんでしょうね。
行くなら、1週間とか2週間くらい多めに日程を組んで、帰ってきてからも2週間くらいは、自分のiPhoneのメモに思っていることを書いてみて、あとで読み直してみて、自分が大丈夫だったのかどうか判断しなければならないようです。
しかも国内オンリーで。
それくらいストレスが凄かったんです。
まあ仕方ないですね。そういう精神的体質で、そういう風に生まれついているんだから、そうやって付き合っていくしかありません。
楽しい思い出ばかりの旅行でしたが、そうであっても、これだけ不調になるほど、ストレスによる影響が凄かったんです。
で、昨日くらいから、やっと疲れが取れて、自分がものすごい不調の中にいたことを認識できるほどには回復しました。
それで、実は前から気になっている、日本のG7各国内での自殺率が第一位(厚生労働省 G7各国の自殺死亡率 PDFより)、世界全体では総数第5位(厚生労働省 諸外国の自殺死亡率 PDFより)になってしまっていることで、すこし読める範囲で情報を集めていたんです。
他にも気になっていることも見ましたけど、やっぱりこれがいま一番気がかかりで、この状態でも読めそうな内容を見ました。
先日も、女子学生の方々が、二人で飛び降りて、お一人は助かったけれど、もう一人は亡くなられてしまったという痛ましいニュースがあったようですね。
そのことについて意見を述べている所を読むと、こういうことが近年少しずつ増えているそうです。
これは確認はしていませんし、いまの私の状態では確認はできないんですが。
自殺大国になってしまっている以上、もっと前からけっこうあったんでしょうけれど、昨今は年若い人達も命を絶つ件数が、ニュースとなるほど増えてきているんでしょう。
日本が日本のG7各国内での自殺率が第一位(厚生労働省 G7各国の自殺死亡率 2023年2月 PDFより)、世界全体では総数第5位(厚生労働省 諸外国の自殺死亡率 2023年2月 PDFより)になってしまっているのを知って、直接的な抑止力には、当然、私はなれませんし、人の数だけ思いつめている理由というものがあり、どれも、すぐどうこう出来ないのは、みなさんご存じの通りですし、私も同じ意見です。
それで、そもそも、どうしてこんなことになってしまっているんだろう? と考えたとき、
私見ながら。
いま日本の社会に、ビギナー向け、不完全な人向けの、場所が少なくなっていってることも、この自殺率の増加の遠因であり、いち要因であると思っています。
私の狭い世間での経験では、学生街っていうのが、その機能を主に担っていたんです。
いまでも学校が多い地区での気楽な飲食街っていうのは、街で遊ぶのが初めての人向けのビギナーが、練習して慣れていって、それとなく教えてもらったり、やがて自分で知っていく場所という、オリエンテーリングの部分でもあるし、街で楽しく上手に遊んでいるお兄さんやお姉さん、どちらでもない人達に憧れて、ちょっぴり背伸びをしたいお年頃の制服を着た子達が、紛れ込んで遊んでもいい、そういう場所です。
そして、大人のためと信じられている社会では、なんだかつまらないな、と思っている大人達が、そこで別枠の、学生街にいる人達の大人社会、を形成している場所でもあるんです。
で、そこで何が起こっているかというと、まず第一にあげられるのは、大人になるための練習の期間を設けられているんですね。
それはある年齢、ある役割を担い始めたら、はいー、こっから大人ですよー、という期限がきっかりある訳でもない。
かといって、ずっとそこにいることが、本当の意味でモノがわかっている世界というわけでもない。
そこにたまたま来た人達が、いつか、ここで遊ぶのはもう飽きちゃったな、なんだかつまらないな、と思ったら、別の場所に移って、自分の稼ぎでまた新しい遊び方を始めるまでの、猶予期間の街なんです。
本当は、街っていうのは、どこもそうなんですけれど。
すごくそういう機能がわかりやすくなっているのが、学生街という場所なんです。
そういう場所が減ってきてしまって、もとは学生街だったところが、そこで生きてる人達だって生活がありますから、違う商売の仕方を始めて、学生街というビギナー向けの場所、猶予期間の場所が、消滅しはじめているのが、逃げ場や行き場所、一時的な雨宿りの場所が無くなり、どこにもいけなくなってしまう状況がこの先ずっと続くんだと思い込む、原因だし、遠因なんだと、考えています。
インターネットって、みなさんご存じの通り、シェルターでもありますよね。
シェルターという役割がとても強くある場所「も」ある。
ただ、この頃は、叩かれたり、炎上するのを怖れるあまり、なーんかもう、正しくて隙の無いことばっかり言うようになっちゃって(笑)、私の古い経験だと、内申書のことで一生懸命な子が、いっつもどこからも突っ込まれなくて、ピカピカの正しく良いことばっかり発言しているアレに似てるな、なんて思っています。
別にそうならそうで良いのかな、と思うんです。
私は、昔が良かったとは思わない人間だから。
変わることは良いことだし、変わっていっているっていうことは、今の現状に一番フィットした、柔軟さの結果だという考えを持っているので。
だから正しいことばかり言って、栄光の人生の軌跡をネットに残したいんだったら、それはそれで、その人がそうしたいんだったら、それで良いんじゃないかな、と遠くからぼんやり見ています。
どうしようと、そんなの人の勝手なんだから。
いいんですよ。誰も口を出すことじゃない。本人の好きにすればいいんです。
正しいことをやりたければ、自分だけでやれば良いし、同じことやってる人と仲良くなって、そのコミュニティで楽しくやればいいんですよね。
でも、人に強制しちゃダメです。
それは、危ないから教えてあげないと、と思うのは勝手だけど、その人は一度でもあなたにそれを頼みましたかね?
助言や見かねて教えてあげるのは、ネットのすごく良いところだと私も思っています。
私も何度お世話になったことか。
でも、自分の言うことをなんで聞かないんだって、押しつけるのは違いますよね。
たまには居ますよね。
説教されるのが好きな人。
私が思うより、2024年のインターネットにはそういう人達がたくさんいるみたいです。
皮肉じゃ無くて、ちょっとしたアトラクション体験なんでしょうね。
ちょっと間違う。誰かに諭される。自分は間違っていたと反省する。謝罪する。そして新たな自分を生き始め、傷がある人もみんなは受け止めて応援しているよ。という受容を経験し、新しい道を見つけて、万々歳。
その時だけ、気付きと再生というストーリーの主人公になれる。
そういうアトラクション的な、再生体験の娯楽として、どうも説教を自分から聞きに行ってるんだろうな、と思って見ています。
営業妨害をするつもりは無いけれど、そういう人はすごく自己啓発本やニューリーダーについての経済の本とかすっごい読んで、なるほど。こりゃいい。よし自分でやってみよう、で終われば良いのに、誰彼かまわず捕まえて、こうするべきだって責めるでしょう?
私は、それは違うと思います。
余計なおせっかいです。
自分がそうしたくて、一流を目指すのはとても凄いし、そういう人を見かけたら、ジャマにならないようにしなくちゃな、とポンコツの私でも思うくらい素晴らしいことです。
でも、あなたが素晴らしいからって、他の人が素晴らしくある必要なんかさらさら無いし、あなたはあなたの素晴らしさで光り輝くためにやることの中には、他の人にあなたが見つけたものを、強制する必要はないんです。
大きなお世話なんです。
余計なおせっかいだし、なんならそれってちょっと妄信の域にすら達しています。
人のジャマになっちゃってる。
なにを正しいとするかは人の勝手だけど、人のジャマをしたらダメですよね?
それは迷惑だからとか脅迫して自分から遠慮させたり、そんなことしていたら人生棒に振るって、人生を棒に振ったこともないのにそう言って脅したりとか。
正しいこと、良いこと、っていう言い返しにくいことを取り出して、従わないのは悪である、っていう変なトラップ付きの大きなお世話って、タチが悪くないですか?
自分が知っていることしか書けないから、これは自慢でもなんでもないんですけれど。
私が命と心を救っていただいたのは、それは私が優れているからでも大変な悪でも無くて、以前、心や命を失いかけた人達にしかわからない、または身近にそういう人がいてどういうことか嫌という程知っている、なんとも危険な状態に長い間入り込んでしまって、そこで苦しいのを隠して楽しそうに振る舞い続けていたからなんですよ。
ここには、ストーリーなんてある訳がないんです。
社会として、助けなければならない人がいる。
その人を助ける人にキャラクターもいらないし、装備もいらないし、超展開もいらないし、演出も、素敵な言葉もいらない。
そして、こうやったらいいよという前例も、おそらくは無い。
私は、ゲームやフィクション好きですよ。一生懸命その中に入り込まないだけで。
私がたまたまそこにいたから、偶然、わかる人達が気がついてくださっただけなんです。
その後どうなったかっていうと、ご覧の通り、いいようにしなさいっていうメッセージと、わからないことを置いておいてくださり、お前の時間が来たらそれに気がつくと良いよ。助けになるから。ということだったみたいなんです。
そして、私は、いま、ひっそりいいようにしています。
胸がいっぱいになりながら。
ネットシェルターって、本当にありがたいし、私もそれに助けられたインターネッターです。
ネットがなかったらとうの昔に命を絶っていた。という言葉を見かけたことも、一度や二度では無い。
そのネットシェルターって、ずっとそこに終日、オッケーになるまで居っぱなしって訳ではないんですよね。
気が向いてなんとなくの範囲で、一日やってることもあれば、他のことしながらちょいちょいっていう頻度の人も居るし、ネット別にいいやって時期もあるし、また見始めたり、色々です。
入り方も色々で、雨宿りの人も居れば、逃げ込んで傷を治すのに数年かかる人も居る。
遊んだり、喧嘩したり、励まし合ったり、慰め合ったり、好きにしながら、その人とインターネットライフやインターネットタイムの関わり合い方を、日々更新していってるんです。
雨が降っていなくても、雨宿りしても全然いいし。
なんとなくフラッと入ってきて、自分は卒業できたと思うことも自由です。
そこから大成していく人も居れば、ずっとじっとしてて(私ですね)、ひっそり趣味をやりたいな、なんて思ってる人もいる。
今日、リストカットしちゃったって書いてもいいし(お医者さんに頼った方がラクになりますよ。)、ウソ書いてもいいし、なんか誰それと目が合って嬉しかったから、お互い一目惚れだったらいいのになって、ファンフィクションを書いてもいい。
イキッて強気なこと書いてもいいし、泣きながら書いてもいいし、さっきご機嫌で前向きだったのに、すっごい暗いところを見に行ったって、誰も違うじゃないか、とか、前はこう言ってたのに矛盾してるじゃないか、なんて言わない。
希望じみたことを書いてもいいし、暗い淵について吐き出してもいいし、許せなかったことや、いまでも憎くてしかたがないこと、忘れているふり、考えないようにしながら、楽しくなることを書いてもいい。
なにやったって、だいたいオッケーなのが、インターネットシェルターという場所の役割なんです。
そして、立ち直りたければ立ち直ればいいし、そのまま趣味にシフトしてひっそりやっててもいいし(私ですね)、飽きたら黙って去ってもいいし、戻ってきてもいいし、ニックネームで、本当でもウソでもない、ただのいちインターネッターとして、シェルターを利用してもいいんです。
別に再生しなくてもいいし。
元気いっぱいになって市民マラソン(ディスってないですよ)に出なくても別にいいんです。
素晴らしい人間になって再生しなくてもいいし、何か、やたらとモノの分かった人になる必要もない。
ここはシェルターでもあるけれど、入り口も出口も無い、シェルターでありながら、発信したり、意見交換したり、仕事をしたり、好きなものを見たり、通販してもいいし、社会インフラでもあるんだし、インターネッターであることは、誰かに責められないといけないワケでも、現実が得意では無いけれど、インターネットのネットウォーカーであることは、単にインターネットの感じが好きで参加しているだけであって、何か足りないわけでもないし、何か目指してるわけでもない。
最近では現実が得意な人も、社会で成功している人達もネットにいる。
よく知らないで書くからファンの人達はごめんなさい。
俺の左手? の封印を解くときがやってきたってノリノリの数年間を過ごしたって、別にいいんですよ。
過去あんなこと言ってたくせにとか言うほうが変だし。
自分だって、子供や少年少女のころ、○○ちゃんが突然、学校終わりに家にやってきて、これ・・・気持ち、とかなんとか、なんかデカい宝石が付いてる、食べたら舌がサイケな色になる飴セットくれないかな? とか、欲しかったガンプラのレアモデル持ってきてくれないかな? とか、考えたり、紙に書いたり、ちょっと信じちゃって待ってる間、鏡のぞいたりして似合う服着てウキウキしてたり、とか、ガンガンやってたんだから。(ありますか? 私はないです。勧誘追い払う方法ばっか考えてました。←いや、その現実・・・。)
そのことを大人になって、なんか言う時に、自分は昔、飴セット待ってたんですけど。って、いちいち前置く必要なんかないんだし、覚えても居ないでしょう。
好きにやっていいし、見ないフリ、気がつかないフリしてあげるべきだし、余計なお節介で、再生ストーリーの登場人物に人を勝手に組み込もうとするほうが、絶対変だってことを、ちゃんと知っていくべきだと、2024年の今、私は思っています。
そういうシェルターとしてのネットに、
学校から逃げて帰ってこないとシャレにならない目に合わされてしまう子、お洒落どころではない子。
うまくいってたりいってなかったりする大人。
嫌な奴がデカい顔してる町から、いま金がなくて脱出できないで居る人。
病気だったり、いまは、がんばらない中の人。
ダルい人。その他色んな、なんとなくインターネットのほうがいいな、という人。
そういう人達が、ネットというシェルターで好きにしていていいし、
もっとインターネットのそういう役割りをちゃんと認識してもらえれば、
ネットでダラダラしながら(私ですね)、自分も含めて途中の人達のあれやこれやを、見ないフリ、気がつかないフリして、みなそれぞれが好きにしながら、
たまに良いカッコして、知ってること教えたり、教えてもらったりしながら、そういう風にも好きにして、色々なんだっていいし、
ネットのシェルターっていうのは、いつまでも好きにしてて本当にオッケーな場所で、
誰であっても、そのことに口出しするのは、
本当に余計なお世話なんだって事実を知っていたら、
思いつめて、
自分が逃げられる場所は、命を絶たないと行けない場所しかない、
なんてことになるのが、
ちょっとくらいは減るんじゃないでしょうか。
2024/02/25
写真が多い日曜版
2024/02/24
古い並木道の記憶
写真は、東京、日本橋からの一枚。
東京の空と言えば、ある世代から上の方々は、薄曇りの空をイメージされると思います。
実は、私が東京に行くといつも快晴です。
そしていつも暑いです。
なぜか分からないんですけれど、滞在時の数日はだいたい平年より高めの気温で、なぜこうなんだろう? と無表情になっています。
寒い日も普通の日もあるので、そういうもんなのかなとは思っているんですが、私は晴れ女なので、ここまで体質がお日様がダメなのに、いつも予定を立てるとカンカン照りなのは、一体どういうことかな・・・とこちらも無表情になっています。
東京は本当に櫻が多く、どの木もとても大切にされています。
街路樹がどこも立派なんですね。
植栽が若くても、ある程度の成長を見越してスペースをとられているので、植えられたばかりの街路樹を見かけて、一生懸命ここで大きくなってもそのうち切られちゃうのかな、という不安が一瞬胸をよぎることはありません。
あまり木を切りたくて切る人、その判断を下す人はそう居ないと思います。
こんなとこに木なんか植えやがって、この野郎、たたっ切ってやる!なんて人はあまり居ないでしょう。
木を切るという判断をする人って、
木を植える人イコール善良な人。
木を切る人イコール悪徳な人。
という先入観で不必要に悪人にされてしまうので、よく気の毒だな、と思っていますし、同じ気持ちの方も少なくないはずです。
昨今の木や森の存続についてひっそり思っているのは、もっと前の、切ろうかどうしようかの判断をすることを検討する段階で、どうして、この木を切らなければならないという意見が出てきたのか、その要因を公開してくれればな、と思っています。
そうすれば、仮に病気が原因として、
それは治療が可能かどうか、
どのくらいの予算がかかって寄付でまかなえるのか、とか、
枝が落ちる恐れがあるのであれば、
支えをつけるだけではダメなのか。
近隣に目の不自由な方や歩行にどうしても平坦な道が必要不可欠の方がおられて、その都合はつけられるのか、つけられないのか。
防犯であれば、その木があることで何が起こっていて、その対処は本当に伐採でしかできないのか。
小さな森であれば、全部切ってしまうより、周囲を柵で覆って、公開時間を設ければ、防犯に効果はあるのかどうか。
そんな、持ち寄ったアイデアが提供できることを開示していただければなと思っています。
いまこんな要因で、こういうことを考えている。
という情報公開に、すぐ飛びついて、反対反対、なにがなんでも反対!と騒ぐのは、良い方向に向かうこともダメにしてしまうので、それは正直、地域の木を大切にして長い間愛してきた人達にとって、とても迷惑なんですね。
前、私がひっそり暮らしていた地域では、とても古くて素晴らしい櫻並木があったんです。
地域の人と知っている人は知っている場所で、私も若者だったとき、酔っ払って歩いて帰る途中に、角を曲がったら突然、花びらを静かに散らす夜の櫻並木に出くわして、その幻想的な力強さと静謐さに息をのんだ記憶があります。
当時でとても古い立派な木達だったので、すべて老木だったんです。
結局、病気が治せないという理由で、苦渋の決断から小さな並木道はなくなりました。
誰も反対運動を起こさなかったところを見ると、みな、とても悲しかったけれど、ギリギリまで維持し大切にした上での決断だったことをご存じだったのでしょう。
やがてある日、珍しく回覧のビラがポストに入っていました。
そこには、どういった経緯で伐採が決定したのか、静かに記され、その地区の責任者の方、市の職員の方、住人のみなさんが悩んだ末の決定であったことが報告されていました。
そして、新しい櫻の木を植えますので、これからはその木を愛していきましょう。という言葉で、お知らせは締めくくられていました。
その文章は、伐採の決定までに非常に苦しまれたのだろうという、絞り出すような言葉で、静かに深く悲しまれているのが如実に伝わってくるものでした。
やがて、新しく植えられたのは、病気に弱いソメイヨシノではなく、違う種類の元気な櫻でした。
私は、その若木を見たときに、我々は二度とあのような惜別を経験したくないのだ、という、地域の人達と関わった人達全員の断固とした意思を知りました。
対話は、威力を知らしめることでもないし、自分達は怒らせたら怖い相手だから機嫌を取れと、思い知らせることではないんです。
ときにはすぐに声を上げなければならないとき、とにかく状況を回避せねば命に関わることもあります。
でも日常で姿を現す、私達の暮らしに関わることの多くに必要とされる、オフィシャルな対話は、まず感情的になってしまう口を閉じて、一体、いま自分の前にあるのは何か、を考えることから始まります。
そして物事は複雑であるのが常なのですから、まずはテーブルにつき、そこに座ったのならば、対話に参加する資格というマナーをそれぞれが自分に課してから、対話を試み、その場に来た全員が未来を望んでいるのだ、という信頼を持って対話を続けていくべきなんだと、私は考えます。
問題がある。
では、その先に向かうために、何をすべきなのか。
どうしたらいいか。何ができるのか。
意見は苦情では無いし、アイデアは不信ではありません。
並木道を守ろう、と言うのであれば、維持するため、そこをよけて新しいビルを建てるための特殊な工事の必要経費を、全員が出し合ってまかないあえるのかどうか。
そこまでちゃんと計算して、予算として提出できる、具体的な感覚がとても重要だと思います。
現実には、悪役は存在しません。
勧善懲悪も胸アツ展開もその演出も必要ありません。
現実と物語の区別をまずつけて、騒ぎ立てずに、大きな声を出して相手の意見を聞こえなくさせることばかりに気を取られずに、
対話という、複雑な物事に取り組む人達全員を助ける可能性をとても多く含むもの、の存在意義を再確認し、テーブルについて具体的な明日の話ができるように、もっとなると良いな、と思っています。
意見を出せなくとも、その環境を整えることは全員にできます。
私達は、もう大人になるべきです。
2024/02/23
無意識の蔑視線 1
![]() |
プラタナスの街路樹の木肌 |