注釈:当ブログでは英語読みのヴィンセント・ヴァン・ゴッホの表記で通しています。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ)といえば、星月夜やローヌ川の星月夜、ひまわり、種蒔く人、カラスのいる麦畑などが有名な、あのゴッホのことですが。
いま確認のため検索したら、どこもフィンセント表記になっていて、私の読み方はもう旧式なんだなと、おどろきました。
ゴッホの母国での正確な発言を追求した結果の、フィンセント表記らしいです。
注釈にも書いたとおり、ここではヴィンセント表記にしています。
ゴッホは好きです。
いま日本をまわってるゴッホ展が私の住む街に来たときも行きましたし、ひまわりをみるために遠出したこともあります。
ただ例によって詳しくはないです。ライトファンです。
J-HOPEさんのインスタに現在ラスベガスで開催されている、イマーシブ・ヴァン・ゴッホ展に行ってきた写真が出されてますね。
参考リンク
地球の歩き方「特派員ブログ」様
https://m-tokuhain.arukikata.co.jp/las_vegas/2021/11/_httpswwwvangoghvegascom_20223.html
中でも、壁一面にゴッホのひまわりがコラージュされたグラフィックの前で、J-HOPEさんが立ってる写真がとても好きでした。
ひまわりといえば、太陽のような人の代名詞だし、ゴッホにとってもユートピアの象徴だっと言われている(ウィキペディアより)ぐらい、光の象徴的な花なんですけれど。
私は、まばゆい明るさや力強い明るさの代表とされるこの花に、繊細さや緊張感、わけもなく悲しくなってしまう午後の陽射しも、同時に連想します。
明るさの中にしっかりと混在している陰り。
逆に、その陰りの部分がないと光として全き(まったき)存在に昇華されない。
そういう、光が持つ重さや厚みのようなもの。
そういう要素を、私はJ-HOPEさんの中にも感じています。
推測するしかないんですが。
J-HOPEさんのハッピー、スマイリーのそばには、とても厳しい自己への視線、仕事への強いストイックさ、パフォーマンスや楽曲制作の時に発揮される、全体を俯瞰で捉えている徹底した冷静さ。
そんな、決して明るいだけではない要素があるからこそ、J-HOPEさんが立っているだけで、J-HOPEさんの持っている華がその場や周囲を、強い光で照らしているのではないでしょうか。
それは、人によっては、信頼が光り放っているように思えたり、優しさが灯されているように思えたり、謹厳さだったり、気遣いという繊細さだったりと、色んな見方があると思いますが、明るさ一辺倒だけではない、陰りも含めた輝きを発光してるからこそ、J-HOPEさんは「金無垢」なんだと、眩しく見ています。
ゴッホにとって、救済への祈りであった可能性の高い、ひまわりがモチーフとされたグラフィックをバックに佇むJ-HOPEさんに、幾百のひまわりにも飲み込まれない線の強さがあるのは、きっとそういうことなんじゃないかと思ったのでした。
以上、光の中に存在する陰りについてでした。
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