嫌いという感情はわりかし大事にしています。
とても厄介で、下手をすると、グッと引っ張られてしまう感情なので、注意が必要ですが、嫌いは大事にしています。
理由は、自分を知ることができるからです。
昔は、自分の嫌いをもう一切無視していたんですが。
前にも書いたように、それでぐるぐるしてしまったりして、恋のように頭にこびりついたりもして、結局無視できない自分に嫌気がさして、敗北感のかたまりになったりしてました。
きっかけは忘れちゃったんですが、で、どうしたかというと。
嫌いなものをじっと見つめて、
どこが嫌いか。
なぜ、嫌いか。
と考えていきます。
紙に書き出すとより整理がつきやすいです。
そうすると、
「ああ、私はこういうのが嫌いなんだ」とか、
「こういうことにモヤモヤしちゃうんだな」と、
「私の嫌いポイント」が見えてきます。
その時に大事なのは、正しいか正しくないかを考えないこと。
とにかく、なぜ嫌いなのか、それをできる限り、箇条書きにして、最終的に「だからどうしたいのか?」までを、考えていきます。
自分との会話をするんですね。
詳しい方法はこちらのログを見ていただいて。
で、今の私にわかるのは、
嫌いという感情を見ていっても、
自分を知ることにはつながるが、
相手への理解には、つながらない
ことを肝に命じておく、ということです。
自分のことは分かっても、相手のことはわからないんですよ。
あらためて言葉にすると、当然と言えば当然なんですよね。
だって、相手が嫌なことをした、または、ただ単に嫌な場合、相手の「その瞬間だけ」が自分にインプットされていて、相手のこと全体は「よく知らない」、または、「知っていても全部知ってるとは言い切れない」からです。
私はそれに気づいた時に、ぐるぐるしていた自分は、わからないことを一生懸命考えいていたんだな。
そりゃわからないはずだわ、と合点がいったんです。
だから考えるのをやめることができました。
最近では、嫌いを分解していって、なぜ嫌いか、どうして嫌いなのか、を考えて、整理がついたら(気持ちの整理ではなく、嫌いの整理)、もう考えないようにしています。
精神的に放っとくという感じです。
それでも、油断するとふっと思い出すんですが、意識を無理やりそらすようにしています。
そして、この嫌いは正しいか正しくないか、という考え方をやめました。
正しくなくても、嫌い、な自分がいることを知ったからです。
あまりがっかりはしなかったですよ。
ああ、私は、そうなんだな、となんか納得する部分もありました。
今までそういう自分を無視してたの、なんかごめん、自分よ、という気持ちになりました。
むしろ、自分を正しいと思いたいあまり、嫌いという感情を正しいに無理やり当てはめようとすると、変な歪みが生じてくるので、しません。
絶対に効果があるよ、ということではないので、申し訳ないですが。
嫌い、という感情、に振り回させれてしまうな、という方は、よかったら試してみてください。
今日は、ちょっと難しい話でした。
表題作は、大好きなDua Lipaの新曲。
We're Good。
YouTubeに日本語訳詞付きM Vが出されているので、歌詞が知りたい方はそちらをどうぞ。
こうやって歌詞がすぐわかるのは、配信組としては嬉しいです。
この歌は、終わりを迎えた恋人同士の片方の気持ちを歌ったもので、もうさっぱりお別れしましょう、という、うまくいかなかった自分たちにうんざりしながら終わりを告げる歌です。
歌詞から想像するに、うまくいかなくなってからも、ずるずると付き合っていたみたいですね。
人間関係って、恋愛に例えると、ちょっとわかりやすいかもしれないな、とこの曲を聴きながら思いました。
恋愛だと、もう終わった相手とのことをぐるぐる考えても仕方がない、とある時点で、吹っ切れる時がくるんですけど。
恋愛抜きだと、結構ずっと考えてしまうんですよね。
悩んでしまう方は、もしこれが恋愛だったら、というふうに当てはめてみると、整理がつきやすいかもしれません。
こちらはつい先日ドロップされたFuture Nostalgia moonlight editionに収録されています。
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