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休刊 キム・ソクジン 
おかえりなさい、JINさん。
ARMYさんおめでとうございます!:)

2023/07/20

返事の来ない手紙

 


 

 

「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」

 

あの日、自分にとって何回目かになる先生の舞台を拝見して、心に強く残った言葉がこれでした。

 

優れた劇作や物語は、読んだ者全員に、それぞれ

「これは自分のために書かれた物語ではないだろうか」

「これは自分の物語ではないだろうか」

そう思わせる力があると、何かの本か、どこかの偉いセンセが言っていたと記憶しています。

 

先生の舞台ですから、素晴らしい役者さん達のおかげもあって、私はいつもながらとても感激し、舞台のあと、会場が入っていたビルの階段で、同行者と一緒に興奮して色々話したのが、つい昨日のようです。

 

そのときからいままで、私は、先生が私にも手渡した

「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」

という言葉をずっと考えて続けています。

 

そこで、この頃、やっと思っていたことを書けるようになってきたので、このことを書こうと思いました。

 

相変わらず、私は文章が下手で、日本語が下手で、

まともな文章が書けるなら文を崩してもいいけれど、できないくせに崩すとは何事だ。勉強しなさい。

と、きっとおっしゃるのではないかと、勝手に想像しては、おでこを掻いています。

 

そういうものですから、とてもじゃないけれど先生について、

「あまり知らないけれど、これこれこういう作品に感激しました。」

とか、

「テレビがまだ私の部屋にあった頃、舞台を拝見しました。」

とか、そういうことを言うのは、できないままです。

 

そしてそのことをまさか、あの日からずっと未来の今日、自分のブログに書くほど、図々しくなっているとは夢にも思いませんでした。

 

私は最初にあの台詞を聞いた時から、ずっとお伝えしたかったことがあります。

 

「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」

 

これは、きっと私のようなネットにいるものへの、先生からの問いであり、祝福だったのではないですか?

 

なので、私はこの言葉をずっと考え続けながら、私からの返事は、余計なことになるので、しなくてもよいのだと考えていました。

 

ですが時が経ち、私はあの頃より少しだけ感傷的な人間になっているようです。

だから、いまになって、私の気持ちを明らかにしたいと思います。

 

先生、私は、返事の来ない手紙を書くのが、とても好きでした。

そして、いまも好きなままです。

 

私には、返事は必要なかったんです。

 

だから、先生が、私のようなものを可哀想に思われることはなかったんですよ。

 

そして、このような人間を、ちゃんと返事の来る世界に戻してやらねばと、祝福をし、ずっと返事の来なかった書いた手紙分の返事を、あんなに素晴らしい舞台で、出してくださる必要はなかったんです。

 

そのことをお伝えすればよかったのか、それともずっと考え続けていた方がよかったのか、それは、いまでもわからないままです。

 

わからないので、解答を出すかわりに、私はずっとこの言葉を持ったまま、生きていこうと思います。

 

そして、相変わらず、返事の来ない手紙を書き続ける私を、頑固な奴だなぁ、と笑ってください。

それできっと、私は安心できると思います。

 

ありがとうございました。

 

何か私が勘違いしてるのであっても、嬉しかったです。

とても嬉しく、まるで先生が助けに来てくださったようで、いまでも私はこの言葉を思い出すたびに、心強い気持ちでいられます。

 

そのことをお伝えしたく、今日は先生に向けて手紙を書きました。

 

悪文、大変失礼いたしました。

勉強、少しずつですが続けます。

 

どうか、お元気で。

 

そちらでも新作をたくさん発表してください。

私はそこへは行けないので、いつかネット回線ができたら、配信してくださいね。

その日を楽しみにしています。

 

本当に、ありがとうございました。

 

天国の先生へ。

 

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