「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」
あの日、自分にとって何回目かになる先生の舞台を拝見して、心に強く残った言葉がこれでした。
優れた劇作や物語は、読んだ者全員に、それぞれ
「これは自分のために書かれた物語ではないだろうか」
「これは自分の物語ではないだろうか」
そう思わせる力があると、何かの本か、どこかの偉いセンセが言っていたと記憶しています。
先生の舞台ですから、素晴らしい役者さん達のおかげもあって、私はいつもながらとても感激し、舞台のあと、会場が入っていたビルの階段で、同行者と一緒に興奮して色々話したのが、つい昨日のようです。
そのときからいままで、私は、先生が私にも手渡した
「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」
という言葉をずっと考えて続けています。
そこで、この頃、やっと思っていたことを書けるようになってきたので、このことを書こうと思いました。
相変わらず、私は文章が下手で、日本語が下手で、
まともな文章が書けるなら文を崩してもいいけれど、できないくせに崩すとは何事だ。勉強しなさい。
と、きっとおっしゃるのではないかと、勝手に想像しては、おでこを掻いています。
そういうものですから、とてもじゃないけれど先生について、
「あまり知らないけれど、これこれこういう作品に感激しました。」
とか、
「テレビがまだ私の部屋にあった頃、舞台を拝見しました。」
とか、そういうことを言うのは、できないままです。
そしてそのことをまさか、あの日からずっと未来の今日、自分のブログに書くほど、図々しくなっているとは夢にも思いませんでした。
私は最初にあの台詞を聞いた時から、ずっとお伝えしたかったことがあります。
「返事の来ない手紙を書くのはもう嫌なんです」
これは、きっと私のようなネットにいるものへの、先生からの問いであり、祝福だったのではないですか?
なので、私はこの言葉をずっと考え続けながら、私からの返事は、余計なことになるので、しなくてもよいのだと考えていました。
ですが時が経ち、私はあの頃より少しだけ感傷的な人間になっているようです。
だから、いまになって、私の気持ちを明らかにしたいと思います。
先生、私は、返事の来ない手紙を書くのが、とても好きでした。
そして、いまも好きなままです。
私には、返事は必要なかったんです。
だから、先生が、私のようなものを可哀想に思われることはなかったんですよ。
そして、このような人間を、ちゃんと返事の来る世界に戻してやらねばと、祝福をし、ずっと返事の来なかった書いた手紙分の返事を、あんなに素晴らしい舞台で、出してくださる必要はなかったんです。
そのことをお伝えすればよかったのか、それともずっと考え続けていた方がよかったのか、それは、いまでもわからないままです。
わからないので、解答を出すかわりに、私はずっとこの言葉を持ったまま、生きていこうと思います。
そして、相変わらず、返事の来ない手紙を書き続ける私を、頑固な奴だなぁ、と笑ってください。
それできっと、私は安心できると思います。
ありがとうございました。
何か私が勘違いしてるのであっても、嬉しかったです。
とても嬉しく、まるで先生が助けに来てくださったようで、いまでも私はこの言葉を思い出すたびに、心強い気持ちでいられます。
そのことをお伝えしたく、今日は先生に向けて手紙を書きました。
悪文、大変失礼いたしました。
勉強、少しずつですが続けます。
どうか、お元気で。
そちらでも新作をたくさん発表してください。
私はそこへは行けないので、いつかネット回線ができたら、配信してくださいね。
その日を楽しみにしています。
本当に、ありがとうございました。
天国の先生へ。
エナメル