休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/07/29

日曜日の投稿を続けている理由

 


 

 

ああだこうだと説明するのが、私はあまり好きではありません。

 

黙って何をやっているのか見せるのが一番いい、と考えているからです。

 

どんなことをやっても、わかってくれない人というのが世界には一定数います。

 

そして、意図的に、わかろうとしない人達というのもいます。

 

そういう方向に、わかってもらおうとする暇があったら、やろうと思っていることを、ただやり続ける方が、時間の使い方として有効だと私は思います。

 

私のそういう性格や価値観をわかっていてくださる方はわかってくださっていますし、私自身もそのことを事実として知っています。

 

 

ですが、人を不安にさせているのかもしれない。

 

そして、とても警戒している人達がいるのかもしれない。

 

そう思ったので、今日は、日曜版(私はそう呼んでいます)を続けている理由を書きます。

 

私は、月曜日というのが、ネットに多くいる、いま日常をうまくやれていない、たくさんの事情を抱えている人たちにとって、ものすごく大きなものであると、もうずっと前から気がついていました。

 

なので、この場所で、何か私の力量で、そのことをどうにかできないかと思いました。

 

そういう人たちは、私が過去そうであったし、いまもそうであるように、とても鋭敏な部分を持っています。

 

色々な刺激に対して、あまり免疫がない状態に「いまはある」、という状態です。

 

そういうとき、どういう感覚かというと。

過去にとあるミュージシャンが言っていた表現を書きますが、「全身の皮がめくれてしまっている状態」なのが、この感覚です。

 

精神的にそういう状態にはいっていると、私は考えています。

 

その是非とか、なにか原因を探すとか、新しい名前をつけるとか、いまあるわかってきた名前をつけて、外から眺めている人たちに理解の安心を渡し、ここで起こっていることを整理する手助けをするのは、専門家の役目であって、私がやることではありません。

 

それを知っている以上、私がするべきことは、そこに向けて、文章を書くことです。

 

それで考えたのは、その中でも、月曜日がどうしても乗り越えられない気持ちをどうすればいいか、でした。

 

たくさんあるやり方、方法、知恵には及ばないので、私は、その人たちが読める穏やかな内容のものを必ず日曜日に書き、

私の稚拙な文章が大丈夫な方達に、

 

どんな形でもいい。

 

気持ちの上だけであっても、実行できるのがひとつあればそれはかなりいい状態だから、とにかく日曜日を充実させよう。

 

そうすれば、日曜日に悔いがなくなる。

 

日曜日に後悔がなければ、

 

日曜日がダメだった自分を責めることもなくなり、

自己肯定感を下げることもなくなる。

 

そうすれば、自分で日曜日を終わらすことができる。

 

そして、楽しかった今日があれば、月曜日に進んでいける。

 

月曜日が来ても、来週の日曜日のささやかな、時間潰しの目印さえあれば、それをアテにすることができる。

 

そうすれば、週の途中のお楽しみは、世界中のたくさんの人たちが用意しているから、また日曜日に這ってでも進んでいける。

 

そう思い、

 

日曜日を楽しもう。

日曜日を楽しく、素敵に過ごそう。

 

ということを伝える、ことにしました。

 

 

それが理由であり、目的です。

 

つまり、日曜版を何となく読みに来てくださっていたみなさんの、思っていた通りです。

 

それが正解ですし、それで正解です。

 

 

わかりたくない方がおられるだろうことは、知っています。

 

以下はその方達に向けて書きます。

 

私のできる範囲で、私の力量の時間潰しになる文章で、それを読みに来てくださる方がいて、私はそれを続けています。

 

だから、ご意見も入りませんし、判断も、新しい名前もいりません。

 

日曜日に、時間潰しの穏やかな内容を書くことが、そんなに害悪になると思うのであれば、あなた達が思う、善良なものを、ふさわしいと思うものを提供すればいい。

あなた達の思う、ハイレベルなことをやればいい。

 

私は、私の思うことを、可能な範囲でやります。

そちらに向けて、私の言いたいことは、たった一つです。

 

「もう放っといてください」

 

 

 

 

以上、日曜日の投稿を続けている理由、でした。