休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/07/26

音楽の力という言葉を使っていることについて

 


 

 

先日、署名記事のニュースを拝読して知ったんですが。

音楽の力、という言葉を、坂本龍一氏は嫌っていたそうですね。

 

私は、右のメニューバー上部と中程に表示している、Abyssという投稿の中で、音楽の力、という言葉を使っています。

 

メニュートップのリンク集に記載しているのは、私のAbyssにまつわるJINさん観が出ているものを、興味を持っていただいた方に、まず読んでいただいた方がいいだろう、という考えでした。

 

ここでよく読まれている投稿の中にも、Abyssの投稿が入っていたのは気づいていましたが、その中に使っている言葉が、坂本龍一氏が嫌っていた言葉だったとは知りませんでした。

 

私は坂本龍一氏をリスペクトし、氏の音楽を支持するものです。

 

ですが、坂本龍一氏の活動や考え方を全部支持はしていません。

私とは考え方が違うな、という部分もあるからです。

 

私はこの音楽の力という言葉を坂本龍一氏が嫌っていたことを、冒頭で触れた署名記事を拝読するまで、知らずにいました。

 

この言葉が、よくない言葉なのかどうか、坂本龍一氏の音楽を支持するものとして、使うべきではないのか、音楽を愛好する素人として、使うのを控えるべきなのか。

 

考えてみたんですけど、

正直、明確な答えは出ませんでした。

 

冒頭で触れたニュース記事を拝読した後、検索してヒットした2011年の氏のインタビューを読み、

私の要約ですが、坂本龍一氏が

「音楽の力という言葉を使うのは、ミュージシャンとしておこがましいと思う」

という考え、価値観を持っていたという理解を、現状では、私はしています。

 

Abyssの投稿ではこういうふうに記述しています。

前述がないと何のことかわからないので、必要だと判断した部分を含めて載せます。

 

Abyss 本文より 抜粋

 

音楽には治癒という役割があります。

双方向の治癒です。

作り手は、言語化し、表音化したものを、繰り返し唄うことで、

その人自身の内部を整え、客観視することができ、

メロディの繰り返しが洗練を帯びさせていったその作品は、

やがて普遍性と同時に救済性を持ちます。

 

聴く側は、

言語以外の領域が、自身の最深部に作用する音楽体験を通して、

心の反応が唄の調べと繰り返し同調することで、

知らぬ間に自分が持っていた、

手の届きにくい部分にある、「傷」と呼ばれるものが、癒えていきます。

 

これは音楽の力と呼ばれるものの、ひとつの在り方だと私は考えています。

 

抜粋ここまで。

 

 

 

こう書いているんですが。

 

特に当時と今とでは、音楽の力と呼ばれるものの、在り方について、私の考えは変わりません。

 

坂本龍一氏は、おこがましいという思いから、この言葉を嫌っていた、ということを知っても、私は、音楽の力というものは、「作用する」という点で、存在していると考えています。

 

なので、特にAbyssという投稿のなかで使っている、音楽の力、という言葉を削除、改訂しなくてもいい、という判断をしました。

 

音楽というものへの価値観や、音楽とは何か、という考え、そこから出てくる思想にわたるまで、この言葉を使うことで、とても是非の分かれる投稿だとは、いまは思います。

 

その上で、私は、ブログ上での掲載を続行します。

 

もし何かご意見がある方、もう少しこの話を詰めて私の感じていることを知りたいという方、おられましたら、

 

お手数ですが、

 

butterflyjustdance@gmail.com


こちらまでご連絡ください。

 

以上、音楽の力という言葉を使っていることについて、でした。