ふたたび雑記です。
なんとなくぼんやり暮らしていて、個人個人の受け取る善意それぞれに、サイズがあるのではないか、と感じています。
背負い水、という言葉がありますが。
これは、みなさんご存知のように、人が一生飲む水の量はあらかじめ決まっている、という考え方です。
それを背負って生まれてくる、というものですね。
その考え方が私はとても好きで、あらゆるわからないことに、その背負っている量はどのくらいか? というのを自分で見当をつけては、こうかな? ああかな? と考えることをよくやっています。
善意も同じく、背負っている善意の量というものがある、と私は思います。
ご心配されなくとも、その量は大体において、ものすごくたっぷりあるのではないか、というのが、いままで考えてきて結論づけている予測です。
だからあまり人付き合いがないな、という方や、そもそも善意をもらう状況に入っていくのが苦手、という方も、
この後、ドカンドカン、と善意が手渡されるので、覚悟しておいてください。←?
私の話をすれば、私にもそういう機会がありましたし、この先も小さくあると思っています。
個人個人の受け取る善意の適正サイズというのが、きっとあって、背負っているだけの量から、この先の日数を割ってという数字ではやはりなく、それはその時々の状況に合わせて、そして善意を受け取る本人の許容量に合わせたものではないのかな、と考えます。
そうでないと、単純な話、受け取れませんからね。
なので、私の受け取れる善意の寸法は、片手のひらに乗るサイズ、10センチ四方の立方体ぐらいだと、イメージしています。
だからそれ以上のものが目の前に現れた時、私は1年間ぐらい、これは一体なんだろう? と、じっと考える癖がついています。
善意だけでなく、人生の中で、過分である、と思うもの、直感でそう感じるものに対しては、それくらいの姿勢でいることが、私個人にはちょうどいいからです。
それに善意というものは、ちょっと恐ろしい側面もあって、その時の精神状態によっては、中毒性があるものではないかと思っています。
だから落ち込んでいる時に、近寄ってくる、見知らぬ人たちの甘言には注意が必要である、と昔から言われているのは、その通りだということが私も若者だった頃に、何回かありました。
無償の善意や親切、そういうものが、たくさんあるのは知っていますが、私に向けられるものとして、過分だと感じていることは、なぜなんだろう。と考えます。
特に仲良くなったきっかけがあるわけでもない、私が何か結果、相手にとって良いものに変わることをしたわけでもない者に、なぜそこまでしてくださるのだろう、と思うんです。
私が感じている善意は、相手の心の中で現実に起こっているかどうか、を確認したくてそういう姿勢でいるようにしています。
そういうふうに考えるようになって、これもものすごく時間が経っているんですが、善意を取り違えなくなったし、それでも気にかけてくださる方に、現実的に感謝できるようになりました。
現実的な感謝というのは、
寄り添ってくださる言葉をかけていただいたり、そういう人間であってもいいのだ、という姿をあえて示してくださるお気持ちを、素直に受け取り、傷をふさいでいただいた後、
しつこくしつこく、そのことを座右の銘にしたり、ピカピカに磨き上げて飾ったり、朝晩目の色を変えてノートに書き出したり、そういうことをせずに、
よくしていただいたことを、ただ、心に持っておく、ということをしています。
何か必死でお返しをしようとしたり、
(そういう方はきっと受け取ってくださいません。そういう方だからこそ、縁もゆかりもない相手に、心を配ってくださるんですよね。)、
無理をして身の丈に合わない成長をしてみせようとして、目の下を隈だらけにして笑っていたり、
そういうことをすれば、感謝の気持ちをお返しするどころか、プレッシャーを意図せずお返ししてしまうだけなので。
生きていると、時々、不意に良いものを手渡されたりする事があります。
その大きさに驚くこともしばしばあります。
けれど、私はそういう時こそ、気を引き締め、現実的な判断をするべきだと、自戒をこめて強く思います。
それが、自分の現実において、過分なものではないか、弱っている自分に付け込んでくるものではないか、なにか交換条件が潜んでいるものが、実は提示されているものなのではないか。
それを考えることは、不意に手渡された善意を疑う、汚い心ではないと、10年くらい前から、私はそう思っています。
私にも、気にかけてくださる方々がおられます。
いつも、足りない自分が恥ずかしく、情けない気持ちで、その優しく、大きな気持ちを、大切に受け取らせていただいています。
みなさんにも、そういう事が起こっていることは、ご存知の通りです。
もしいま、なにもないのであれば、
この先、背負っているだけの善意が、必ず、手渡される機会が現実に起こりますので、どうかできるだけピカピカの自分で受け取れるように、自分を大切にして、その時を待っていてください。
その瞬間は、不意に訪れます。
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