日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
新しい街に越した時、まず最初にすることは、パン屋さんと花屋さん、あれば本屋さんを探します。
これには理由があって、とても個人的な感覚としか呼べないことなんですけれど。
どんな街でも、気に入ったパン屋さんと花屋さん、そして落ち着いた雰囲気で、好きな雑誌の取り扱いがある、または新たな本当の出会いが期待できそうな本屋さんがそこにあれば、どうにもならなくなって、外部からの刺激を頼みにするしかない時の、私のセーフティネットになるからです。
これはごくごくパーソナルなものさしなので、それが親切で品揃えが自分に合った感じの24時間のスーパーだったり、お寿司屋さんだったり、カフェだったり、雰囲気のいい安全なバーだったり、お気に入りのコンビニだったり、そこは好きなラインナップで問題ないと思います。
ただ、新しい街で暮らすにあたって、まず休日に最初にするのは、そろそろと近所を散策することだと思うんです。
その時に、夜はここは歩けるだろうか。
昼間、閑散とし過ぎてて怖くはないか。
近所のマンションのゴミ置き場が荒れていないか。
最寄りの交番までどのくらいの距離か。
近くの病院は、かかりつけにできそうか。
という防犯上や緊急時のチェックをしながら、言葉になる前やその周辺の部分で、マンションや戸建ての庭木や街路樹や風の匂い、通りの肌触りのデータを少しずつ取っていくんですね。
そうして、ここに長く住み続けるかどうかという判断を、日常の繰り返しの中で、徐々に固めていくのが、大体みなさんがやってることだと思います。
その、なんとなく、と呼ばれる部分で、実は、すごく重要なセンサーが、同時に動いているんですよね。
ちょっと物騒な言い方ですけれど、
このままここで生きていけるか。というセンサー。
それは肉体的な健康の部分でもそうですし、すごく重要な、精神的に、この街は自分を生かし続けることができる場所なのか、という判断です。
その判断が、GOならそれでいいんですけど、NOの場合。
それは、住む場所を変える準備期間の始まりの合図ですので、具体的に、金銭的にも物件的にも、向こう半年から一年は、時間が必要になります。
その、目的があるけれど、日常をやり過ごさなければならない状況に入った時、自分にとってポジティブな影響を与えてくれる、自分のいま置かれている状況の利害から、とてもかけ離れている場所が、私の場合は、役に立ちました。
ドラマティックな展開などは全くないんですけれど。
なんとか立っていられる、そういうエネルギーを繰り返し通うことで蓄えてくれていたり。
自分にとってネガティブな要素に一切関わりのない、単に無関係で、気持ちよく存在している場所なので、
歩いていて、あ、ちょっとタイミングがよくないな、というときに(ときどき魔がさしたように、嫌な雰囲気の人たちの群れみたいなのが、後ろや前にいたりしますよね?)、ちょっと避難させてくれる場所になったり。
小さな楽しみとして、明日、というものへの瞬発力や、今日を締めくくる時に、安全と快適しかないものを、受け渡してくれたり。
そういう、あまり重要視されていないけれど、実は暮らしていく中で、ものすごく重要なことを、提供してくれる場所を作っておくと、いざという状況になった時、かなり違うんじゃないかと思います。
センサーがGOの場合は、そういう場所を持っていることで、昼型の人なら、ひなたの匂いのする時間を、夜型の人なら、そっと柔らかく藍色に守ってくれる時間を、日々に追加してくれる、美しいオプションになります。
なので、この方法が唯一で、確実に誰にでも効果があるとは断言できないですけれど、読んで、ああ、それは思い当たるな、という方は、よかったら試してみてください。
そうでない方も、そういう場所があるだけで違う時もある、ということを、なんとなくでいいので受け取っていただくと、もしかしたら、いつかまた違う形で、なにかのきっかけになるかもしれません。
住む場所は、いくらでもある。
ここがダメでも、別の場所がたくさんある。
当たり前のことですけれど。
元気がなくなってしまって忘れてしまいそうになったり、そうでないかのように信じ込まされようとしてしまったりするときも、時にはあると思います。
でも、センサーがNOと言っているなら、いつでも脱出できることを、その準備が、いまこの瞬間から始められることを、知っておいてください。
誰が最初に言ったのかは知らないんですけれど、かつて私が贈られた、今でも大事にしている言葉の中で、この言葉を新しい生活を始める方々に贈って、今日はいつもよりもさらに感覚的過ぎたかな? と頭を掻きながら終わります。
「自分に、従え。」
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
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