休刊 キム・ソクジン



休刊 キム・ソクジン 
あと2ヶ月ですね。
ARMYさん達も待ち遠しくされていると思います。
アルバコエルレアオクラータは花が終わりました。
無事のお戻りを待っています:)

2023/12/05

傷ついていると、怒る


 
11月は私は最悪で、ものすごくコンディションが悪かったんです。
 
いいのか悪いのかわからないけれど、私は何か大きなことが起こったり、自分にとって大きなことが起こったりすると、その瞬間、感覚という感覚が全部閉じるような状態に入るんです。
 
いつもそれを、ポカンとする。といっているんですが。
 
そのポカンとしてしまうと、いつもHSPで全部感じてしまっている感受性が、5段階くらい低くなるみたいなんです。
 
それをはたから見ていたら、どうも私は、大きなことが起こった時に、誰よりも冷静に見えるらしいんですね。
 
実際、冷静というか、普段とは違い、すごく静かになってしまっている自分を包む世界を、ポカンと眺めながら、頭がフル回転している状態になっているんです。
 
あ、あれもしなきゃ。これもしなきゃ。あ、そうだ。これも同時に進めなきゃ。あれ? あの人いま大変そうだから手伝わなきゃ。あ、そうだ。車のこと人に言っとかないと。そうそう、食事のことに誰も気がついてないから、アレルギーだけ聞いて手配しておこう。
みたいな感じになるんです。
 
自分の人生は、人と比べたことがないから、どのくらいかはわからないんですけれど。
結構、子供の頃から、現実で、てんやわんやなことが割りとよく起こっていたんです。
それに私が抱えているものと、私が属している過敏なものの名前はH S Pだと、現代医療が切り出してくださったもの、とかあって、正直、傷つき慣れているし(鈍くはならないんです。過敏だから傷つき続けるけれど、そのことに慣れるんです。)、悪意なんかいくらでも予測できるし、底意なんてものにも、しれっとしているんです。
H S Pだから動揺はするけれど、それだけ。
一時的なその心の反応がおさまってしまえば、あとは、あ、はーいって自分の中だけでは終われる。
 
だから私に、悪意やコントロールの効果を期待している人たちからは、「ケロッとしてるよね?」「わかってないでしょ?」とまで言われるんですが。
 
実際のところは、どうなんでしょうね。
頭は良くないし、バカなので、なにもかもわかっている頭のいい人達と比べたら、私はわかっていないことが多すぎると思うし、ずっとわからないことを考え続けて平気で数年とか経過していくし、自分で考えるんだ、と決めたことは、どうなんですか?答えを教えてください。って絶対に人に頼まないし。
H S Pな上に、ものすごく変わっている、変わり者なので、人が自分のことを誤解するのが普通、の生活をずっと送ってきていたんです。
 
だから、説明するのがあまり好きじゃないし。したって一緒だし。結果が一緒なんですよ。
謝って欲しいわけでもなんでもなくて。
わからないことをわからないと認めない、その人達のよくわからない姿勢にうんざりしていたんです。
 
私だってアドバイスは欲しかったですよ。今まで生きてきて。
でも、H S Pって切り出されない限り、誰もわからなかったでしょう?
 
誰も知らないんだから、アドバイスしようがないことを、なぜ、あてもなくこちらが待っていると思うんでしょう?
自分で考えていくしかないんですよね。
それに今はインターネットがあるから、それと本っていうものがあって、その二つで、過去も現在ものありとあらゆる考え方とか、そのきっかけとかそういうものに接続できるんです。
 
なので、自分でまず調べてみる。わからないことを恥ずかしく思わないで、誰でもわからないんだから、自分がわかるように、言葉遣いが近い人を探したり、検索したり、そうして知っていくことをね、ちゃんとやらないといけないんですよね。
 
私も、つい面倒になってラッと理解してるつもりになってたり、逆になに読んでたか忘れちゃってたりとかあって、もっとね、勉強をしないといけないんですよね。
 
こういうのをライフ・ワークって呼んでいいと思うんです。
 
自分のわからないことを調べ続けて、知っていき続けるんです。
治療しながら、時々休みながら、いま、できないことを探し出して自分を殴るのをちょっとお休みして、知りたいな、興味があるな、ということを紐解いてみる。
 
そういう時間は、お金に直接繋がらないけれど、結果、お金を生み出すいくつかの条件に結びついていくんですよね。
 
私は、最近、すごく言われている謙虚っていうことは、そういう暮らしの中での態度だと思うんですよ。
かっこいい言い方をすれば、不明というものへどう生きていくかっていう態度なんです。
わかんないことだらけの世界をどう生きていこうかっていうプランを実行するんですね。
インターネットや社会の「知」っていうものを、無料で利用して。(通信費かかる人はかかるけどね。そこはやりくり上手になっていくしかないよね。)
 
お金かけないでそういうのはどうなのよ!っていう人が本当にいるのかどうかは知らないけれど、気になるなら、いつか、金を儲けた時に、社会に返せばいいんですよね。
募金なり、応援したい企業や店舗のものを買って。
ネットでどう調べればいいかわからない人に向けて、知っていることをそれとなく教えてあげるのでもいい。
 
2011年の時点での、贈与経済っていう考え方の私の理解で恐縮ですが。
私はね、その考え方でいくとエンド・ユーザーなんですよ。
知恵をもらってばっかりだし、助けてもらってばっかりだし。
自分から誰かにあげるものは何もない。
あるのはせいぜいアナログ・レコードのギルバート・オサリバンと大貫妙子と松田聖子の初期のアルバムくらいです。
 
で、どうしたらいいのかな。
私は、エンド・ユーザーだけど、どうしたらその贈与経済の考え方でいう、誰かに何かを受け渡すことで、贈与経済の仕組みに参加できるのかな、と考えたら、エンド・ユーザーの私は、じゃあ誰か個人じゃなくて、場というもの全体、社会全体に、もらったものを返せばいいと思ったんです。
私にとっての社会とか場は、リアルの世の中っていうものと、ネットの世界なんだけども。
合ってるかどうかわからないけれど、とにかくそれをやってみようと思っていまやってってる途中です。
 
うまくいって誰のことも損させないって確実になったら、また書きますね。
 
個人的なことだけれど、私にとって大きなことが続いて起こって、泣いたりしているんだけれど、涙が出るからまだいいか、と思っていたんです。
そうしたら、なんだかものすごく怒るようになっていってて、どうしたのかな? と思っていたんですが、まったく自分の状態が穏やかにならないんですね。

だから、ストレスたまってたからかな?と思って、部屋の中でちょっとエア相手に対して文句言ったりしていたんですけど、やればやるほど、私にはよくなかったんです。
どんどん怒りっぽくなるし、ちょっとしたことでもカッとするようになって、おっかしーなー、なんだろこれ?って思ってたら、先日、ロイターをChromeで見にいってたら、俳優さんがどなたかを亡くされて、そのショックで傷ついていた、というコメントを発表されたという記事を拝読したんです。
 
私の中では、ショックを受けることは、傷つくことと繋がってなかったんです。
 
それで、あれ? と思って、怒り、傷つく、で検索したら、怒りっていうのは、2番目に起こる感情なんだそうです。
二次感情。
そうか! そういえば昔そんなことを読んだことが!と思って、私のこの盛大な怒りの前にあるのは、一体なんだろうと思ったら、悲しみだったんです。その悲しさに、なんでだよ!っていう困惑っていうか疑問があって。
それだったんですよ。
 
詳しく説明しているので、ぜひこちらのリンクを読んでいただきたいんですが。
 
参考リンク先
御池メンタルサポートセンター 様 内
怒りの陰に隠れた本当の気持ちは?
https://kyotokojohokenkai.jp/mental/column/1338/
 
だから今回、身をもって知りました。
傷ついていると、怒るんです。
私は盛大にショックを受けて、ポカンとせずに、傷ついて怒っていたんです。
まさか、ポカンとするのでお馴染みの自分が、と愕然としました。
 
だから街で見かける、ものすごく怒ってるおじさんやおばさんは、とても傷ついているのかもしれない。
怒りを抑えられないほど、傷ついていたのかもしれませんね。
それが何かはわからないけれど、そういうことだったのかもしれない。
だから、やっぱりあなたはその人の怒りに無関係だし、あなたが責任を感じることも何もないんじゃないでしょうか。
その上で、何かあったんだろうな、と思うと、少なくともご自身は整理しやすいですよね。
 
私はコントロールできない怒りが後から後からどんどん自分の中から出てきて、それを外に出すのが、今回はたまたま部屋の中だけで済んだけど、ほんと、外に出たりしたとき、部屋に来てくださる配送の方々やお願いしているお店の方々に、その怒りが出てしまわなくて本当に良かったと、胸を撫で下ろしています。
 
お互い、ほんとに気をつけましょう。
 
ショックを受けるということは、傷つくことだし、
傷ついていると、人は怒るんです。