・・・それは?
と思われている方が多いと思うので、先に説明を。
写真は、1月に余裕があればやっているエピファニーというお祭り?のガレット・デ・ロワというお菓子に入ってるフェーブという、なんか、そういうものです。
この投稿は、ほんわりした気持ちで読んでいただきたいので、再掲いたします。
うまく書けるかどうかわかりませんが。
誰のことも責めるでもなく傷つけるでもなく書けますよう、がんばります。
昔ですね、私はボーイフレンドとこういう話をしたことがあります。
「私達は占いは見たりするけれど、もしそれが予知だったら見てもらいたい?」
答えは同じ、
「予知なんかごめんだ。」というものでした。
理由は、先のことが心配で知りたい気持ちはあるけれど、確実に未来のことがわかってしまうことは嫌だし、そんなことはとても恐ろしい。
未来になにがあるかわかって生きていくことは、なにひとつ希望が持てない、期待も持てない人生を生きていくことで、そんなのは生き地獄だからです。
私は以前書いたように、H S Pです。
それもかなり過敏で、そのおかげでとんでもない半生でした。
その間に、決めていたことがあります。
なにがなんだかわからないことだらけの感覚過敏の世界で、もし、何かメッセージのようなものを受け取ったら、それを絶対に信じないようにしよう、というルールです。
私は綺麗100%の心を持っていないので、もし、そんなメッセージをあてにしてしまったら、自分が自分でなくなってしまう、とすぐに思いました。
そうでなくとも、なにがなんだかわからないものをあてにして、自分を決めたくはありませんでした。
私は、自分に従いたいし、物事を自分の意思で決めたいと思っています。
いままでのことを振り返ると、それを自分で満足いく程度までできるようになるための訓練を、私は、どうもしているのだな、と思います。
それに、こうも思いました。
もし、そのメッセージが、最初は良くても、次第に暗く、支配的になり、最後は私に、死ね、と言いだしたら?
私は、それにも従うのか、と考えました。
まずやらないな、とソッコー思いました。
じゃあ、何かそのメッセージが頼み事をしてきたら?
しつこく、あそこの街角にいるおばあちゃんの家に行って、ご飯を作ってあげろ、と言ったら、私は従うのだろうか。と考えたとき。
いや、やらないわいな。とあっさり思いました。
おばあさんの側に立って考えたら、薄気味悪いだけだし、年金目当てだと思われるだけが関の山で、おばあさんが怖がるだろうから。
私は物語がとても好きですし、ファンタジーも好きです。
ただ、私自身は、ファンタジーが好きだけど、ファンタジーには随分とヘンテコなところがたくさんあるな、と思っています。
例えば、
「あなたは世界を救う選ばれた人間なので、いまから私の言うこと聞きなさい」
と言われたとします。
私だったら、「なんで?」
と聞き返します。
「なんで私が世界を救うってわかるんですか?」
「なんで私が選ばれた人間だってわかるんですか?」
「なんでそんなご大層な人間なのに、訪ねてこないで、こんな誰も信じないようなやり方で伝えてくるんですか?」
「そもそもあなたは誰なんですか?」
「ていうか、仮に選ばれた人間としても、誰が選んでるんですか? その人達はどこに居てなにやってる人なんですか?」
「その前に、世界って救われないといけない状態でしたっけ? 私、普通に暮らして、毎食、とりあえず食べれてますけど?」
と聞きます。
まあ、私は、そういう奴だから
「せっかくいいことを教えてやろうと思ったのに、お前のせいで世界はダメになるぞ。ずっと後悔して暮らせ!」
と言って、そのなんらかは怒って帰っていくと思うんです。
人のせいにして、ね。
私は、こうも言うかもしれません。
「なんであなたは選ぶばっかりで、自分でやろうとしないんですか? もう体が無いなら、誰かに取り憑いて世界を救って、周囲の人に実は私はこういう考えでこの人に取り憑きました。世界を救えてよかったです。って言って去ればいいだけなんじゃ無いんですか?
私は嫌ですけど。」
「仲間にならないか?」
なんて言われた日には、
「なんで? え、なんで? 私はそれでなくても嫌な人にめぐり逢う確率が高く生まれついてるのに、よく知りもしない、今日、初めてなんだかよくわかんないやり方でメッセージ送ってきた人と仲間にならなきゃいけないんですか? 言ってることおかしくないですか?」
前のめり気味に訊きます。
なぜそんなふうに思うかと言ったら、私は心が美しい人間ではないからですし、物語を趣味で書いているからではないでしょうか。
私は、ファンタジーの中で起こっていることを、その物事が起こるように創られている理由は、そうでなければ物語が進まない作者の都合だからだ、ということを知っているからです。
同じことが、人間社会の現実でもよくあります。
それはあなたの都合でしょう?
どうして私のせいにするんですか?
どうして私にさせようとするんですか?
そう思う瞬間が現実によくあることは、みなさん、ご存知の通りです。
だから私は、現実で、
「あなただけに教えてあげる」
という言葉を絶対に信用しません。
私は、「いいこと」は、自分がまず味わいたいし、「いいこと」の取り分が減ると困るので、人にはまず教えません。
大体の人はそうではないかと思っていますが、それがどうかはわかりません。
なぜそうなのかといえば、
「いい情報は人に教えない」し、この世界には「人に教えてもいい情報」と「そうでない情報」というものがあることを知ってるからです。
「人に教えたくない情報というものは、人に知られると困る情報」で、「人に教えてもいい情報は、人に知られても自分が困らない情報」だと考えているからです。
整理するとそうなだけで、私は人にあれこれ詮索されること自体が嫌いなので、困るか、困らないか、では決めず、なぜそんなことを聞くんだ。その理由はなにか。というところで決めます。
私の狭量さとダルっダルなトコの自己紹介が終わったところで。
メッセンジャーっていますよね。
この世の中には、いろいろなメッセンジャーがいることは、私も少しは知っています。
1番馴染みがあるのは、クリエイターや表現者です。
芸術や娯楽、物作りの分野に多いですよね。
他にも本当に本気のメッセンジャーという方がおられるのかもしれません。
私がなんとなく見当をつけているのは、ヒーラーという、体や精神を治癒する分野で活躍する方も、そうなんじゃないんでしょうか。
その方達が共通して伝えてくることは、安心、癒し、幸福、慰め、励まし、生きる喜び、人生の楽しさ、この世というものにある素晴らしさにつながる断片、ではないか、といま考えてみましたが。
受け手である私にも確実にわかっているのは、そのメッセージは、少なくとも人を不安にさせるものではないんだ、ということなんですよね。
メッセンジャーである使命をお仕事にされている方、またはライフワークにされている方は、私の目には、とても美しい人達なんだろうな、というふうに見えています。
なにが、かは、私にも良くわかりませんが、少なくともその人の中に美しさを持っていて、そこで何かメッセージを受け取って、表現しながら伝えている。
だから、悪意ではないんですよね。
自分はメッセージを伝えるものなんだ、という自覚があるだけで。
私と比べたら、その方達は、とても優しい心の持ち主なんだと思っています。
昔ですね、ノストラダムスの大予言というのがあったんですよ。
1999年の7の月に世界が滅びてしまう、という予言が主に知られているんですけれど。
詩篇だったそうです。私も原文は読んだことがありませんので、記憶で書いています。
いま2023年ですから、当然、その予言は当たりませんでした。
そしてそれは予言であって、予知ではありません。
あくまでも予言だったんです。
でも私も、そうなのかなぁ? とは思っていました。
あらら滅びちゃうんだ。と思って、思っただけで特になにもせずに、7月が来たことも、後で、あ、そういえばそうだったね。と思いました。
憶えている限り、日本では多くの方々がそうでした。
それから、2011年の震災が日本で起こりました。
その時私は、やっぱりこの世には予知能力者なんていないんだな、と思ったし、タイムマシーンはいつまで経っても完成しないんだな。と知りました。
もしどちらかでもあったら、絶対に知らせるはずだから。
どんな人間であっても、どんなルールや規則が未来にあっても、必ず知らせに来ることを、私だけでなく、世界中の人間が知っているからです。
人間は、そういうふうにできているんですよね。
それくらいは、私でも知っています。
私は、ノストラダムスは、なんだってそんな予言を書き記そうとしたんだろう、と思うんです。
その理由はなんだったんだろう。と思うんですよね。
ノストラダムスが世を呪っていたかどうかは知らないけれど、そこまで全力で呪っていたのなら、もっといろいろと脅すと思うんですよ。
でも、なんかそういう、いかようにも解釈できるやり方で、1999年の7月に世界が終わるんですけれど。と書き残した。
私は、なんでその伝え方を選んだんだろう、という理由を考えます。
なんとなく思うんですが。
ノストラダムスは、自分が生きている先の、見えてる(いたらしい)先の、もっと果てに世界が終わらないと、世界が始まっている理由が立たないから、終わりを記したんじゃないか、と思うんですよね。
始まりがあるから、終わりをつけないと、作品は終了しない。
ただ、それだけだったんじゃないでしょうか。
(大丈夫とは思いますが、ノストラダムスをディスりたいわけではありません。)
もしね、本気の本気で、少なくとも近くにいる自分の子孫とか身内とかに伝えたいなら、絶対に何年の何月の何時何分にこういうことが起こって、こんなことになるから、ここに逃げて、何年前から食糧はこれだけ備蓄して、お金はこれくらい貯めておいて、家はこことここに所有して、あと貨幣価値がこれになるから、その物質をなんでもいいから倉庫に貯めておけ、っていうはずなんですよね。
私はね、世界の終わりを心配する優しい人達を、責める気持ちにはなれないんですよ。
その人達は、優しいんですよね。
ただ、優しいだけなんですよ。
そういう人達にめぐり合ったら、私も、できる限り、その人達を傷つけないように心配りをしようと思います。
もし、私が感覚過敏世界で、世界の終わりのメッセージとか、お金が儲かるメッセージとか、株価が上がる日にちとかいうメッセージを受け取ったら、「は? なに言ってんだ、お前」で、翌朝、起きた頃には忘れちゃうので、世の中はよくできているもので、そういう奴のところには、決してそんなメッセージはやってこないということも、私の経験上、とてもよく知っていることです。あははー。(無表情)
そういうわけで、年末だし、ちょっと大きな話題にしてみました。
お正月休み、クリスマス休暇と時間が取れる時期でもありますので、そういう世界規模のロマンティックな映画を観て楽しむのもいいですよね。
ちなみに私は、映画「インディペンデンス・デイ」が好きです。
アマプラで300円レンタル中です。(回し者ではありません)
以上、私が決めていること。私が知っていること。でした。