心の琴線という言葉がありますが、その線を1本、取り出させるとして、そのとても細く震えやすい線は、ある種類の熱を帯びていて、一瞬でも触れたら、そこからとても低い温度で火傷をしてしまうのではないか。
と、このアルバムを通して聴いて思いました。
普段、日常を暮らしていて、ここまで繊細な部分というのは、人によって違いはあるけれど、ほとんどの場合、いくつもの柔らかなコーティングを施すことで、守られていると思います。そうでなければ、心に簡単にひびが入ってしまうから。
このアルバムでは、タイトルにもあるように、普段、手放してしまっていると思い込んでいる、とてもとても心の脆い部分が、本当はずっと反応し続けていて、なんらかの物語を紡ぎ続けているのではないか。その物語は歌というきっかけがあれば、そこから緩やかにほどけていく自分自身との対話の中で、知らないふりをしていた、自分の心の最も敏感な部分が紡ぐ物語に、耳を傾けることができるのではないだろうか、と思わされる作品で構成されています。
それを音楽なしに、自在に取り出せる人というのが、eAeonさんであり、作詞に参加しているR Mさんのような、才能なのでしょう。
この、不明瞭な透明感の中で、繰り広げされる感覚の物語は、あやうさ、不安定さをまといながらも、よりいっそう静かな、それは情熱と背中合わせでもある、強い感情を持って、それぞれの物語を歌っているように感じました。
ときにはそれはものうげな狂気だったり(Mad Tea Party) 、静かな喪失感の中で、また再び出会った愛に、くりかえしの呪いから離れられない、別れへの始まりを見たり(Let's Get Lost)、”君が積もった僕の合計を見ろ”(Null)と憎しみに近づいてしまったり、完全な一対と思っていた相手が、愛以外の場所でも生きていけることを目の当たりにして虚無感に襲われたり(Night Gone By)、しながら、
「結末などつけようのない、でも確実に心の一部分では覚えのある、響き続けている感情にたどり着いて」、Evermoreという曲でアルバムは終わります。
Don'tという、完全に閉じた関係性から取り残されるときに、望もうと望むまいと、自分自身もその世界からはみ出してしまう、破滅の物語から始まるこのアルバムは、最後に語られたEvermoreを希望とするのは、少し虫がいいようにも私には思えました。
このアルバムを通して、ひとつの物語がなされていたのか、別々の表現がキュビズムのように表出させた断片をつなぎ合わせて、私だけにしか見覚えのない、個人的な物語を投影したのかは、わかりません。
ただ楽曲を通り過ぎたあとに残るのは、聴いた者の最も敏感な部分に捧げられた、eAeonさんからの祝福が、低温火傷のように心に張り付く作用のみです。
ひょっとしたら、心の1番脆い部分では、いつもこのアルバムの歌が流れているのかもしれない、という、痛みにしては過ぎてしまった、あとに残された実感の手触りがありました。
それが正解なのか、誤読解なのかは、結局は”もらった答案用紙には何もない”という言葉が全てのような気がします。
私の理解が及ぶか及ばないかはさておき、今回、素晴らしいアルバムを体験することができました。
そのきっかけを与えてくれたRMさんに感謝しつつ、eAeonさんの素晴らしい才能に敬意を表して、このとても独りよがりな感想を終わります。
付記
私は韓国語ができないので、楽曲の詩は、機械翻訳に頼っています。なので私の解釈は、誤訳の可能性がかなり高いことを、ここに記しておきます。
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