あれだけだと、ギョッとされるかもしれませんので。
どなたもそうであるように、私も、人からたやすく傷に触れられることを好みません。
心の奥深くにある、そういう傷の話です。
誰にも言いたくないし、誰からも何か言われたくないので、あるとわかっていても、時間が過ぎれば、そんな傷はどうせ私の中でなんとかなるだろうから、時が来るまで、そのままにしておこう。
私はそうやって生きてきましたし、それしか方法を知りません。
だから、おそらく口に出したこともなかったし、親切な方達が、ものすごい放送を昔、したことがあったんですが。
その時も、その偶然にずっと感謝して覚えている間も、答えというのものを自分では出せずにいました。
フィクションというのは、絵空事です。
絵空事であればあるほど、現実や人間の深い部分をなぜか模してしまう。
その不思議を尊敬し、また強く惹かれるから、世界中からフィクションというものが、いつまで経っても消えないのかもしれません。
以前、まだ私の部屋にテレビがあった頃、日本の大変傑れた劇作家さんが、ふと付け足しのように、「僕は大きなものに物語を書かされている」とおっしゃったことを、いまでもはっきりと覚えています。
大きなもの、とはなんだろう。
そう思われるでしょうし、私も同じ問いを持っています。
それは信仰の果てにあるものかもしれませんし、もっと根源的な人間に課された役割りのようなものかもしれませんし、スピノザの神、はたまたシンクロニシティが紡ぎ出す、人間には決してわからないようになっている、巨大に描画されているものかもしれない。
私にはそれが何かわかりません。
けれど、意図しようと意図せずとも、そこから生まれた物語は、時々、人を救うことがあります。
決して、他者が触れられるはずのない部分の傷を、何かの間違いのようにある日訪れてしまった現実を、少しだけのフィクションが、傷口をふさぐことがあります。
ふさがれてはじめて、傷口が長い間、開きっぱなしになっており、ずっとそこから血が流れ続けていたことを、知りました。
自分ではなんとかしていたつもりだったのですが、生きているとそういうこともあるのですね。
それで、お礼が言いたかったんです。
だから書きました。
いつものように、めぐりめぐって届く、天文学的な数値の先にある可能性に、願いを込めて、ではありますが。
そういう理由です。
20230803 22:08 誤字をなおしました。
20230803 22:37 文章をなおしました。