私も一時期、本で悩みのヒントを探そうと、躍起になっていたことがあります。
そう。ちょっと前のR Mさんのように、ここだな、と思うセンテンスを抜き書きして、大事に取っておいて、後になってまた読もう、と、何冊も大事な言葉ノートを作ったり、携帯のメモ機能に残したりしていました。
R Mさんが一体、何を思って、ああやってインスタグラムに、心に響いたセンテンスを出していたのかは、私にはわかりません。
それは本人に聞かない限り、わからない種類のことです。
ただ、私には、それは、過去の自分がやっていた「ヒント探し」と重なる部分があったので、ここには書かなかったけれど、R Mさんのことを心配していました。
なぜかというと、私がそれをやっていた当時、かなり追い詰められていた精神状態の時だったからです。
過ぎてしまった時間のことだから簡単に書いているように思えるかもしれませんが、その状態の私は、読みたいから本を読むのではなく、ヒントを探すために本を読むようになってしまっていたし、ソフトな自己啓発系の本をタイトルに惹かれて読んで、結局、知りたいことが具体的に書かれてはなかったり、これといって明確なことは何も書かれてなかった体験を、結構たくさんしました。
売れっ子のライターさんが書いた、人生応援讃歌のような本にも、やっぱり知りたいことは書いてませんでした。
他のことは明快なのに、肝心なところはぼやかしてお茶を濁して済ましてしまう。
私がその時、アクセスできた紙媒体の情報は、どれも似たり寄ったりでした。
どうして書いてないのだろう?と思った時、私は二つの答えに行き当たりました。
一つ目は、答えを知っていても商売のためにそうやすやすとは書かないのがそのテの本を出す商売のやり方なのだ。
というもの。
もう一つは、誰にもわかっていないことなのだ。
というものでした。
一つ目の答えもなかなかにシニカルではありますが、まあ真理です。
でも二つ目の答えにぶつかった時、私は自分に対して、どうしてもっと早く気づけなかったんだろう? と腹立たしい気持ちになりました。
そういう自分に気付けなくなるほど、その時の私は追い詰められていたし、必死でした。
そしてそういう自己啓発系の本を読むのはやめて、過去に書かれた文章を読み始めた時、先に書いたように、同じだな、同じことで引っかかってるし、悩んでいるんだな、という言葉が、今度は山のように出てきました。
私は忘れないように、そのひとつひとつを書き出して、大事に取っておきました。
確かに本の中には叡智が豊かにありました。
けれど、その時私が陥っていた悩みの迷路世界の中では、瞬間瞬間の安心材料にはなったけれど、即効性は皆無でした。
私が読んだ本には(それはその状態の私がアクセスできた情報という意味ですが)、今後どうしたらいいのか、という漠然としたもの、または、こういうことをうまく活かせるように自分をどうしたらいいか、というすごくパーソナルなこと。
そういうことには、誰も答えようともしていませんでした。
理由は、私の悩みはとてもとても個人的で、普遍性を持つ題材では無いから。
商品価値も無いので、商品として書店に並ぶものでは無いからです。
考えてみれば、至極当たり前のことだったんです。
そして、厄介なことに、そういう個人的な、とてもミニマムな視点のものには、時間、というものが、大きく関わっているんですよね。
時間ぐすりという言葉がありますが、その言葉を連想されても構いませんし、または、ある時期が来るまで、その答えはわからないようにできている、という言い方もできます。
そのある時期というのは、目の前に前からあったものから、その当時抱いていた自分の悩みを解消するきっかけなり、ヒントを、誰に教わった訳でもないのに、サラッと掬い上げることができる時のことです。
それが1年先なのか10年先なのかはわかりません。
私もそうでした。
本当にある日、ぽろっと、あ・そっか。そうだよな、と腑に落ちていくんです。
昨日までできなかった逆上がりが、突然、できるようになるみたいに。
そういう種類の悩みというものがあるんですよね。
そして、それはみなさんご存知の通り、誰もが抱える、悩みです。
どんな状況で、どんな来し方であっても、まるで祝福のように、嫌になる程平等に、その悩みは満遍なく私たちの中にあります。
そして、そのどれもが違う。
その上、時期が来ないと、受け取ったり、読んだりした言葉は、臓の腑に落ちきって、独自の効果を発揮し始める時まで、全く機能しないんです。
どうしたらいいかというと、待つしか無いんです。
アンダーラインを引いたセンテンスや言葉の効果が、受け取った思索に内包されている時限装置が、ある日起動して動き出し、その効果がいきなり発揮されるまで。
時間ぐすりとは、まさに言い得て妙だと思います。
私はR Mさんがいま陥っている悩みの世界は、そういう性質の悩みではないかと思っています。
非常に聡明な方ですので、R Mさんが堂々巡りをしているらしいその思考がどこらへんなのかは、私には見当もつきません。
けれど、わかっていることは、待つこと。
そして、”これから”を始めること。
”その先”をまたやり始めること。
その時こそが、長い長い成熟期の始まりだと、経験上、そう人生というもののマッピングをしています。
以上、非常に感覚的な話になってしまいましたが。
ヒントは探している場所ではなく、足元に元からある。でもそのことが本当の意味で理解できる時まで、足元のそれには気付けない、という話でした。
あくまでも私見です。
めぐりめぐって、R Mさんの思索のなにか足しになることを願って。
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20220709am00:07 誤字をなおしました。