苦味ってうま味に含まれてますよね。
私はビールはサッポロ黒ラベル派なんですが、いまは飲める時にしか飲みません。
体調によって、飲むと、すごく美味しくない日があるんです。
その「美味しくない」は、「ビールの苦味が気になってしまって飲むどころではない」状態になるんです。
飲めるときは「ビールの苦味がとてもとても美味しい」状態なんです。
で、アルコールを欲している時とそうでない時のセンサーが、ビールの場合「苦味」で、口に含んだときに舌が判断しているのかな、と思ってたんです。
飲めない時に無理に飲むと、悪酔いするので。
お酒は強くもなく弱くもない方なんですが、いまは無理をして飲むことを全くしなくなりました。
人から勧められた時もあっさり断るし、自分でビールやワイン、ジンなんかをあけたり作ったりした時も、ひと口飲んでみて、「あ、飲めないな」と舌のセンサーが反応したら、せっかく作ったんだから・・・、と飲むようなことは一切しなくなりました。
それで二日酔いになることは全く無くなったし、お酒の席で嫌な思いをすることもだいぶ減りました。
なぜならこっちは素面(しらふ)なので、絡まられかけてる状態でもさっさと交わすことができるんですね。
でもお酒を飲むときは、素面の人が混ざってると白けちゃうので、そういうときは、センサーが働いても少し自分で誤魔化して、ほろ酔いになっておくようには、気を使ってます。(お酒の席って気づかいの席ですよね。親しくなればなるほど)←真理
で、この苦味って、子供の頃は全くダメだった記憶があります。ぼんやりしたものだけど、確か、珍味とか苦味が後味になるマーマーレードとかも、そんなに得意ではありませんでした。
山菜やダークチョコレートも、なんの罰ゲームかと思ってたし。
ただ、それが大人になって、微かな苦味がうま味になっていったんですよね。
子供の時と比べて味覚が鈍くなっていってるから、そういうことが起こるんだと思ってたんですが、どうも違うようです。
お名前は忘れてしまったんですが、有名な料理家の方が子供の頃から、貝の「ほや」を食べて「苦味」の訓練をしていたそうなんです。
料理人を志望していて、苦味への鍛錬が必要と判断してのことだったらしいですけど。
なので、その料理家さんの知識にならうと、どうも苦味って訓練で発達していくもので、子供の時に苦味が全くダメだったのは、舌の苦味を感じる部分が鍛えられてなかったからみたいなんです。
大人になるに従って、確かに単純な味覚だった子供の時の食生活と違って、思春期くらいから、いろんな味を食べていくようになるので、今日話題にしている「微かな苦味」または「苦味」がある食事の回数も増えて、それで「あ、これはこれで美味いな」という「苦さ」に出会っていくそうなんです。
出会った時点で、「苦味経験値」が上がって、「苦味」は「うま味」のときもある、という舌の経験値も上がるわけですね。
私も、そうではないかな、と思うんですよね。
そうでないと、どうしてダークチョコレート食べるようになったのか、うまく私の中で、おさまらないんです。
もし鈍くなってるんであれば、苦味は感じないまま、重い甘みとして舌が反応するんじゃないでしょうか。
でも、しっかりと甘みの中に苦味が感じられているので、私はこの味覚が訓練(経験)によって開発されていって、いまの「うまにが」になってるんだ説をとります。
「うまにが」の食材としては、ふきのとう、菜の花、春の山菜、ビール、マーマーレード、ゴーヤ、レモネード、コーヒー、塩のにがり、などなど、私の好きなものばっかりなんですけど(笑)。
どの時点で微かに苦いものを好むようになったのかは、覚えていないけれど、「うまにが」センサーがあって良かったなと思ったのでした。
だけど私、酸っぱいものはまるでダメなんですよね。
レモネード飲んでるじゃないか!と言われたら、そうなんですけど、レモンや梅の酸っぱさは、まろやか酸っぱいちょっと苦いっていう味なので、大丈夫なんですが、もう完全に酸っぱいだけのものは、いまだにダメです。
酸っぱいセンサー、訓練できてないんでしょうね・・・。
表題曲はレミオロメンで「南風」
シングル曲ですね。
アルバム「ether[エーテル]」に収録。
名曲の多いレミオロメンですが、私は「南風」が1番好きです。
残念ながら、現在は活動休止中だそうですが、いまもずっと支持され続けているバンドですよね。
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