O先生によるエナメル紹介



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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/09/01

毒という名の香水


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
クリスチャン・ディオール 「Poison」


クリスチャン・ディオールの名香のひとつに「プワゾン」という香水があります。
これは「毒」という意味で、刺激的で扇情的でもある名前です。
この香水について2024年の現在、どのように捉えられているかを知りたい方は、以下のリンク先をご覧ください。
 
Wikipedia プワゾン(香水)
https://w.wiki/B4mK
 
最近、私は「プワゾン」を買い直しました。
20代前半の頃、私はどうしても「プワゾン」をつけてみたくて、パルファンではなくオード・トワレの「プワゾン」を購入しました。
でも結局、思うように上手につけることが出来ず、結局しまい込んだままにしてしまいました。
年月が経ち、この頃なぜかとみに「プワゾン」のことを思い出すことが多く、この年齢になれば上手につけられるかもしれないという期待もあって、この度「プワゾン」のパルファン購入に至ったワケです。
 
「プワゾン」という香水に対し、今の私なりに真正面から思考してみると、私は長い間、「プワゾン」について或る疑問を抱いていたことに気づきました。
それは、イヴ・サンローランの「オピウム」を意識して「プワゾン」は創られたのかもしれない。という少しだけ確かさに近寄った疑問でした。
調べると、本当に「オピウム」を対抗する商品として開発されたのが「プワゾン」だったんだそうです。
 
要GoogleChrome
Wikipedia オピウム(香水 )
https://w.wiki/B4UL
 
私は「オピウム」を普段使いしていた頃があって、割りと近年なんですけれど、素敵なアンティークの調度品という調った(ととのった)イメージを私に想起させるので、「オピウム」を普段使いしていました。
 
「オピウム」というのは「アヘン(阿片)」の意味です。
こちらも非常にセンセーショナルな名前ですし、個人的には香水というものの概念を覆し、革命を起こした名香だと思っています。
当時も商品開発段階で、そういった名前を使うのはどうか、とイヴ・サンローラン社内外で物議と動議を巻き起こしていたそうです。
ですが、イヴ・サンローラン自身の「オピウムか名前が無いかだ!」という断固とした姿勢で商品化され、現在もセンセーショナルな名を纏った香水として知られています。
ファッションの開拓者であるイヴ・サンローランらしいエピソードです。
 
香水とは、私は、総合芸術だと考えています。
 
ただの嗜好品なのに、と思われるかもしれませんが、手に触れるものから手に触れられないものまで、その全部を表現し得る、総合芸術でありながら非常にプライベートな嗜好品が、香水というものだと私は切り出しています。
 
状況、記憶、物質(マテリアル)、空間、音、光、時間、そういう全部を表現できるのが香水なので、複合芸術でありながら総合芸術でもある、とても広くて巨大な存在が、瓶に入れられて販売され、良い香りとして愛好されているんです。
全体像としては、最も巨大で最も小さいものです。
 
私が知っている範囲では、香水は精神を表現するもの、として存在していること多いようです。
「精神性が香りとして表現されている」と書くと、私の捉えている「香水とは何か」が伝わりやすいと思います。
香水は「精神の香りが象られているもの」です。
 
それが目に見え、手に触れられる液体と美しい瓶(または容器)で商品化されているのに、「目に見えない香り」が実際の正体です。
 
難解なのにシンプル過ぎて解きようもない哲学書のようですが、私が特に好きなのは、それでいて香水はとても個人的なものだという点です。
トンデモナイサイズのものが、日常に存在して、お洒落に使用できる。
そこがとても浪漫的でありダイナミックでもあり、非常に現実的な神秘なので、私は子供の頃から香水が好きなままなんでしょうね。
 
日本には香道という、今度は香りの持つ意味を広げ、十二単のように組み合わせによって、自身の大切にしている森羅万象のセレクトを相手に伝えたり、メッセージやその時々の季節を薫らせる「遊び」があります。
こちらも感性的かつ、香と紐付く意匠が示す言葉すらも自在に見えないものにしてしまう、莫大な世界観というものを手のひらの上から覗いて香る、典雅なものですよね。
時々、お寺さんなどで香道のレクチャーをやっていたりするので、興味がある方は体験してみてはいかがでしょう。
 
いま書いたような、香水へのそういう考えの取り組み方をすると、「プワゾン」という香水はどうして「毒」という名前なのか、をもっと自分なりに考えてみてもいいかな? と勇気をもらえます。
 
現実では、「オピウム」の向こうを張る圧倒的な名前を持つ香水を開発したかったクリスチャン・ディオール社が「毒」という名前を持つ香水を売り出し、大成功を収めた。
という情報です。
 
しかも、なんとこの香水は、アダムとイヴが楽園で蛇に誘惑されて手にした知恵の実である林檎をイメージし、毒としているんですって!
だから「プワゾン」パルファムの瓶は、林檎をイメージさせる形をしているのだとか。
 
私が大昔に購入したオードトワレの瓶はもっとなだらかな紡錘形だったんですが、こちらは知性が点るの、灯りの形に見えなくもないな、と今では思います。
買った当時は、あ、意外と都会的な形なんだな、と少し不思議な心持ちがしました。
「毒」というからには、もっと強烈なデザインの瓶なんだろうな、と思っていたので、拍子抜けしてホッとした感覚が今でも残っています。
 
どうしてその知恵の実である林檎を、毒としたのか。
 
諸説紛々或る中、白雪姫の食べた毒林檎の意味も持つ、ということもあり、直線的にセクシャルなイメージへの想起をこの名香に抱くのが妥当である、とい風潮が今もあるようです。
「毒婦」を気取ったりセクシーなイメージを逆手に取ったり、または危険そのものとして香らせている、と1時期信じられていたことも私が知っている範囲ではありました。
 
その価値観はそれとして、「プワゾン」は知的な風に香らせるべきだという決心が私にはあります。
 
わたくしのフランス語の先生が当時「プワゾン」を愛用しておられ、先生が通った後の残り香漂う廊下で、あ、フランス語のテストもうすぐだな、と思ったことを今でも強烈に記憶しています。
とてもエレガントで茶目っ気をお持ちの素敵な大人の女性でした。
特に言葉を交わしたり、お気に入りになれたことはなかったのですが、私はなんだか先生が好きで、先生も私を好ましく思っていてくださっていたことを当時から感じていました。
懐かしい、数少ない良い思い出です。
 
いま考えると、その影響もあって、
「違うのよ、プワゾンっていうのはね、そういう付け方をするもんじゃないのよ。もっと、もっと・・・こう、ね。なんて言ったらいいんだろう、これ・・・?」
という気持ちが私の底にあり、「プワゾン」を上手につけてこそ大人の女性、という飽くなき探求の原点となっていたんでしょうね。
 
アダムとイヴが楽園を追われる原因となったのが、知恵の実である林檎を食べて羞恥心やその他諸々を抱いてしまい、地上に降り立ったというエピソードがこの「プワゾン」の軸となる思考なら。
 
私は、この香水の正体は「知性」の香りだと思います。
あの林檎の味こそが「知る」を知った二人が楽園を追われる原因だったので、楽園からの視点では林檎は「毒」でもあります。
けれど二人は死ぬどころか、新たな探求を求めて世界を広げてしまい、知性をもって大いなる旅を始めてしまった。
もし本当に毒なら、なぜその林檎の木は楽園にあったのでしょうか?
蛇は本当に良くないものだったのでしょうか。
なぜ蛇はアダムとイヴに知性の存在を教え、自らの意思で食べることを選ばせたのでしょうか。
私には、そこまでがワンセットで楽園の機能のように思えます。
 
知性は毒にも薬にもなる、というエスプリをその名にダブルミーニングとして持ち、あれは良くないものだよ、と眉をひそめているフリをしながら、その実、甘い果実でもある、という官能性をも併せ持つ、非常に不思議で、不可思議で、調和しているのにいくらでも考え続けることができる騒ぎをも持っている。
 
この「毒」という名前の香水は、その実となる香りが持つとおり、確かに知性そのものの広がりを香らせていると、味わいながら思いを巡らせています。
 
きっと知性という態度を纏えるのでしょう。
 
 
まったく無関係なのに、延々と考え続けられることが身近にあるのは、日々をとても豊かに充実させるものだと私は思います。
香水について検索したり、アットコスメのレビューを見てあれこれ購入計画を立てたり、歴史の図表(で合ってますか?)の香合わせを見て、あ、この香り今でも使われてる!と感心するのも楽しいですよね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
 
 




2024/08/31

台風大丈夫でしたか? と短気ではありませんと楽曲の対訳・レビューをテキストファイルで購入させてほしい。

台風大丈夫でしたか?
 
私の住む街は思ったより風が強くなかったんですけど、雨がすごく降り続いていて不安でした。
昨日、8月30日の昼頃、もう台風は温帯低気圧になったのかな? と外出の支度をしていたら、吹き返しかな?と思うくらい強い風が吹き始めて、外出するのをやめました。

本日、8月31日 午後12:12現在では、私の住む街を台風は通り過ぎ、現在は本州にいるようです。
 
そう。
この台風はいまだ温帯低気圧になっていません。
 
物申す系って好きではないので、相変わらずのふんわりのびのび口調で書きますけれど。
 
気象庁はフェイクニュースを出しませんよ。
信頼とか信用とかそういうハナシ以前に、気象庁がフェイクニュースを出す理由がありませんよね?
 
「どうしてもこれをやらなければならない」 という動機、行動理由がありませんし、気象庁は1人ないし数人のグループではなく、たくさんの人達が働いている所でもあるので、台風が温帯低気圧になったのに、それを、まだ台風はあります。みなさんの経済活動や交通機関等の生活の動きを止めて下さい。とフェイクニュースを出す理由がありません。
 
そういう風に考えてみましょう。
 
ときどきネットは、びっくりするようなことを言い出す人が現れるんです。
主に、見ている人達が不安になっている時に。
災害やその準備をしている時、大きな犯罪が起こったとき、世界情勢が不安定な時、などなどなど。
 
そういう時、まず、その内容を実行する理由は現実的にあり得るだろうか? という考えをすると、わりかし無いな。と判断できます。
そして、無いな。と判断しても、それは自分の先入感ではないかな? だとも、一度ざっと考えてみると、現実的という言葉が、日常生活の経験の蓄積から出てくる判断である。
実寸大の判断であるのだ。
という確認ができますよね。
 
良かったらやってみてください。
 
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あと、これは私からの意思表示として読んでいただければと思います。
 
私は今後、前回の日曜版のように、「今回はショートムービーの体(てい)で書きます。」と前置いていることは、読んで下さった個人個人の解釈におまかせします。
お一人お一人が感じたことを大切にして頂ければそれでオッケーです。
 
今後、同じようなものを書いたときも、それ以上の説明をいたしません。
 
前回の日曜版は、エナメルお得意のお家芸だと、知られている所では知られている、美しいイメージを読んで下さった相手に伝える手法での、散文形式の文章です。
 
私は読んで下さった相手に不安を伝えるものを書くのが嫌いです。
そして、同じく私のことで心配をかけてしまう内容を書くのを極力控えるようにしています。
特に日曜版ではそうです。
 
ですが、日常生活で危ない目にあったり、ヒヤッとしたことなどは書くときは書きます。
 
私はアマチュアで、その範囲でブログを書くという立ち位置から動く予定は、現在ありません。
 
なのでネタを探しに街に出かけませんし、ひっそり暮らすのが大好きなので、日々のことやすれ違う人達のことを無闇に書いたりしてきませんでしたし、書きません。
 
他の方がどうしようとそれはその方のお好きなようにすればいいことですし、いちいちビーフを仕掛けたりしません。
そういうワケで、私は私の好きにしていますし此れからもそうします。
 
あ・それと大昔、私は自分のキャラ立ちの為にひとつウソを書いていたので訂正します。
 
実は、私は短気でもなんでもありません。
HSPの特性はありますが。
どちらかというと対処は常に淡々としています。
トラブルが続けば続くほど、より淡々と対処していきます。
 
それは子供の頃から大人になっても、自分の思う通りになることがあまりにも少なかった為です。
師も同じ環境に居たそうで、だからこその出会いだったのだな、と胸を熱くしています。
 
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この頃、実はものすごく忙しくて、なかなか文章を書く時間が取れなかったのですが、やっとお盆前からのバタバタとお盆のバタバタが終わり、のんびりできそうです。
 
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台風一過で私の住む街は晴れています。
影響を受けている地域にお住まいの方は、くれぐれも公共情報に従ってご注意ください。
 
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私室にあったメモの山を昨日整理できて、気分がスッキリしています。
もうしばらくはブログの更新が週末に集中しそうですが、これから得意な季節が始まりますし、暮らしのスケジュールも元に戻せそうです。

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ビヨンセの「COWBOY CARTER」をやっと聴いて数曲をiTunesで購入して繰り返し流しています。
 
あのー、私はアーティスト側の歌詞への情熱はとても重要だと思っています。
iTunesやAmazonMusic等で、楽曲を購入したときに、数十円から数百円割高にして、オフィシャルの歌詞と各国の対訳(翻訳詞)とライナーノーツとかつて呼ばれていた論評ないしレビュー、アーティスト紹介を楽曲購入時にテキストファイルで売ってもらうと、私のように、
この楽曲はどうして創られたのか。
どうしてこの歌詞だったのか。
引用元はなにか?
一体、どの国で起こったどういったことを歌っているのか?
なんていう疑問が、あっさり解消されると思うんです。
 
アルバム全体購入用のもの。
楽曲単体購入用のもの。
それぞれテキストファイルで用意して欲しいんですが。
 
こういう希望は昔からあると思うんですが。
音楽ライターさん達とか翻訳家の方達とか、忙しいですか?
 
よろすくです。
 
 



 

2024/08/25

八重咲きの百合・オリエンタルリリー・アイシャ

日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 

オリエンタルリリー・アイシャとピンクッション
 
本日は珍しく、ショートムービーの体(てい)で書きます。
どうか読んで下さる皆さんの想像力を、その”見立て”で動かしてみて下さい。
 
近所の花屋さんで、珍しい百合を見つけたので購入しました。
 
八重咲きの百合で、オリエンタルリリー・アイシャというそうです。
 
アイシャだけで検索するとアラビア語で「生きる」「生きている人」「(幸せで安寧な)長生きする人」 という意味だそうです。
 
ピクシブ百科事典より

オリエンタルリリー自体の花言葉は、百合と同じで[
威厳」「純血」「無垢」「高貴」。
 
彩季舎より
 
以前、オリエンタルリリーの一種が「お化け百合」と形容されていて 、酷いな・・・、と苦笑していたのですが、きちんと調べると、とても祝福に満ちた花言葉を持つ八重咲きなので、買って良かったと気持ちが膨らみました。

オレンジ色の花はピンクッションというそうで、その名の通り、針刺し(針山)なんだそうです。
花言葉はこちらもおめでたく、「どこでも成功を」
「共栄」「陽気」「ふりそそぐ愛」とのこと。
 
Pure flowerより
 
 
こういった感じの、一見オブジェのように見える花をワイルドフラワーと呼ぶとも、上記リンク先様に書いてあります。
 
百合というと私は聖母マリアを連想します。
でも実は夏が盛りなんですよね。
何回聞いても冬の花のような気がするので、夏が来るたび百合が安く流通しているのを見かけては、ちょっとだけ違和感を覚えます。
 
百合って薔薇の次によく使う花の名前なんですが、この不可思議な違和感こそが、百合の醍醐味のように私には思えます。
 
違和感というと少し緊張してしまうんですけど、きっとこの字面が実際に体感する「異質」とジャストサイズだからなんですよね。
 
イメージだけで書きますが。
百合の中でも特に白い百合は、キリスト教での天国に咲いているのが一番しっくりきます。
きっと純粋が祝福と契約して純潔となり、天を覆い尽くす満開となっている。

白い花が地上に降り注ぎ、降り積もり、真夏に違和感が咲いているのではないでしょうか。
 
そう考えると、私個人にとって違和感だらけの真夏、地上に降り立った聖なる違和感が、肌を灼く違和感を「ましろ」に相殺してくれるのだ。と、少しホッとします。
 
本当は冬に咲くべき白い花は、なぜ真夏に開くのかな? と、とりとめのない想像を進ませると、きっと街中の空気中に蔓延するささやかな違和感が、白い百合の形で世界にスタンプされているから。
そして、その美しく純粋を約束した違和感が咲いた花は、実は天から降りこぼれたものが、変異しながら落下する途中なのだ。
 
なんてことを考えるとですね、違和感を覚えても、あまり緊張せずに済みます。
白く、先端が外側にカールした百合が、最初に胸に飛び込んでくるのですから。
 
自分が違和感を覚えても、誰かがこちらに違和感を見い出しても、それはすべて、降ってくる途中の、澄み切った美しい白い純潔だったのだ、とそっと心の中で人知れず確かめると、違和感というのは、なんらかHSPと静かさが好きな方達にだけ赦された、純粋を約束したものがこの世界に転生した象(かたち)とも言い換えられます。
 
私は、もういい歳なんですが。
とにかく変わっている、お前は変わっていると、言葉や沈黙や空気でずっと指摘され続けた日々でした。
最近では、ここまで来たらもうなんだっていいし、変わっている、という定義自体、時代や街、所、価値観によって、いくらでも転がっていく、単なる一時的な見当でしかないのだから、この先、あと何回、変わっていると指さし確認されるんだろう、と無表情で受け入れることにしています。
 
あんまりしつこく変わっている、とイチイチ確認の為だけの便宜の言葉を使われたとき、よかったら、違和感というのは白い百合の象をしている。
花が降ってくると思う、と謳った詩人の心にあったのは、きっと白い花だったのだ。
と少しだけイメージを逃がしてみて下さい。
 
そうすれば、少し気分が良くなるのではないでしょうか?
 
百合は良い匂いもしますしね。
 
花屋さんは冷房が効きまくっていますので、一番小さな避暑地として覗いてみるのも残暑の街では打ってつけです。

それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。
 
 
大きな台風が近づいて来ています。
予報の地域の方は、備えをしっかりしてください。
私もベランダの鉢植え達を中に入れる準備をします。(夜に)
 
 
 
 
 八木重吉詩集
「貧しき信徒」 花が降ってくると思う より
 

2024/08/22

オリーブオイルその後

 
 
特にメーカーは決めていません。

 
オリーブオイルでクレンジングを始めて、20何年になります。
 
私にはこの美容法が合っていたらしく、エステにしょっちゅう通うお金もないので、効果としては、年齢の割りには小じわは少ない、という自覚があります。
 
ヘアオイルとしてもずっと使っていて、こちらも薄毛予防や薄毛が目立ってきたなという時に2,3ヶ月使用するとだいぶ目立たなくなり、なかなか便利です。
 
ヘアオイルでの使用は、1時期カラーが落ちやすくなってしまうので辞めていたのですが、美容室でしっかり白髪染め兼カラーをしていただいているので、併用しても問題なしと判断し、また再開しました。
プラス、カラーの退色、黄ばみを抑えるため、カラーシャンプーも使っています。
 
出かけるときは、以前ご紹介したオイルを使って髪に艶を加えています。
こちらのほうが香りがいいので、それ狙いです。
 
主にアウトバスヘアオイルとしてオリーブオイルを使っているんですが、地肌への刺激が少なくて好きです。
 
オリーブオイルは1時期価格が高騰してしまって、クレンジングとアウトバスで使用していますから、あわてて安い内にと一本ストックを購入したんですけど、あっさり価格が元に戻り、経済のムードに押し流されてしまった自分を反省しました。
 
 
クルクマと百合

 
さっきベランダにある、素敵な名前を持つ庭に水を撒こうとしたら、日没が早くなっているのに気がつきました。
それほど今年は真夏は余裕がなかったのだな、と愕然としました。
 
水撒きはホースにしてとてもラクになったんですけど、何分今年のものすごい暑さで、夜になってもありえないほど気温が高く、ホース持って立っているだけで何度か軽い熱中症の症状が出てしまい、アイスノンを包んだタオルを首に巻いて途中冷水を飲む休憩を挟んで、なんとかやり過ごしました。
 
まだ日中の暑さは変わりませんけど、台風が来ているせいか暑さに威力がなくなり、旧暦の流れのほうが実は正確な季節の感覚なのかも、と思い始めました。
 
気温や湿度とは別に、朝晩、とても秋めいていませんか?
 
午後、エアコンの効いた部屋で外を見ると、光が完全に秋の感触で、8月やお盆を過ぎたら旧暦では秋です。という区切りが、実際の体感なのだな、としみじみ思います。
 
旧暦カレンダー、またダウンロードしようかな。
 
9月に入ると、街がいつも通りになります。
いま思うと、私は子供の頃から、
「行きたくない所には、行かなくても良い」
「行かなくてすむ、工夫と知恵を使ってなんとかする」
「逃げることでは決してない」
という考えをずっと胸の中に持っていたようです。
 
そのために世の中と呼ばれる価値基準からはみ出てしまっても、それで不利とされるあれこれの手間が増えたとしても、私は「行きたくない所には行かない」をやるために常に準備をしたり、準備が進まないときは、無意識でじ-っとうまく回避する方法を考えていました。
 
聞いた話なんですけど。
「あのときあんなことをしなければ良かった・・・。あんなことをしてしまって・・・」
と人知れず後悔した時点で、もう赦されているんですって。
自分を責めてしまう方はよかったら知っていてくださいね。
そしてその罪悪感につけ込まれないようにしてください。
 
以上、オリーブオイルその後、でした。
 
 
 
 

 
 
 
 

2024/08/18

普通で、清める。


 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
清める。という言葉を見たとき、何を想像しますか?
 
「え、怖いな。なんだろう・・・?」
という気持ちに私はなります。
 
どうして怖いと思うのかという思うと、
清める→え、怖いな。なんだろう?→わからないことをなんとなくやらないと清められないのでは?→目に見えないものを清めないといけない→えーっとすいません。これからシャワー浴びるんで考えないことにします。
 
という、変な刷り込みがあるんです。
 
または掃除です。
これも嫌いです。
 
この二つの共通点は、うまくできない。得意ではない。
前者においては、なるべくならやりたくない。だってそういうことを勝手にやってもし間違っていたら、怖いから。
・・・もう考えなくていいですか?なんかすみません。(いや誰に?)
 
なんですよね。
 
先日、小豆を炊いてぜんざいを作ったり、漉し餡を作ったり(お盆を満喫したようですね)していて、普段の暮らしの中の範囲で起こっていることは、暮らしの範囲でなんとかなるのではないか? と思いました。
 
私は穀類を煮たりするのが好きでして、料理が出来る以前に、やっていて気持ちが鎮まるから、なんです。
 
暮らしの範囲とは、あたりまえの穏やかさの中に存在する、部屋、家でのことです。
 
そこからはみ出るものは、緊急の番号先へ要請するレベルの出来事、清める、でいうなら神社仏閣のプロを当てにします。
 
そこからはみ出ないものは、自分が暮らしていて、自分の裁量でだいたいなんとかしていくもの。のことです。
 
その中に、本格的なものではなく(みなさんが想像なさっているプロの手を借りるアレです)、普通の範囲、当たり前の範囲、どこかでなんとなくやっていることの範囲、が暮らしの範囲で起こっていることをなんとかできる基準なんだと思います。
 
清めると言われて怖いのが収まった後、
 
とにかく窓をあけて換気しようかな?
そういえばここ掃除しようかな?
このごろお菓子焼いてなかったな。
今日は久しぶりに煮物焼き魚で行こう。
 
と決めていくことが、おそらく、私達が感じているよりも、大正解の解を踏んでいるのではないかと思い、本日の話題にしました。
 
これは、環境を自分の手でできる範囲で一気に変えてしまう行為、という置き換え方が出来ます。
 
同じく、清め、という考えや感じていることを、行動や実行可能な範囲でやるとしたら、まず多くの方がなんとなく知っている「塩」と「酒」を思い浮かべると思います。
 
これは消毒効果があるんだよ? とか、これは実は化学反応がですね、ということは今日は並べません。
 
なぜかというと、なんとなくやっていること。なんとなく知っていること。なんとなくそういえば昔言われていたな。ということは、
経験則の積み重ねが発信している解答だからです。
 
それは、
 
これをやったらなんだかまあなんとかなった。こと。
ここは無理があって続けられなかったけど、これは続けやすかった。
お休みしても特に不安はならなかった。
再開しても前と同じ気分になった。
ちょっとだけ、コンディションが良くなる。
 
そういうことを、うっすら感じながら、まあ今日はカップ麺にしよう。とか、美味しいもの食べちゃおうかな? とか担々麺にしようとか(好物)、決めていくことを指します。
 
決めていけるから決めていいですし、決めたことでリスクを背負わなくてもいいから、普段の日常でなんとなくフォルダに入ってることを、なんとなくやっている。
 
それこそが、経験値からのアドバイスではないでしょうか。
 
少し怖い、と思うのは、たぶん、失敗したらどうしよう。と直結しています。
でも暮らしの範囲でのことは、だいたい自分のできる範囲でなんとかなるように、なってるハズなんです。
暮らしていけているから。
 
清め、で言うとまずは「塩」です。
よく耳にするのは、必要な方は普段携帯し、お清めの塩を購入して(Amazonにありますよ)、なんらかのいい影響を自分に与えるからそれを使っているそうです。
 
私は、そうなのかな、とは思うんですけれど、どこかでなんとなく「ウチの場合は、普段買っている塩でやれる範囲でやる」と決めているところがあります。
私が気にしているのは天日干しかどうかではなく、普段手に入リやすい、続けられる範囲の安価である、が基準なので、売っている塩を購入しています。
塩は天日干しかそれに準じた環境で作られた製品が市場に出回っているから、私は、その製造過程であるのならオッケー派です。
 
営業妨害にならないように添えますが。
売っている良い塩は、おそらく天日干しだけではないものが付加価値として付いているんです。 
それは、プロレベルの判断やセレクトである。と私は考えます。
 
「プロの判断が清めの塩の場合として売っている」ので、それを購入すれば、必要な人向けの安心が手に入りますよね。
 
日々の積み重ねが忙しくてあまり出来ていないから、いま時間取って豆煮たり(私です)、旬のもの取り寄せたり(私です)、なんか育てて肥料やったり(薔薇とかです)、気になったら玄関先ほうきで掃いて打ち水したり(年に1回くらい)、そういうの、今やれないんで! という方は、こっちだと思うんです。
 
私はですね。掃除、煮沸、水が気になるときは置き冷まし(沸騰させて冷ますアレです。レンチンもちろんオッケー)、あと塩(fromスーパー)が、私に合っている、普段なんとなくやっている清めです。
お香も焚いているかな。
 
それプラス、旬のものを食べているとやっぱりコンディションがいいんですよね。
体調もいいし、あんまりピリピリしなくなる。
 
旬のものって難しいし・・・、と思われるかもしれませんが、スーパーのあの斜めの台またはお洒落樽(たる)にガッサリ入っているにんじん、じゃがいも、たまねぎは、いっつも旬のものが売られています。
だから安いんですよ。
どこかしらのその地域で旬のじゃがいもが一番、流通が多くしていて、安く仕入れて(つまり「いつもの値段」)で売られ続けているんです。
いっつもあるけど旬なんです。
他には、その時々で安いものが旬です。
たまに旬にしか流通できないものは、まあまあのお値段です。
 
それをふっつーに食べているとやっぱり調子がいいんです。
 
私は、なんとなくそれをやっています。
きちんと説明しようとすると、経験値の積み重ねとか、漢字だらけの難しそうな見た目の文章になっていますが、そういうの食べてりゃオッケー、と確かに決定して、毎日ご飯食べているんです。
 
普段の暮らしの範囲って、できる範囲なんですよね。
できる範囲で、まあまあ成功体験があるから、できる範囲と判断されている。
 
そういう環境にはあまり縁が無くて・・・、と心配にならなくてもいいと思います。
言い換えると、それは暮らしの中でどこか懐かしいと感じる、一番ささやかなもの。
それこそが、以前からなんとなく知っていて、なんとなくやっていて、明るい気持ちが穏やかに続いくんだと、すでに1人1人が知っていること、だからです。
 
 
私はお盆が過ぎた途端、窓の外の明るさが9月の色になっていることでホッとして、身体の力が抜けました。
 
以前の愛読書「おうちで楽しむにほんの行事」 広田千悦子著を引っ張り出してきて、いまパソコン机の上に置いています。
休憩のたびにちょこちょこ開く読書の再開としては、なかなかいい指南書だと、自分の無意識セレクトに満足しています。
 
今日は、青山フラワーマーケットから定期便の花が届きました。
白くて華やかでお洒落な花が好きなのでそれを飾ったり、綺麗だなと思う心に従って気持ちを生けたりしたいと思います。
 
今日は、少し遅刻しました。 
お詫びはチョコレートパフェにしたいので、2回断ってから3回目に渋々、そんなに言うならいいけどさ・・・、と言って下さいね。
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごし下さい。