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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2024/01/28

予定通り削除しました。

予定通り、削除しました。

 

遅くなったのは、映画「マリリン7日間の恋」を観ていたからです。

初見です。

あらすじも全く知らずに今まで来たんですが、先日、楽しんごさんがこの映画のパンフレットを持って写っている写真をネットで見かけたので、 同じ気持ちの方がおられるのだろうか、と思い、今日、嫌なことを思い出したので、気持ちを変えるために視聴しました。

 

映画「マリリン7日間の恋」は、アマプラで、「My Week With Marilyn 」の原題で、字幕版が100円レンタルで公開されています。

邦題「マリリン7日間の恋」の字幕版は、現在公開されていないそうです。

吹き替え版だけ公開されていますね。

 

いろいろな解釈がありますが、私の感想は、「良いウソ」だったな。

「My Week With Marilyn という素敵なウソをありがとう。という気持ちです。

 

私は、ノーマ・ジーンの映画をほとんど観ていないはずです。

理由は、以前書いたように、私は、制服を着ていた頃、ノーマの苦しみを知り、当時、家にあった、ヌードでも胸を強調など決してしていない、若干、セミヌードともいえる、上品な写真のレプリカを見て育ったこともあり、彼女を断じて苦しみに直結するものを媒介して見ない、と心に決めていたように思います。

やがて、それが決定的となったのは、少しだけ大人になった頃のマリリン・モンローの特集番組でした。

 

その番組は、こんなにマリリン・モンローは辛かったんです。

こんなにマリリン・モンローは可哀想だったんです。

と、あまり全面に出しておらず、淡々と事実と当時わかっていた範囲での、マリリン・モンローとノーマ・ジーンにまつわる証言で構成され、彼女の鋭利で鋭敏なインテリジェンスと、単に仕事の才能に恵まれていただけのことが、彼女を世界中から寄せられる、憎悪と嫉妬と揶揄とおそらくは暗い恋慕の呪いに叩き落としてしまった、不幸としか言いようのない記録を放送しました。

だから、2024年の今、その当時の強い気持ちを言葉にするなら、私は決してノーマを消費したりなどしない。という誰にも言わない、断じて破らない約束になりましたし、今でもその約束を私は、断固として守り続けています。 

 

この先のクリエイティビティの可能性に呪いをかけるつもりは全くないのですが。

イチ、ノーマ・ジーンの、幼い頃からのファンの願望を書くと、

あまりにもノーマの人生は苦しみと無理解に彩られすぎて、やっとその地獄のような人生が終わった時も、彼女への無理解の痕跡が、オーバー・ドーズという形で、死の記録にまで残ってしまっています。

それは、世界中の人々がマリリン・モンローを一生懸命やっていたノーマ・ジーンを愛していた拍手には、釣り合いが取れなさすぎていると思うんです。

ノーマが不幸な話はもうたくさん。

ノーマに起こってしまった、トラブルも問題も、彼女が苦しい話は、もうこれ以上、知りたくは無いんです。 

だから、この素敵なウソを、どこか謎めいてまで、あえて事実を口にしない選択をした原作者を、それを映画化しようとした人々を、やっとこの、ノーマはもう十分すぎるほど不幸だったんだから、架空の世界だけでもせめて幸せな時間をあげて欲しい。

という気持ちを、わかってくれる人達が声をあげてくれたのだと嬉しい気持ちでいます。

 

たくさん、おかしな点もあるし、誤解もありまくりだし、今となっては、これも、遅れてやってきた過去からの便りとなってしまっているのも事実です。

だから、あらら、という気持ちのところもたくさんある。

あるけれど、私は、ノーマ・ジーンの映画としては、最高の作品だった、と思っています。 


そこに映って生きて恋をしていたマリリン・モンローは、確かに私が望むとおりのマリリン・モンローだった。

ノーマは、そうしたかった。

夫という現実がいない、たった1週間だけの、彼女が思う大スターと大スターのプライベートを過ごした。

だから、私は、映画の中でだけでも、それが現実となり、ノーマの望み通りになって、とても嬉しい。 


観終わった直後なので、少し言葉が強いかもしれないけれど、そんな感想を抱きました。

 

今日は、一杯やって寝ようかな?(笑)

 

じゃ、おやすみなさい。

 






良い、言い方

暴力を想起させる内容を含んでいます。

苦手な方はご注意下さい。



 
相変わらず、なにがなんだかわかっておりませんが。
 
もう、わからないときは、自分ならそうしてもらったほうがいい、という判断をするしかありません。
 
どういうつもりであったか知りたい、と、もし、相手に言われたときは、ネットでは私は気を遣って、なるたけ角が立たない、うまい言い方をします。
それでうまく治まるなら、ウソはウソでいいじゃあないか、と考える人間でも私はあるので。
 
本気でぶつかって行く相手には、実は、こっちが本気なんだから、思いやりとか気遣いとか、生ぬるいことを言うな! ごまかさねぇで本当のことを言ってくれ、というような、一本気な性分を持っていたりも、します。
 
まあ、世の中には、往々にして、いちいち本当のことなんか言わないほうがいいことが山のようにあるんですけどね・・・。←このへんが歳月を感じさせますね。簡単にいうとババアになったってことです。
 
先にお詫びをしておきます。
どう考えているか、どう思っているかなんて、その本人にしかわかりようもないことですが。
ここまで、本人もあっちこっちも騒ぐんだから、本気で知りたがっていると判断したほうがいいようです。
だったら、本気で答えます。
 
もう忘れてたし、なんとも思っていません。
どうか、お気になさらないで下さい。
 
本題に入ります。
私は、過去に立派な人というものに会ったことがありませんでした。
 
ちょっと色々と複雑な人生ですので、立派な人というのは、そのときだけ立派な人で十分、という考え方をずっとしていたし、今もしているんですけれど。
 
でもそういう人には、私の過分な体験の数を差し引くほど会ったことなんか一度もなかったし、ほんのちょっとでも出会えないものか、とあきれ果てながら若者をやってるときも、会えなったんです。
 
だから、もうそんな人間はこの世の中には存在しないんだろうと、どこかにいたとしても、私の人生には姿を現さないんだろう、そうかいそうかい、なるほどね、と思っていました。
 
それから時間が経ち、そんな風に考えていたことも忘れていた頃、私には縁もゆかりもなかった人々が存在することを知りました。
 
その人達は、いわゆるインテリと呼ばれていた人達で、知識層の人達で、それで飯を食ってる人達でした。
 
紆余曲折あり、私は、生まれて初めて、その人達とその人達のことを理解し支持する、頭の良い人達の集まりに行くことを、高層ビルの上から飛び降りる気持ちで決め、当日を迎えました。
 
最悪な日だった。なにもかもが最悪の日だった。
 
私は、身綺麗にして行き、上品に振る舞おうと決めていたのに、緊張してなにもできなかったし、お世辞くらい言えば良かったのに、やっぱりそんな取ってつけたことようなことを言うのはいけないと思って黙って微笑んだつもりが、薄笑いを浮かべたと勘違いされ、それでいきなり嫌われて舌打ちされて、せっかくしてやってるのに感謝もできないのか、と言わんばかりの態度をあっちこっちからされ、うまくごまかせば良いのに何一つ誤解を解く真似もできなかったんです。
 
すぐ帰れば良かったのに、その判断能力すらうまく機能しなかった。
私の頼みの綱のセンサーは狂い、なけなしの知ってる社交の真似事ひとつ出来なかった。
 
無関係なアクシデントも起こり、会場は怒りと動揺に満ち、そのことで私は脅え、もっと動揺し、なんとかしなければならないと余計な振る舞いをした挙げ句、用のない人間には用など欠片もないのだと思い知らされ、棒立ちになり、もう私は真っ青だったと思う。
 
会は終わり、その後、会場を出た私は、外で気持ちを整えていた時に、よりにもよって、私のことを主催側と登壇した人達とスタッフが噂しているのをはっきりと立ち聞いた。
 
最低な話題だった。
私のことを、ネット越しに知っていた登壇者の現地妻だと言った人がいた。
いくつなの? とその人は重ねて尋ねた。
私の登録した実年齢をあっさりスタッフは明かし、わかーい!と場がはしゃいで盛り上がった。
若く見られたいんだろう。とんだ若作りだと、私のことを全員一致で断定してもまだ飽き足らず、しつこく私のことを現地妻だと言う、最初の声のその人に、ネット越しに知っていた登壇者は、ためらいながら、こう言った。
「タイプじゃないよ・・・」
 
なーんで、いっつもこういうことになるかなー、とその時には、自分の計り知れないほどのツイテなさに呆れかえりながら、どのタイミングでタクシーを呼んでもらおうかとぼんやり考えていた時に、その言葉を聞き、ちょっと驚いた。
・・・え?
と思った。
その時のその人の声は、すごく困りながら、言いにくそうに、けれどそれ以上囃し立てられないように、都会的なインテリジェンスを漂わせた声を出して、
「タイプじゃないよ・・・」と言い、すぐに別の話題を投じた。
 
この人は、なんでその場に私がいないのに、私の名誉を守るんだ? と私はその日、何度目かの驚きの中に突き落とされた。
 
なんで、この人は、私のことを、
「やめてくれよ」とか、
「あんなの現地妻じゃないよ」とか、
「俺は面食いなんだよ」とか、
自分とご自身の奥様を守るために言わないんだろう? と、驚いた。
 
その時、知ってるだけで意味がわからなかった言葉が頭に浮かんだ。
『何を言うかではない、何を言わないかが知性だ。』
 
そして思った。
 
これが知性かぁーーー。
 
その後、もっと最悪なことに、誰かがバタバタと走り込んできて、「外で聞いてるぞ! 窓が開いているだろう!」
と言った。
一瞬静まりかえり、なんのかんのと誰もが口々に言い訳をして、その最低な場はお開きになった。
私は、これ以上、知りたくもないことを聞かずに済んだことに感謝した。
 
私は、子供っぽい恋愛脳の持ち主が嫌いです。
 
すぐ、あの人はこれがあるからこの人のことが好きで、この人は絶対このことを期待して。
と、勝手に自分の乏しい体験を照らし合わせ、
(数じゃありませんよ? どれだけ恋愛を想い、考え、ただの一回であっても、想いを抱いた相手と強い体験をしているかの話です。)
そのことをさも世の中の真実のように、自分の経験値の低さが露呈していることにも気づかず、恥ずかしげもなく言ってやまない、その未熟すぎる馬鹿馬鹿しさがとても嫌いです。
 
それまでも、その後も、その幼稚な、小学生でもやらない恋愛脳の持ち主の空想に、私は常に、意図的に曲解され、侮辱され続けてきたからです。
 
例えば、寝言で言うくらいだから、それは本心なのだろう、とか。
夢に見るくらいだから、とても強い感情があるのだろう、とか。
気を遣って、憧れています、と言わんばかりの光を瞳に宿す社交テクニックや、
悪意がありませんよ、となけなしの優しさを意図的に宿す瞳を見て、
ほら、あの人は年中欲情してるんだよ、目を見ればわかるでしょう?
という馬鹿な判断が、とても嫌いです。
 
欲求不満、男好き、惚れっぽい、男しか頼みにならないバカ女、それくらいが、聞こえないふりをしていた現実の私の耳に届いていた、20代から20代後半の男女の言葉です。
 
まるでノーマ・ジーンのようです。
もっともノーマは、世界中からそれを食らっていて、深く傷つき、そのステレオタイプな価値観が生涯、大迷惑だったでしょうけれどね。
 
その会の後、私は、その悪口大会を望みもしないのに立ち聞いていたことを知っている人達が、その方の振る舞いを私が聞いて、かわいそうな、現実では満足に口もきけないインターネットの年老いた女が、過剰に期待し、ひょっとしたらその紳士的なふるまいをした人に恋をするかもしれない、と。いや、したはずだ。と。勝手に決められるのを警戒し、ネット上の知ってるだけの相手は、実際はお前なんかのことを知らないし、とるにたりない存在である、と言われるのが悔しくて、一生懸命、その人は私のことに気がついていたと、誰も信じないことを書いた覚えがあります。
 
なぜか、その人は、その後も、
傷ついたことを八つ当たりするのは、もういいかげんにしなさい、と判断されるまで、
 
ネットで一方的に知り、まとわりついて迷惑ならそう言えばいいじゃないですか? 
本当のことを言えと言うのなら、あなたも本心を堂々と言うべきだろう。
なに気遣う必要も縁故でも何でもない、ただのネットの卑怯者だ。遠慮する理由など微塵もない。
 
なぜそこまでご自身の品性を保ち、教育者であることばかりに気を取られ、私が昔の奥様に似ているなどと、思いっきりすぎるウソまでつかれるのか。
ネットで見せていた私の事実は、そんなにも、かわいそうな人間だったのですか?
 
という言葉にしない私の問いに、ああもう、これは答えたほうがいい、と判断されるまで(まあ、正直、私の可愛気のなさにハラワタが煮えくり返っておられたと思いますが(笑))、
 
ーーー、私の名誉を守り続けました。
 
それが、私の人生に初めて登場した、立派な人の話です。
 
あの頃、私は今もたいして変わりませんが、なかなかにハードな日常でした。
ご存じですよね?
 
だから、これを救いとし、異性として憧れに似た好意を抱いたほうが、それを明らかにしたり、示唆したり、そうしたほうが色々と場が治まるし、私の人生にも都合が良いのかもしれない、と思わなくもなかったんですが、それはそれで、自分が相当惨めになるので、やっぱりやめたんですよ。
 
なんだか、役割が入れ替わっているだけで、良く似た話ですね。
 
そして時間が過ぎ、私はそんなことがあったこともすっかり忘れ、ただ私の中にある、相手を傷つけずに事実を明かす言い方として、「タイプではない」というキラーセンテンスは極上のものだ、という価値観だけが残っています。
 
一軍美人という言葉を私はこの3年で、いきなり作りましたが。
大昔、子供の頃から多感な時期を経て、大人になって最期に会った時すらも、私のポンコツ家族は、決して一軍美人ではない私を認めようとせず、嘲り、自分の友人には恥ずかしくて見せられないから顔を出すな、と、実際、隠されていました。
 
だから、私は、人の好みには特に興味を抱きませんが、一軍美人しか絶対に人として認めない基準を持つ人間には、ロクな人間はいないし、私のような人間を常に攻撃対象にする、という警戒心を持っています。
 
 
2024年から遡って、ちょっとだけ過去に、本気でお知りになりたかったのだろうな、と、判断したので、書きました。
 
同情して下さってありがとう。
正しく、誠実な、その時、ご自分にできる範囲を差し出した、立派な振る舞いだったと、私は思いました。
 
涙は出るようになりました。
そして、長い間、壊れていた部分を修復するように、泣き続けていた時間も終わったようです。
 
よかったです。では。←そんな終わりかーい。
 
 
エナメル
 
追伸
一茶の句は、書いたとおり、足穂と漱石にかけたものです。
万が一、誤解されたとしても、手の届かない相手を取ってくれと駄々をこねる子供の意なので、綺麗な心そのものに抱く憧れ、という範囲で誤解されるだろうと踏んでいました。
まさか、こんな途轍もなく明後日の方向に取られるとは、夢にも思いませんでした(笑)。
 
私は、いつも周りに気を遣い、角が立たないように、うまくまとまるように、そういうことばっかりすぐやってしまう癖があります。
そのせいで自分が不利な立場になったり、悪感情を抱かれて攻撃されるのを怖れる気持ちから来ています。
その上、考えすぎて行動することが多々あるので、あまり理解されず誤解ばかりされます。
なのに、とてもよくご存じのように、怒るときは、普段我慢している分、カンカンになって怒り、ありとあらゆる悪罵が口から飛び出すときもあります。
余程、親しいパートナー以外に、相手に向かって言うことは、なかったはずですが。 
実はいまの現実も半信半疑な心配事があります。
そういう理由です。
 
 
 
20240128 21:42 誤字とわかりにくい箇所をなおしました。
 
 
 
 
 
 

ほおずきの夢


Photo by mie06 from 写真AC

 
 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 
 
今日は、予定していた内容を変更して、夢の話を。
 
今朝、ほおずきの夢を見ました。
 
すごく広い大通りに、どこまでも商店街が広がっていて、歩行者天国のようになっている車道を、人混みにまぎれて歩いていたら、突然、歩行規制がかかり、何台もトラックがやってきて、たくさんのほおずきを露店に卸していました。
 
ほおずきの夢を見るなんて憶えている限り、初めてのことです。
 
ほおずきと言えば、すぐ連想するのは、東京は浅草のほおずき市です。
確かに、行ってみたいな、と思っていたものだったので、
あらら、私が今でも応援している天国で名高座をかけておられる師匠のうちおひと方が、素敵な夢を見せてくださったのかな、と起きてすぐ思いました。
 
ほおずきは写真のように、淡い網がかかった中に結実するのではなく、ほおずき市に出される時は、鮮やかな閉じた橙の花弁に包まれており、その中に、ぽつん、と紅い実がひとつ、なっています。
 
参照リンク ウィキペディア ほおずき より
https://w.wiki/3faZ
 
 
花言葉はなんだろう? と思ったので、さっそくいつも花言葉でお世話になっているGreenSnap STORE様にうかがうとですね、
 
「自然美」「心の平安」「偽り」「ごまかし」「私を誘って」「私を誘惑して」
 
とあり。
 
どうすりゃいいんだよ・・・。
 
という、あっちこっちの意味がある花言葉な上に、「浮気」「半信半疑」とまであり、
 
そもそも、なぜそのような花言葉を? と朝から無表情で珈琲を飲んでいました。
 
実は、こちらには理由があって、
 
 
ホオズキの花言葉は「自然美」「心の平安」「偽り」「ごまかし」「私を誘って」「私を誘惑して」です。
「自然美」「心の平安」は、ホオズキの茎根が民間薬として用いられることにちなんでいます。「偽り」や「ごまかし」は、ホオズキの風船に似た実のつけ方に由来します。萼(がく)の中にはちいさな実がある一方、中はほぼ空洞なことが理由です。
 
ホオズキには怖い意味の花言葉はある?
ホオズキには「浮気」や「半信半疑」といったネガティブな花言葉があります。これは食用と観賞用のホオズキの特徴にちなんでいます。
 
食用のホオズキには毒性がないものの、観賞用のホオズキには毒があるといった特徴からついたとされています。観賞用の毒を持つホオズキは、江戸時代の堕胎方法として存在していました。浮気をした女性が浮気相手の子を身ごもったときに、ホオズキを食べて堕胎していたことから「浮気」とつけられたそうです。
 
一方、「半信半疑」は「自然美」や「心の平安」と同じように、茎根を民間薬として使うのが理由です。いずれもネガティブなイメージを連想させる花言葉なので、プレゼントにするときはごく親しい方までに留めるか、メッセージカードを添えて贈るのがよいでしょう。

 
引用元
GreenSnap STORE 様
https://greensnap.co.jp/columns/physalis_language
 
 
 
観客として存じ上げている師匠方は、想像の範囲で、私にほおずきを渡してくださった後、
「もちろん悪い方の意味だ。」
そう、ニヤリと言い添え、私を爆笑させてくださるだろうと思うので、
 
きっと、気持ちをラクにしなさい、ということだったのかな、と嬉しくなりました。
 
念のため、夢の方向で検索をかけると(信頼とは?)、
 
金銭運の上昇(なぜそれが一番目なのか)、恋愛成就
、仕事運の上昇、魔除け、人生が楽しくなる、
 
とあり、さすが師匠方、縁起のいいものをよくご存じだな、とウキウキしていたのですが、
 
参照リンク SUPIYUME様
https://spiyume.com/?p=16848
 
別のページでは、
 
愛と幸福が訪れる、目標達成への前兆、直感力と洞察力の強化が良い意味でした。
 
ほおずきの夢は、あなたの未来に明るい兆しをもたらします。
愛と幸福、目標達成、直感力の強化といった素晴らしいサインがそろそろ現実化することでしょう。
自分自身を信じ、前向きな気持ちを持って行動することで、より良い未来を手に入れることができます。

 
引用元 スピリチュアル大辞典 様
https://toma.jp/dream-fortune-telling-diagnosis-when-you-have-a-dream-of-hozuki/
 
 
悪い意味では(なぜ良いところで読むのをやめないのか)、警戒心の増加、試練への準備、盲目的な信頼の危険性、とあり、まだこれ以上あるの? とうんざりしていたんですけれど。
 
まず、ほおずきの夢が良いサインとなる場合もあります。
ほおずきは日本では縁起物とされ、夢の中でほおずきを見ることは幸福や繁栄の象徴とされます。
この夢は、あなたの人生に幸運や成功が訪れることを示しているかもしれません。
何か大切なプロジェクトや目標がある場合、ほおずきの夢はそれがうまく進むことを示唆しています。
また、ほおずきはお守りとしても使われることがありますので、この夢はあなたの保護や安心を意味することもあります。
 
中略
 
もし、ほおずきの夢が不快な感覚をもたらす場合は、何かトラブルや困難が待っていることを示しています。
 
中略
 
ほおずきの夢を見ることは、多くの場合、あなたの内なる感情やエネルギーの表れです。
良いサインであれ悪い兆候であれ、ほおずきの夢はあなたの人生に何か特別なメッセージを送っています。
大切なのは、自分自身の直感や内なる声に耳を傾けることです。
夢の中で見たほおずきの象徴的な意味を自分なりに解釈し、それを生かしてより良い未来を築いていくことが重要です。

 
 
引用元 スピリチュアル大辞典 様
https://toma.jp/dream-fortune-telling-diagnosis-when-you-have-a-dream-of-hozuki/
 
 
と、あってですね。
嫌な感じは全くしなかったので、良い夢なんだろうな、と思っています。
 
 
観客として師匠方を見ていた感じでは、お叱りになるときはきちっとお𠮟りになり、最後は明るい気持ちになるお説教をされる方々なのだろう、と思っていましたし、今でもそう思っています。
 
夢を見た、というのは、あくまで手前勝手な自己憐憫の部分も多々あるのでしょうけれど、
 
なんとなく、私は、師匠方は、きっとそのような方達だろうと、例えば、お叱りになりながら同時に、とてもご心配してただいた上に、言い訳の材料をそれぞれ教えてくださったりとか(笑)、きっとそうされる方々のように、なぜだか強く思うんです。
 
そして、私がそのことに気がついても、決してその手を取らず、時が来れば、自分の事実を真正面に置くだろうことも、そんな私のくだらない気性を、よくご存じだったのだろう、と思うんです。
 
すがりつくわけでもなく、ただ、そう、淡々と思っています。
 
どうしてこんな風に思うのかはわかりませんが、きっとそれは、私がお二方の強いファンだからでしょうね。
 
それに、一方的に正しいことばかりで責め立てるほど、人生経験の乏しい方々では、確実になかったことは、わかるので。
 
そうでなければ、わざわざ言わずもがななことをおっしゃる無粋な真似を、あえてなさるはずがありません。
素人相手だからそうなさったんです。
話芸を極めた方々ですから。
 
 
 
みなさんは、どなたかを応援していますか?
 
応援するっていいですよね。
どなたかを応援するというのは、とても美しく、優しいものを、人生という日々に贈ってくださる、不思議なギフトだと私は思っています。
 
今日は、応援している方の音楽や著書、写真を引っ張り出して、温かい気持ちの時間を迎え入れてみてはどうでしょう。
 
自然に笑顔になれる、楽しいひとときになること、請けあいです。
 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 
 
20240128 21:49 誤字とわかりにくい箇所を直しました。
 
 
 
 
 
 
 
 

2024/01/27

雲の動き

 


こちらは雲の写真。
 
上にスッと入ってる一筋は、撮る時眩しくて確認できなかったんですが、多分スマホのレンズが太陽光に反射して、こんな風になっているんだと思います。
飛行機雲かもしれない。
 
読書状況ですが、相変わらず小林秀雄の考えるヒント第1巻を読んでいます。
 
手動アマゾンリンク
 
考えるヒント 123 小林秀雄 文春文庫
 
1巻
 
速読派か遅読派かと言われたら、どっちもです。
ただ、秀雄と遊ぶと決めた時に(呼び捨て)、ゆっくりと小林秀雄と意見交換しながら読もう、と決めたので、ゆっくりゆっくり読んでいます。
 
面白いです。
声出して笑ってる時も多々あります。
 
小林秀雄で? と、いぶかられる方もおられるかもしれませんが。
1巻の最初の文「常識」を読んだ瞬間、
なんという毒舌!
なんという罵り!
なんという斬って捨てっぷり!
と爆笑してしまい、なるほど、こういう人だったのかぁ、と楽しく拝読しています。
 
本読んで意見交換って? というのはですね。
2024年の私は小林秀雄を読みながら、
 
秀雄はこう思うのかもしれないけど、私はこう思うよ。
いや、それはすごいことだね。永年思っていたことがあっさり言語になっちゃったよ。
平家物語はやっぱり平曲じゃないとダメ?
そーかなー?
一体、何億冊、本読んだの?
プラトンとっくに読破してるんだね、ダンテの神曲どう?
私は挫折したよ。
とか、そういうことをひっそり考えながら読んでいます。

あの小林秀雄に? と眉をひそめられる方もおられるでしょうが、私はこうやって意見交換をしているつもりになって、私はこう思う。私ならこうする。という心持ちを常に動かして読んでいます。
 
こういう物語ではないものを読む時は、動的な読書スタイルなんでしょうね。
物語はひっそりと静的に読書しています。

私は、議論というのは、いくつもの意見の欠陥や欠損を補い合い、より洗練された思考を導き出す、ブラッシュアップを言語でやるもの。
という理解をしています。
 
だから、反対意見を恐れているのでも、間違いを指摘されるのを恐れているのでも、なんでもなくてですね。
 
相手の意見を遮って、自分の言っていることこそ正しいんだ、こっちを聞け、黙れ!とやっつけ合うのは、ただの言い合いとしか思っていません。
 
複数意見をブラッシュアップしていく行為が前提なのに、相手から提供される情報を遮り、その情報の弱点を突くこと「だけ」が命題としてある、ただのやり込め合いが、議論、討論だと考えているのなら、
 
それが正しいか、間違っているかは、知りませんけれど。
 
勝利感を得るのが目的とされる場は、
私が思っている議論・ディベートとは、やっていることがまるで違うと考えています。
 
エンタメとしてそういう議論の形を見せて、そこから視聴者が目撃した議題への動的アプローチをどう消化していくか、
 
その経過で自分の意見の変容の過程から、どう脳が反応していくかを楽しむ、一種の頭の体操を提供しているのだ、と理解をしています。 

いかに正しいことを発言するか、
いかに隙のないことを発言するかレースは、
 
私が思う、
考えのブラッシュアップという作業に、全然向かっていっていないし、
勝利と敗北を見せたいのであれば、
そうしたいことは、私は好き好きだと思っていますが、
その種類の意見交換という作業の結果に、イコールが存在していないので、
 
この意見をどう思いますか? 
これはどのようにお考えですか?
 
という、相手からの反応をまずお伺いし、
自分の意見と照らし合わせて、
さらに自分の意見が発展したものを受け取り、
元々の命題の「その場所での解」が、
どれほどの耐久性を持つものを生み出せたのか、
意見交換が終わっても、その命題への考察は続く。
 
という、私が理解しているディベートのスタイルではないので、
 
そういう所に行っていませんし、インターネット上で、自分の考えを展開できる場所として見つけているのは、
たくさんのコメントやネットの意見、感想をただ読みに行って、自分との違いを見ています。

私はそう考えています。


 
 
こちらは、冒頭の写真の数分後だったはず。

面白いですよね。動き続けているものを見ているのは。

 
以上、雲の動き、でした。
 
 
 
 
 
 
 

2024/01/26

素敵な名前を持つ庭・冬の花

 
ベランダにひっそり展開している、素敵な名前を持つ庭ですが。
 
冬の花と、早くも初春が訪れましたので。 
 
 
 
クロッカスの芽たち



スノードロップも伸びています。



白い日本水仙のつぼみ



ゼラニウムのつぼみ 赤い花が咲きます。




ウエストリンギア・モーニングライト 花もですが葉も好きなんです。



ウエストリンギア・スモーキー  素敵な葉❤️

 

 

青いビオラ




赤紫のビオラ




パンジー ベルベットのようです。




薄いブルーのパンジー
 
 
素敵な名前を持つ小さな庭を、頑張ってこしらえて良かったな、と思うのは、なんだか私自身の空気を入れ替えたい時に、パッとベランダに出たらそこに小さな庭があって、それが可能なところです。
 
戸建てを借りて、大きな庭を造りたくはならないんです。
とても憧れているんですけれど。
 
おそらく手が回らないとわかっているからでしょうね。
 
きっと頑張ると思うんです。
でも、手入れが出来ない時にすごく自分を責めてしまいそうなので、実行に移そうとは考えていません。
宝くじでも当たらない限りは。買ってないけど。
 
勘違いをしていたら申し訳ないですけれど。
自分のしたいことや希望を結構書いているし、口に出しているので、誤解されていないでしょうし、誰も私が何を望んでいるのか知りがってはいないと思っているので、特に書いてきませんでしたが。
 
たまには意思表示をしたほうがいいかもしれないな、と突然思ったので、書きます。
 
私は、そっとしておかれるのが大好きです。
 
取り立てて、言うほどのことでもないですけどね(笑)


以上、今日は写真ばっかりでしたね、でした。