Japanese Summer Maniac Pops
ー 睡蓮の開く音がする月夜 最終夜 ー
参考リンク
https://overridehat.com/journal/2022/12/what-is-beanie/
5夜にわたって、
Japanese Summer Maniac Pops

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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.) |
Japanese Summer Maniac Pops
ー 睡蓮の開く音がする月夜 最終夜 ー
5夜にわたって、
Japanese Summer Maniac Pops
Japanese Summer Maniac Pops
ー 睡蓮の開く音がする月夜 第4夜 ー
ベガ / 斉藤和義 (Kazuyoshi Saitou)
アルバム 紅盤 収録
斉藤和義なので、正確にはロックなんですが。
ポップロックということで、このくくりに強引に入れています。
アルバム 紅盤は、斉藤和義のカバー曲中心のアルバム集で、その中に収録されている、ベガは、キセルが原曲となります。
参照リンク Wikipedia 斉藤和義 紅盤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E7%9B%A4
キセルのベガと聴き比べていただければわかるとおり、紅盤収録のベガは、斉藤和義の手による編曲になっていて、前者とは同じ楽曲ではありますが、表情も聴いた後の余韻も、全く違うものになっています。
このベガという曲を通して、伝えたいメッセージの情景が違っていたからこその、斉藤和義版ベガなのだろう、というのが、私の見当です。
斉藤和義は、初期からのリスナーです。
といっても、そう堂々と書けるほど、皆勤リスナーではないので、ここを始めて3年と半分が過ぎたあたりですが、ちょっと自信がなかったので、いままで書いてきませんでした。
語りたいアーティストと、
黙ってずっと支持していたいアーティストって、
ありますよね。
私にとって斉藤和義は、後者のミュージシャンです。
どういう経緯で、斉藤和義版ベガを初めて耳にしたのか覚えていないので、おそらくラジオだったんだと思います。
それで確かC Dを探して、長らく原曲のキセルバージョンは未聴だったはずです。
ちょうど10年くらい前に、好んで聴いていたので、キセルバージョンを知ったのも、いまから考えると結構前ですね。
ベガは、斉藤和義のこちらのバージョンが初聴きで、
私はそれにヤられてしまったので、
キセルバージョンも、
すごく雰囲気が完全なものになっていて素晴らしいですけれど、
斉藤和義バージョンのベガが、この季節になると必ず聴く、
または思い出して探して聴く、大切な楽曲となっています。
ベガという楽曲は、私が好む、
やはりあまり限定しない言葉で描画されており、
それでいて描き出す輪郭をとても正確に、
聴くものに手渡していく、
非常に傑れた楽曲だと思います。
斉藤和義の解釈と言っていい、アレンジと歌唱で表現された、斉藤和義バージョンのベガは、
私に、
夏の夜に必ず充満している、
暑さに溶けてしまった時間の流れ、
遠い過去や遠い未来、そして現在地というものを、
随分と高い空中から俯瞰で見つめる作用として、
強く働きかけてきます。
それは青年期の途中や、
青年期の記憶が色濃く体内にまだこびりついている、
そういう人たち全員に共通する、
夏の夜として繰り返し訪れる、
都市の郷愁でもあると思います。
言い換えると、それは若さというものの手触り、でもあるんですが。
どうしてかわからないんですが、
この曲を繰り返し聴いていると、
青年期に過ごしていた、
本当になんの意味もない時間や会話が、
脳裏に浮かびます。
なんだって、こんなこと覚えてるんだろう。
もっと為になることを思い出しゃいいのに。
と、ちょっと情けなくもなるんですが。
私は、この曲が呼び起こす、たくさんの夜、
お酒とともにテーブル越しに交わした、
取るに足らない、
ほんとうに何も残らない会話やその時々の表情を、
すごく無駄だったけれど、
ちゃんと私の中に手渡すものがあるんだな、
と少しだけ安心な気持ちで確認できるから、
楽曲内で描かれている、
それは”願い”といってもいいものの力を
ちょっとだけ借りて、
毎年やってくる、天上での待ちに待った逢瀬の夜を、
大切にしたいのかもしれません。
「昨日、書いた 忘れないよ
本当になってしまうようにね
かた結びで ほどけないよ
後戻り 出来ないね」
(ベガ 斉藤和義バージョン より)
星が見えようが、見えてなかろうが、
どうか、ここを読んでくださるみなさんのもとに、
とてもよいものが、必ずや訪れ、
知らず知らず、その存在と、
大切な人や大切なものが、ただ在る祝福を
待ち望んだ約束のように交わせることを、
僭越ながら、願わせていただき、
今日の更新分を終わろうと思います。
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『 どっち行こう 誰も気にしない
あての無い その果てをあてに 』
(ベガ 斉藤和義バージョン より)
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それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。
タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用
↓ワンクリックしていただけると、はげみになります:)
20230708 00:21 誤字をなおしました。
20230708 08:47 誤字をなおしました。
Japanese Summer Maniac Pops
ー 睡蓮の開く音がする月夜 第3夜 ー
ようこそ輝く時間へ / 松任谷由美 (Yumi Matsutoya)
アルバム PEARL PIERCE 収録
松任谷由美を語るときに、アルバム「パール・ピアス」以前、「パール・ピアス」以降で区分けが行われる。
というのを、昔読んだことがあるんですが、例によって、私はこの意見は支持しません(笑)。
私の、アルバム「PEARL PIERCE」観ですが。
タイトルトラックの「真珠のピアス」の中で歌われている、女性の復讐と”されている”、あまりにも強いイメージが先行して、なんだかアルバム「PEARL PIERCE」の話を探しても、大声で言われてる話は、その復讐の話ばっかりで、
「女って怖い! 」
「それを歌う松任谷由美も怖い! 」
という、
「小学生男子かよ! 」
ということしかなくって、
私はいつも少し不機嫌になって、その情報から離れていました。
(それ以降、「PEARL PIERCE」についての話題は見てないので、あくまでも私がサーチした当時の話です。)
音楽をどう聴こうが、それはその人の自由なので、それはそれで、その感想はアリなんですけれど。
でも楽曲「真珠のピアス」で歌われてるのは、
「本命でなかった彼女からのちょっとした意地悪」
なので、
そのミニマムだけれど、
大人の女性が持つ軽い棘や、
スパイスの効いた世界への視線、
大人になってもできないこと、
少し孤独な気持ち、
というキーワードで埋め尽くされている、
初夏から真夏を通り過ぎて、
最後は季節があまり明らかにされていないという余韻、
に満ちたアルバムに収録されているタイトルトラックなんだから、
こと大きく「女の復讐」として取り上げるのはどうか、
と私は思います。
この話って、怖い怖いって言われていますけれど。
本命になれなかった主人公が、別れの挨拶に、ちょっと彩りを加えてみた、どこかソリティア(ひとり遊び)味が強いんです。
そして、主人公は、そういうちょっと意地悪な遊びをしながら、
相手の男が、仮にこの意地悪で後で一瞬、ドキッとするような気まずい空気に包まれても、
うまく交わすんだろうし、
本命の彼女もそこを察した上で、
自分を選んだ男と新しい生活に向かうだろうことが、
わかりすぎるほどわかっているので、
結局、ああ、私は、うまくいった2人のエピソードになっちゃったな・・・、
という部分で、傷ついているんですよね。
アルバム「PEARL PIERCE」全体に流れているテーマは、「大人になったと思っている、少女性も魔性も、意地悪さも持った、等身大の女性像の、日常風景から始まる物語群」
なので、
受け取り方の個人差のズレがあったとしても、
アルバム全体を流れるテーマを大きく逸脱して、
曲鑑賞するのはどうなんでしょう。
まあそれすらも、私個人の鑑賞の範囲なんですが。
実は、私は初めて松任谷由美を聴いたのが、この「PEARL PIERCE」とその次のアルバムの「REINCARNATION」でした。
細かい経緯は忘れてしまいましたが、それまでは松任谷由実は、F Mでエアチェックするに留めていたんですけれど、どうしてもちゃんと聴きたくて、という流れだったはずです。
で、なんの予備知識もないまま、手に取ったこの2枚のアルバムの最初に聴いた方が「PEARL PIERCE」で、その第一曲目に収録されているのが「ようこそ輝く時間へ」でした。
私が思う、松任谷由美のものすごさって、
「誰もが言語化したくてもできなかったことを、洗練された言葉にして、歌詞世界に落とし込む」
という才能なので、
(どこかの誰かが、下手の横好きで、同じようなことをずっとやってるけれど、どこにも行けてませんね。ええ、私のことです。どこかに行きたくてやってるわけではありませんが。)、
「夜空に浮かんだスタジアム
カプセルに乗ってのぞいたら
歓声が舞い上がる
ああこのまま 時間を忘れて
世界を舞い跳ぶ ビームになりたい」
(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)
を聴いて、当時の私は度肝を抜かれました。
いまでもそうなんですが。
私は夏は嫌いだけれど、夏の夕方から夜にかけてはとても好きで、気持ちがどこか高揚して、浮遊感に包まれる季節の肌触りを、この楽曲で松任谷由実は表現しているんですよね。
本当に驚きましたし、いま聴き返しても、やはり驚きがあります。
そして、前後してしまいましたが、
冒頭の歌詞。
「夜風が涼しくなる頃は
哀しい子供に戻るから
連れて行って 遊園地
ネオンの星座も色褪せて
バターの香りが流れ来る
黄昏の遊園地」
(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)
初っ端からこれです。
ものすごいですよね。感性の鋭さが!
そして、こういう情景を日本語で歌ったのは、松任谷由実が最初だったのではないかと私は予測しています。
そしてそして、
「大人になったら宿題は
なくなるものだと思ってた
行かないで 夏休み」
(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)
という、
もう余計なことを私が書く必要のない、
凄まじいまでに鋭く繊細な感性の歌詞で、
この楽曲はできています。
ふだん暮らしていて、私は「PEARL PIERCE」を聴くときは聴くし、聴かないときは全く聴きません。
ただ、この時期の季節感、照りつける陽射しの強さ、夕立や雲の動き、それらが茜色に染まって夜が始まる、夏の情景が、この楽曲とともに脳に焼きついているので、夏が来ると、どうしても一回は「ようこそ輝く時間へ」が聴きたくなり、その後、結局はアルバム全体を聴いてしまうというのが、私にとっての「PEARL PIERCE」です。
多感な時期に、アルバム「PEARL PIERCE」を聴いて、私はこう思いました。
「大人になっても、いまの気持ちを持っていていいんだ。」
それから随分と時間が経ってしまいましたが、
私は、当時のその気持ちを失うことなく、相変わらずのよくわからない日々を過ごしています。
そして、同じ気持ちの人が世界中にたくさんいることを、いまでは知っています。
それは、とても幸せなことなのだ、ということを、わかりすぎるほどわかった上で・・・。
それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。
タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用
↓ワンクリックしていただけると、はげみになります:)
雑記です。
私には、どうしても許せない相手というのが、何人かいます。
そういう、どうしても許せない、自分に嫌なことをした相手への仕返しの中で、最大で最高なのは、
幸せになること、なんですよね。
それこそが、最高で、最大の復讐なんですよね。
自分なりに幸せで、自分なりに楽しく、大切な人たちと、明るい場所で静かに暮らす。
それが、私の、最高の復讐になるんです。
みなさんはとっくにご存知のことかもしれませんが、
私にもようやく、その気づきとしか呼べない瞬間が訪れたので、深い、深い、納得と共に、ここに書いておきます。
何だか自己啓発なんとか見たいですが(笑)
でも、本当にそうなので、共有しておきます。
Japanese Summer Maniac Pops
ー 睡蓮の開く音がする月夜 第2夜 ー
赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 (seiko matsuda)
アルバム ユートピア 収録
松田聖子に関して、かいつまんだ情報を書くと、日本のトップアイドルからトップスターになった、日本のポップスターです。
日本にもポップスターはたくさんいるんですけれど、山口百恵というポップスターが綺羅星の如く現れ、伝説となったあまりにも短い活動の後、惜しまれながら結婚と共に引退し、その後、まるで約束されていたかのように、世に現れたのが松田聖子でした。
詳しくはWikipediaをご覧ください。
ウィキペディア 松田聖子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
アルバム「ユートピア」
松田聖子は、ありとあらゆる当時のトップアイドルの常識をくつがえし、快進撃を続けていたのですけれど。
彼女のアイドル活動期の特色として、当時の国内の実力派ミュージシャンたちが、松田聖子というアイドルのアルバムに多数参加していた、というものがあります。
なので、楽曲的に、日本の歌謡曲としての良さを追求していたごく初期のアルバムと、
その後の名曲揃いのアルバムは、クレジットにある通り、
はっぴいえんどの松本隆がほとんどの作詞を担当し、
同じくはっぴいえんど、のちに「A LONG VACATION」を発表する大滝詠一、
同じくはっぴいえんど、そしてのちにYMOの細野晴臣、
松任谷正隆、松任谷由美の別名義である「呉田軽穂」、
甲斐バンドの甲斐祥弘、
チューリップの財津和夫、来生たかお、などなど、
そうそうたるメンバーが作家陣に加わり、
その楽曲の多くを、
名編曲家である大村雅朗が担当していたという、
ただの一過性に消費されるアルバムでは、決してありませんでした。
私見ながら、この時期、すでにトップアイドルであり、ポップスターであった松田聖子に課せられてた音楽的役割は、
「かわいくて誰もが眩しく思う、主人公の女の子の気持ちを歌う」
から、
「どこかにきっといる、聴いたものがみな、心に思い浮かべることができる」、
「誰かにとって、とても大切な女性の気持ちを歌う」
に、切り替わっていった頃だったと思います。
松田聖子の夏の名曲は、この名盤「ユートピア」に同じく収録されている、以前、当ブログでも紹介した「マイアミ午前5時」を私はまず第一に挙げますが。
ポップスとして非常に巧みで、強い支持を受けるのは、おそらく「渚のバルコニー」でしょう。
この楽曲で、彼女はヘアスタイルだけではなく、ファッションリーダーにまでなるきっかけとなった名曲ですので、このセレクトでまず間違いないと思います。
ですが、今回はManiacという区分けをしていますので、あまりメジャーのくくりでは光が当たっていない、名曲「赤い靴のバレリーナ」を私は挙げます。
聴いていただければお分かりの通り、ギターと鍵盤の旋律が美しいスロウな楽曲で、作詞は当然、「松本隆」(Takashi Matsumoto) 、作曲 「甲斐よしひろ」(Yoshihiro Kai)、編曲 「大村雅朗」(Masaaki Omura)が楽曲制作をしています。
この曲に出てくる主人公は、普段は少しおとなしい、あまり活発な「私」ではありません。
そして、とても繊細な気持ちと気分を持ちながら、人生というもので、花の季節が短いことをはっきり自覚している、現実の苦さも知っている主人公です。
その「私」は、冒頭の歌詞で、こう心のうちを明かします。
「前髪1㎜ 切りすぎた午後
あなたに逢うのが ちょっぴり こわい
一番 綺麗な時の私を
あなたの心に 焼きつけたいから」
(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)
つまり、みなさんよくご存知の通り、前髪が1㎜ 違うだけで、自分の顔の印象が変わってしまうことを、この主人公もよくわかっているんですね。
そして、”一番 綺麗な時の私”を見てもらいたいし、覚えておいて欲しいと続けます。
私が一番綺麗なのは、いまのこの時期だけなのだ、という寂しいことを思ったり、それはちょっと自惚だったり、相手との恋愛が自分を美しくしてくれたことを知っている、少しの自信でもある気持ちを打ち明けます。
いきなり冒頭の歌詞でこれです!
みなさん、これが松田聖子です!
これが、松本隆です!
続けます。
「明るくなったね 人に言われて
誰かのせいよと 謎めきたいの」
(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)
からわかる通り、この「私」は、恋愛で変わったんですね。
そして楽曲の最後まで貫かれる繊細さは、「私」が、非常に「ものおもい」の時間を持っている、心の中の方が雄弁な人物であることを表現しています。
そして、この「私」の相手はどんな人物かというと、
2番の歌詞にある
「海から あなたに電話をかけて
いますぐ来てよ、と わがまま言おう
車を飛ばして 来てくれるかな
それとも やさしく 叱られるかしら」
(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)
という、
「私」の繊細さを受け止めてくれる、優しい気持ちをもつ、大人の、恋愛的にも成熟した男性だと想像できます。
「赤い靴のバレリーナ」という曲の中で、ときめきもあり、輝きもあるけれど、2人の関係が地に足のついたものであることも示唆されていると、私は解釈しています。
さて、この、かわいらしいわがままを「私」は実行したんでしょうか。
それは、
「見知らぬ電車で 見知らぬ海へ
見知らぬ駅まで 切符を買ったわ」
(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)
とだけ、描かれており、その結末はリスナーにゆだねられています。
私は、「赤い靴のバレリーナ」を初めて聴いた時から、同じ結末を想像しているのですが。
それは、夏の繊細さのひと幕を、この楽曲で表現してみせた、名アーティスト達に敬意を表し、
あえて、言葉にしないでおこうと思います。
それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。
タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用
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