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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2023/07/08

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 最終夜 ー グルーブ・チューブ・パート2〜GROOVE TUBE Pt.2〜 / Flipper's Guitar

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  最終夜 ー

 

グルーブ・チューブ・パート2GROOVE TUBE Pt.2 / Flipper's Guiter

 

 

 

 

シングル GROOVE TUBE 収録

 

 

最終夜の今日は、フリッパーズ・ギターの「グルーブ・チューブ・パート2GROOVE TUBE Pt.2〜」です。

 

一度紹介していますが、好きなので、再度取り上げます。

 

シングル GROOVE TUBEのカップリングとして、このグルーブ・チューブ・パート2GROOVE TUBE Pt.2〜が入っていました。

 

と言っても、私はシングルを買ったのではなく、ラジオで夜のどうでもいい時間に、このグルーブ・チューブ・パート2GROOVE TUBE Pt.2〜を、深夜遊んだ帰りの車の中や、宅飲みしているときに、もう流す曲今日は見当たらないな、という時、
ふとラジオをつけて、DJ達が狂ったように、先を争って流していたのを聴いていました。

 

そしてラジオから録音して聴いてたのかな?
確か、そんなんだったと思います。

 

大ヒットしていた、というより、これは、いまかけるべき楽曲!という判断が、その頃、たくさん、たくさん、されていたんだろうなと、いまでは予測出来ます。

 

この時期お金があまりなかったので、クラブには行っていませんでしたので、そこら辺の事情はわかりません。ごめんなさい。

 

知ってる人は皆知ってる楽曲なので、どうして取り上げたかというと、この長い、サンプリングだらけの楽曲の中に、私の大好きだった映画「トワイライト・ゾーン」のテーマが使われているからです!

 

そういう意味で、セレクトがマニアックかもしれません。

 

あとまあ面白かったんですよね。

 

いまですと珍しくもなんともないですけれど、
それでもこれだけ長い楽曲で、
惜しげもなくサンプリングで遊んでいる、
しかもそれが洗練されている、というところに、
フリッパーズ・ギターって、
やっぱり一目も二目も置かれる存在だったんだな、
とあらためて思います。

 

フリッパーズ・ギターは、私の周囲の人達は皆、1枚から2枚は確実にアルバムを持っていました。
ドラマタイアップ曲の大ヒットもあったんですが、なにより新しい音楽だったので、とても支持されていました。

 

サウンド面でもとても凝っている音楽を作っていますが、
私は例によってFlipper's Guitarの世界観から紡ぎ出される言葉がとても好きです。

 

この頃って、色々な文化になる前の形のものが新しく発生したり、外国から入ってきたストリートカルチャーとかが私の住んでいる街にも芽吹いていて、なかなかにスリリングな時期だったな、という思い出があります。

 

私は、そんなにお金はなかったけれど、暮らせる範囲で暮らせてた人間なので、朝起きて、いきなり壁に絵を描いてそれがお金になって、すっごい良いマンションに越したり、とか、ちょっと書いただけの小説で一攫千金せしめて豪遊したり、とか、そういう感じでは当然ありませんでした。

 

ですが、私のフットワーク圏でも、新しい人々や、今こそなんかやってやろう!とあれこれ面白いイベントを作っている、血気盛んな人達もたくさんいて、そういう人達を見かけた時は、普通の人間の私達は、いつもちょっと離れたところで、お酒を飲んでおしゃべりをしたりしていました。

 

そんな時期に、ふと初めて見かけるお店が近所にできたので、服が欲しかったこともあって、ある夜、ふらっと入ったら、思いっきりストリートカルチャー、ヒップホップテイスト・ゴリゴリのお店だったんです。

 

でも、ちょうどその頃、カジュアルな服が欲しかったので、お店のこれまたゴリゴリの怖そうなヒップホッパーなお兄さんに軽く会釈して、色々見ていたら、すごく親切にしていただいたんです。
私の、結構キレイに見えるカジュアルな服か、何にでも合わせやすい帽子があれば、という、クソめんどくさい注文に、とても紳士的に、これがいいですよ、とお兄さんが教えてくれたのが、CHAMPIONのニットキャップでした。

 

確か、「普通のキャップだけど、普通よりちょっと良く見えるから、これを僕はお勧めします」
とおしゃっていたので、買えない値段ではなかったので、それを購入して、合わせる服のポイントとかも詳しく教えてもらってお店を出ました。

 

ちなみにビーニー、ニットキャップ、ワッチの違いについては、以下の参考リンク様をご覧ください。

 

参考リンク

OVVERIDE 様内 Journal 2022.12.27
ビーニーとは?ニット帽、ワッチとの違いやかぶり方を解説!《メンズ・レディース》

https://overridehat.com/journal/2022/12/what-is-beanie/

 

 

それ以来、ああ、ヒップホップ系の人達でも、怖い人ばかりじゃなくて、こういう紳士的で、要領を得ない注文にも、的確に答えて、商売の範囲でちゃんと親切にしてくれる方もいるんだな、と、見方が変わったんですよね。

 

そして、そのチャンピオンのニットキャップは、長い間、本当に、長い間、得体の知れない同士、警戒しながら様子を伺っている時、何度も何度も私を明るくて気さくな人達のところに、ドアを開いてくれました。

 

だからかもしれませんが、普段、私は、危ない雰囲気の人には全く近寄りませんけれど。

 

見かけない、新しい流行の服やリバイバルの洗練された服を纏い、新しい考え方やビジネスを発信し、普通の暮らしに向けて、そういう人たちがドアを開いた時には、可能な限り、緊張しまくりながらも、コミュニケーションをとってみようとするようになりましたし、
ウーバーやスポティファイ、前だったらiTunesも、まずはやってみる、からとにかく始めてみて、今に至ります。

 

あの時の自分の体験が、ポジティブなものを私に埋め込んだこと、その後の、魔法のように、
私の着ている服のメーカーが相手の笑顔を引き出した数々の体験から、
私には、やっぱりこういう感じがいいんだよな、と思っています。

 

フリッパーズ・ギターが出てきた時、早耳の店員さん達の手によって、CDショップの棚にすでにドーンと飾ってあったから、もう期待が凄かったし、
その期待以上に、
インテリジェンスあふれる傑れたメロディ、
洗練された普遍を見つめる言葉でできた、
シネマライクな歌詞、
 
それらがまとっていた、
明るくて、おしゃれで、どこか近寄りがたさも感じさせる気分屋な憂鬱を、わあ、すごいな、と思ったのを覚えています。

 

ああ、こうやって、あっけないほど、ビュンビュンと追い越されて行って、私の知ってる音楽は最新ではなくなっていくんだな、と、清々しいような途方に暮れるような、そういう不思議な気持ちで、少しだけ今と比べて夜の色が暗かった時期を、Flipper's Guitarは手渡して、またスッと先に行ってしまうのでした。

 

 

5夜にわたって、

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  ー 

 
と題し、この時期に合う、またはこの時期を舞台にしたポップス(ポップロックも含む)について、またはそこから紐解かれる話をする、という久しぶりのイベントにお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

いきなり始まり、いきなり終わるのが、この場所のイベントなので、今回もそうします(笑)

 

この頃、思いっきり好きな音楽の話ができていなかったので、書いている方としてはとても楽しく、すっきりした気持ちになりました。

 

少し前に、音楽は私にとって記憶装置の一種なのだ、というようなことを書きましたが、色々と普段手放してしまっていることを、思い起こすきっかけともなりました。

 

ネットで見かけた、人の言葉ですが。

必要だからいま思い出した、という言い方があるそうです。

何に必要か、までは、まだわからないけれど、いい方向に向かうきっかけになるといいな、と思っています。

 

この、いきなり始まり、いきなり終わる、なんだかよくわからないイベントが、みなさんにとっても、何かポジティブなものを手渡す橋渡しとなれるのならば、幸いです。

 

それではまた、次のイベントでお会いしましょう!

 

明日は、日曜日なので、穏やかな内容を更新する予定です。
 

 

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20230709 00:27 誤字をなおしました。

 

2023/07/07

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第4夜 ー ベガ / 斉藤和義 (Kazuyoshi Saitou) アルバム 紅盤  収録

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  4夜 ー

 

ベガ / 斉藤和義 (Kazuyoshi Saitou)

 

 

 

アルバム 紅盤  収録

 

 

斉藤和義なので、正確にはロックなんですが。

ポップロックということで、このくくりに強引に入れています。

 

アルバム 紅盤は、斉藤和義のカバー曲中心のアルバム集で、その中に収録されている、ベガは、キセルが原曲となります。

 

参照リンク Wikipedia 斉藤和義 紅盤

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E7%9B%A4

 

キセルのベガと聴き比べていただければわかるとおり、紅盤収録のベガは、斉藤和義の手による編曲になっていて、前者とは同じ楽曲ではありますが、表情も聴いた後の余韻も、全く違うものになっています。

 

このベガという曲を通して、伝えたいメッセージの情景が違っていたからこその、斉藤和義版ベガなのだろう、というのが、私の見当です。

 

斉藤和義は、初期からのリスナーです。

といっても、そう堂々と書けるほど、皆勤リスナーではないので、ここを始めて3年と半分が過ぎたあたりですが、ちょっと自信がなかったので、いままで書いてきませんでした。

 

語りたいアーティストと、

黙ってずっと支持していたいアーティストって、

ありますよね。

 

私にとって斉藤和義は、後者のミュージシャンです。

 

どういう経緯で、斉藤和義版ベガを初めて耳にしたのか覚えていないので、おそらくラジオだったんだと思います。

 

それで確かC Dを探して、長らく原曲のキセルバージョンは未聴だったはずです。

 

ちょうど10年くらい前に、好んで聴いていたので、キセルバージョンを知ったのも、いまから考えると結構前ですね。

 

ベガは、斉藤和義のこちらのバージョンが初聴きで、

私はそれにヤられてしまったので、

キセルバージョンも、

すごく雰囲気が完全なものになっていて素晴らしいですけれど、

斉藤和義バージョンのベガが、この季節になると必ず聴く、

または思い出して探して聴く、大切な楽曲となっています。

 

ベガという楽曲は、私が好む、

やはりあまり限定しない言葉で描画されており、

それでいて描き出す輪郭をとても正確に、

聴くものに手渡していく、

非常に傑れた楽曲だと思います。

 

斉藤和義の解釈と言っていい、アレンジと歌唱で表現された、斉藤和義バージョンのベガは、

 

私に、

夏の夜に必ず充満している、

暑さに溶けてしまった時間の流れ、

遠い過去や遠い未来、そして現在地というものを、

随分と高い空中から俯瞰で見つめる作用として、

強く働きかけてきます。

 

それは青年期の途中や、

青年期の記憶が色濃く体内にまだこびりついている、

そういう人たち全員に共通する、

夏の夜として繰り返し訪れる、

都市の郷愁でもあると思います。

 

言い換えると、それは若さというものの手触り、でもあるんですが。

 

どうしてかわからないんですが、

この曲を繰り返し聴いていると、

青年期に過ごしていた、

本当になんの意味もない時間や会話が、

脳裏に浮かびます。

 

なんだって、こんなこと覚えてるんだろう。

もっと為になることを思い出しゃいいのに。

と、ちょっと情けなくもなるんですが。

 

私は、この曲が呼び起こす、たくさんの夜、

 

お酒とともにテーブル越しに交わした、

取るに足らない、

ほんとうに何も残らない会話やその時々の表情を、

 

すごく無駄だったけれど、

ちゃんと私の中に手渡すものがあるんだな、

と少しだけ安心な気持ちで確認できるから、

 

楽曲内で描かれている、

それは”願い”といってもいいものの力を

ちょっとだけ借りて、

毎年やってくる、天上での待ちに待った逢瀬の夜を、

大切にしたいのかもしれません。

 

 

「昨日、書いた 忘れないよ

本当になってしまうようにね

かた結びで ほどけないよ

後戻り 出来ないね」

(ベガ 斉藤和義バージョン より)

 

 

 

星が見えようが、見えてなかろうが、

 

どうか、ここを読んでくださるみなさんのもとに、

とてもよいものが、必ずや訪れ、

 

知らず知らず、その存在と、

大切な人や大切なものが、ただ在る祝福を

待ち望んだ約束のように交わせることを、

僭越ながら、願わせていただき、

今日の更新分を終わろうと思います。

 



 

『 どっち行こう 誰も気にしない

あての無い その果てをあてに 』

 

(ベガ 斉藤和義バージョン より)

 


 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用

 

 

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20230708 00:21 誤字をなおしました。 

20230708 08:47 誤字をなおしました。


 

2023/07/06

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第3夜 ー ようこそ輝く時間へ / 松任谷由美 (Yumi Matsutoya)

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  3夜 ー

 

ようこそ輝く時間へ / 松任谷由美 (Yumi Matsutoya)

 

 

 

アルバム PEARL PIERCE 収録

 

 

松任谷由美を語るときに、アルバム「パール・ピアス」以前、「パール・ピアス」以降で区分けが行われる。

 

というのを、昔読んだことがあるんですが、例によって、私はこの意見は支持しません(笑)。

 

私の、アルバム「PEARL PIERCE」観ですが。

 

タイトルトラックの「真珠のピアス」の中で歌われている、女性の復讐と”されている”、あまりにも強いイメージが先行して、なんだかアルバム「PEARL PIERCE」の話を探しても、大声で言われてる話は、その復讐の話ばっかりで、

「女って怖い! 」

「それを歌う松任谷由美も怖い! 」

という、

「小学生男子かよ! 」

ということしかなくって、

私はいつも少し不機嫌になって、その情報から離れていました。

(それ以降、「PEARL PIERCE」についての話題は見てないので、あくまでも私がサーチした当時の話です。)

 

音楽をどう聴こうが、それはその人の自由なので、それはそれで、その感想はアリなんですけれど。

 

でも楽曲「真珠のピアス」で歌われてるのは、

「本命でなかった彼女からのちょっとした意地悪」

なので、

 

そのミニマムだけれど、

 

大人の女性が持つ軽い棘や、

スパイスの効いた世界への視線、

大人になってもできないこと、

少し孤独な気持ち、

 

というキーワードで埋め尽くされている、

初夏から真夏を通り過ぎて、

最後は季節があまり明らかにされていないという余韻、

に満ちたアルバムに収録されているタイトルトラックなんだから、

こと大きく「女の復讐」として取り上げるのはどうか、

と私は思います。

 

この話って、怖い怖いって言われていますけれど。

 

本命になれなかった主人公が、別れの挨拶に、ちょっと彩りを加えてみた、どこかソリティア(ひとり遊び)味が強いんです。

 

そして、主人公は、そういうちょっと意地悪な遊びをしながら、

相手の男が、仮にこの意地悪で後で一瞬、ドキッとするような気まずい空気に包まれても、

うまく交わすんだろうし、

本命の彼女もそこを察した上で、

自分を選んだ男と新しい生活に向かうだろうことが、

わかりすぎるほどわかっているので、

結局、ああ、私は、うまくいった2人のエピソードになっちゃったな・・・、

という部分で、傷ついているんですよね。

 

アルバム「PEARL PIERCE」全体に流れているテーマは、「大人になったと思っている、少女性も魔性も、意地悪さも持った、等身大の女性像の、日常風景から始まる物語群」

なので、

受け取り方の個人差のズレがあったとしても、

アルバム全体を流れるテーマ大きく逸脱して、

曲鑑賞するのはどうなんでしょう。

 

まあそれすらも、私個人の鑑賞の範囲なんですが。

 

 

実は、私は初めて松任谷由美を聴いたのが、この「PEARL PIERCE」とその次のアルバムの「REINCARNATION」でした。

 

細かい経緯は忘れてしまいましたが、それまでは松任谷由実は、F Mでエアチェックするに留めていたんですけれど、どうしてもちゃんと聴きたくて、という流れだったはずです。

 

で、なんの予備知識もないまま、手に取ったこの2枚のアルバムの最初に聴いた方が「PEARL PIERCE」で、その第一曲目に収録されているのが「ようこそ輝く時間へ」でした。

 

私が思う、松任谷由美のものすごさって、

 

「誰もが言語化したくてもできなかったことを、洗練された言葉にして、歌詞世界に落とし込む」

 

という才能なので、

(どこかの誰かが、下手の横好きで、同じようなことをずっとやってるけれど、どこにも行けてませんね。ええ、私のことです。どこかに行きたくてやってるわけではありませんが。)、

 

「夜空に浮かんだスタジアム

カプセルに乗ってのぞいたら

歓声が舞い上がる

ああこのまま 時間を忘れて

世界を舞い跳ぶ ビームになりたい」

(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)

 

を聴いて、当時の私は度肝を抜かれました。

 

いまでもそうなんですが。

私は夏は嫌いだけれど、夏の夕方から夜にかけてはとても好きで、気持ちがどこか高揚して、浮遊感に包まれる季節の肌触りを、この楽曲で松任谷由実は表現しているんですよね。

 

本当に驚きましたし、いま聴き返しても、やはり驚きがあります。

 

そして、前後してしまいましたが、

冒頭の歌詞。

 

「夜風が涼しくなる頃は

哀しい子供に戻るから

連れて行って 遊園地

 

ネオンの星座も色褪せて 

バターの香りが流れ来る

黄昏の遊園地」

(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)

 

初っ端からこれです。

ものすごいですよね。感性の鋭さが!

 

そして、こういう情景を日本語で歌ったのは、松任谷由実が最初だったのではないかと私は予測しています。

 

そしてそして、

 

「大人になったら宿題は

なくなるものだと思ってた

行かないで 夏休み」

(「ようこそ輝く時間へ」 松任谷由美 より)

 

という、

もう余計なことを私が書く必要のない、

凄まじいまでに鋭く繊細な感性の歌詞で、

この楽曲はできています。

 

ふだん暮らしていて、私は「PEARL PIERCE」を聴くときは聴くし、聴かないときは全く聴きません。

 

ただ、この時期の季節感、照りつける陽射しの強さ、夕立や雲の動き、それらが茜色に染まって夜が始まる、夏の情景が、この楽曲とともに脳に焼きついているので、夏が来ると、どうしても一回は「ようこそ輝く時間へ」が聴きたくなり、その後、結局はアルバム全体を聴いてしまうというのが、私にとっての「PEARL PIERCE」です。

 

多感な時期に、アルバム「PEARL PIERCE」を聴いて、私はこう思いました。

 

「大人になっても、いまの気持ちを持っていていいんだ。」

 

それから随分と時間が経ってしまいましたが、

私は、当時のその気持ちを失うことなく、相変わらずのよくわからない日々を過ごしています。

 

そして、同じ気持ちの人が世界中にたくさんいることを、いまでは知っています。

それは、とても幸せなことなのだ、ということを、わかりすぎるほどわかった上で・・・。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用

 

 

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最大の復讐

 


 

雑記です。

 

 

 

私には、どうしても許せない相手というのが、何人かいます。

 

そういう、どうしても許せない、自分に嫌なことをした相手への仕返しの中で、最大で最高なのは、

 

幸せになること、なんですよね。

 

それこそが、最高で、最大の復讐なんですよね。

 

自分なりに幸せで、自分なりに楽しく、大切な人たちと、明るい場所で静かに暮らす。

 

それが、私の、最高の復讐になるんです。

 

みなさんはとっくにご存知のことかもしれませんが、

私にもようやく、その気づきとしか呼べない瞬間が訪れたので、深い、深い、納得と共に、ここに書いておきます。

 

 

何だか自己啓発なんとか見たいですが(笑)

 

でも、本当にそうなので、共有しておきます。

 

 

 

 

 

2023/07/05

Japanese Summer Maniac Pops ー 睡蓮の開く音がする月夜 第2夜 ー 赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 (seiko matsuda)

 

Japanese Summer Maniac Pops

ー 睡蓮の開く音がする月夜  2夜 ー

 

赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 (seiko matsuda)

 

 

 

アルバム ユートピア 収録

 

松田聖子に関して、かいつまんだ情報を書くと、日本のトップアイドルからトップスターになった、日本のポップスターです。

 

日本にもポップスターはたくさんいるんですけれど、山口百恵というポップスターが綺羅星の如く現れ、伝説となったあまりにも短い活動の後、惜しまれながら結婚と共に引退し、その後、まるで約束されていたかのように、世に現れたのが松田聖子でした。

 

詳しくはWikipediaをご覧ください。

 

ウィキペディア 松田聖子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90

 

アルバム「ユートピア」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)

 

 

松田聖子は、ありとあらゆる当時のトップアイドルの常識をくつがえし、快進撃を続けていたのですけれど。

 

彼女のアイドル活動期の特色として、当時の国内の実力派ミュージシャンたちが、松田聖子というアイドルのアルバムに多数参加していた、というものがあります。

 

なので、楽曲的に、日本の歌謡曲としての良さを追求していたごく初期のアルバムと、

その後の名曲揃いのアルバムは、クレジットにある通り、

はっぴいえんどの松本隆がほとんどの作詞を担当し、

同じくはっぴいえんど、のちに「A LONG VACATION」を発表する大滝詠一、

同じくはっぴいえんど、そしてのちにYMOの細野晴臣、

松任谷正隆、松任谷由美の別名義である「呉田軽穂」、

甲斐バンドの甲斐祥弘、

チューリップの財津和夫、来生たかお、などなど、

 

そうそうたるメンバーが作家陣に加わり、

その楽曲の多くを、

名編曲家である大村雅朗が担当していたという、

ただの一過性に消費されるアルバムでは、決してありませんでした。

 

私見ながら、この時期、すでにトップアイドルであり、ポップスターであった松田聖子に課せられてた音楽的役割は、

「かわいくて誰もが眩しく思う、主人公の女の子の気持ちを歌う」

から、

「どこかにきっといる、聴いたものがみな、心に思い浮かべることができる」、

「誰かにとって、とても大切な女性の気持ちを歌う」

に、切り替わっていった頃だったと思います。

 

松田聖子の夏の名曲は、この名盤「ユートピア」に同じく収録されている、以前、当ブログでも紹介した「マイアミ午前5時」を私はまず第一に挙げますが。

 

ポップスとして非常に巧みで、強い支持を受けるのは、おそらく「渚のバルコニー」でしょう。

この楽曲で、彼女はヘアスタイルだけではなく、ファッションリーダーにまでなるきっかけとなった名曲ですので、このセレクトでまず間違いないと思います。

 

ですが、今回はManiacという区分けをしていますので、あまりメジャーのくくりでは光が当たっていない、名曲「赤い靴のバレリーナ」を私は挙げます。

 

聴いていただければお分かりの通り、ギターと鍵盤の旋律が美しいスロウな楽曲で、作詞は当然、「松本隆」(Takashi Matsumoto) 、作曲 「甲斐よしひろ」(Yoshihiro Kai)、編曲 「大村雅朗」(Masaaki Omura)が楽曲制作をしています。

 

この曲に出てくる主人公は、普段は少しおとなしい、あまり活発な「私」ではありません。

 

そして、とても繊細な気持ちと気分を持ちながら、人生というもので、花の季節が短いことをはっきり自覚している、現実の苦さも知っている主人公です。

 

その「私」は、冒頭の歌詞で、こう心のうちを明かします。

 

「前髪1㎜ 切りすぎた午後

あなたに逢うのが ちょっぴり こわい

一番 綺麗な時の私を

あなたの心に 焼きつけたいから」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

つまり、みなさんよくご存知の通り、前髪が1㎜ 違うだけで、自分の顔の印象が変わってしまうことを、この主人公もよくわかっているんですね。

 

そして、”一番 綺麗な時の私”を見てもらいたいし、覚えておいて欲しいと続けます。

私が一番綺麗なのは、いまのこの時期だけなのだ、という寂しいことを思ったり、それはちょっと自惚だったり、相手との恋愛が自分を美しくしてくれたことを知っている、少しの自信でもある気持ちを打ち明けます。

 

いきなり冒頭の歌詞でこれです!

 

みなさん、これが松田聖子です!

これが、松本隆です!

 

続けます。

 

「明るくなったね 人に言われて

誰かのせいよと 謎めきたいの」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

からわかる通り、この「私」は、恋愛で変わったんですね。

 

そして楽曲の最後まで貫かれる繊細さは、「私」が、非常に「ものおもい」の時間を持っている、心の中の方が雄弁な人物であることを表現しています。

 

そして、この「私」の相手はどんな人物かというと、

2番の歌詞にある

 

「海から あなたに電話をかけて

いますぐ来てよ、と わがまま言おう

車を飛ばして 来てくれるかな

それとも やさしく 叱られるかしら」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

という、

「私」の繊細さを受け止めてくれる、優しい気持ちをもつ、大人の、恋愛的にも成熟した男性だと想像できます。

 

赤い靴のバレリーナ」という曲の中で、ときめきもあり、輝きもあるけれど、2人の関係が地に足のついたものであることも示唆されていると、私は解釈しています。

 

さて、この、かわいらしいわがままを「私」は実行したんでしょうか。

 

それは、

「見知らぬ電車で 見知らぬ海へ

見知らぬ駅まで 切符を買ったわ」

(赤い靴のバレリーナ / 松田聖子 より)

 

とだけ、描かれており、その結末はリスナーにゆだねられています。

 

私は、「赤い靴のバレリーナ」を初めて聴いた時から、同じ結末を想像しているのですが。

 

それは、夏の繊細さのひと幕を、この楽曲で表現してみせた、名アーティスト達に敬意を表し、

 

あえて、言葉にしないでおこうと思います。

 

 

それではまた、日本時間の明日の夜7時に、お会いしましょう。

 

 

 

タイトル副題 河出文庫 少年アリス 長野まゆみ(Mayumi Nagano) より、冒頭第1節を引用

 

 

 

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