O先生によるエナメル紹介



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うっかりカツカツやって来て、うっかり居ない。( By O.)
 

2023/10/07

予定通り削除しました。

 予定通り、穏やかでない内容を含む投稿を削除しました。
 
メール等も来ていないので、
おそらく誰も何もしていないと判断していいと思います。 
(どんな秘密集団だよ(笑))

そして、誰も死んでないみたいですね。
よございました。
 
私に関係あった人も、ある人も、どうでもいい人も、この野郎と思ってる人も、
現実が繋がってる無限の場所の人たち全員、
向こう岸の方々も、 
 
この世界にいま存在しているすべての人が、
みなさん、どうかお元気で、
お互いに自分の時間を最期のときまで、
幸せに、穏やかに、一生懸命に、時々はダルダルに、
しっかり生きて死ぬことを
私もみなさんと同じように、願っています。
 
 
 
よかったよかった。何もなくて(笑)。
 
エナメル
 
 

2023/10/02

ヒーロー見参


 
記者会見のニュースを拝読しました。
 
ポンコツなので視聴することができないのですが、せめて記事だけでもと思っていたら、概要をまとめた記事があり、私のようなものにはとても助かりました。
 
ですが、冒頭の動画だけでも、胸がつまってしまい、身を切られる思いでした。
 
過去に身を寄せさせていただいていた私ですらそうなのですから、現在、応援している方々の辛さを想うと、とてもではありませんが、言葉になりません。
 
ふと、別の記事を拝読して、会場に偉大な方が現れたことを知りました。
 
どなたかは、わかりようもありませんが、30年応援してらっしゃるとのことで、大先輩です。
 
その方は、わざとピエロ役を買って出てきてくださり、
過去にその場所にいたものや
現在おられる方々のつらい、身のすくむ気持ち、
心配している気持ち、やり場のない気持ちを、
なにより、
途方もなく勇敢な壇上の方々へのこちら側の想いを伝えてくださり、
ファンダムの伝統への誤解をあっさりと解いてしまわれ、
本当に尋ねたかったことを訊いてくださいました。
 
みなさん、この方こそが、たくさんおられる伝説のファンのお一人です。
 
私が、過去にわかりもしないのにやった架空の人物などではなく、
 
勇敢で、
怖れなどに一切、怯まず、
寄せられるであろう嘲笑をものともせず、
 
知的で、
きめ細やかな心配りと、
途方もなく大きな愛情を持っておられる、
美しく、とてもかっこいい、
偉大な伝説のファンの姿です。
 
私があまりにもバカで、当時見ていた先輩方の姿を汚すことしかできないのに対し、なんという偉大な姿を示してくださるのでしょうか。
 
私が信じていたものは、絶対に間違っていなかったと、私などが余計なことをせずとも、こうしてヒーローは助けに来てくださるのだと、胸が熱くなり、また、いっぱいになりました。
 
誇らしさと身のすくむ想いの中で、謹んで脱帽し、敬服いたします。
 
大変なご迷惑をおかけし、申し訳ございません。
 
 
それでも、私も、お礼を申し上げたいです。
 
偉大なお心遣いは、このような者にもしっかり届きました。
 
 
助けに来てくださり、ありがとうございました。

 
生涯、忘れません。
 
 

2023/10/01

モビールの朝


 
 
日曜日なので、穏やかな内容を書いています。
 

お月見はいかがでした?
私は、今年はいつもより楽しいお月見ができました。
 
Amazonの手を借りて、私も粟をまぶしたお餅を作ってみたんですが。
美味しかったです。素朴な味わいで。
覚えている通りの味になったので、まずまず成功と言ってもいいと思います。
 
お・美味しかったですか?
 
ご自身の美味しいに合わせていただければ、と保険をかけておいたので(いや言い方)、きっとお口にあっただろうと思っています。
違っていたなら、すみません。
 
 
「粟をまぶしたお餅」という、同じキーワードを頭の中に描いているのに、現実に取り出してみるとそれは全く別々のものになる。
って、すごく面白いと思ったんです。
 
きっと私たちが過ごしている現実でもそうで。
同じものを見ているようでいて、見ているものは本当は少しずつ違う、というリアル。
 
私はこのことを考えると、すごく安心するんです。
どれも同じであるはずがないのだから、自分たちも同じであるはずがない。
同一であるわけがない。
と気持ちが励まされます。
 
これは、もう10年くらい前にネットでどなたかがそう書いていたのを強烈に記憶していたことが、たぶん私の中にずっと沈み込んでいて、先週の粟のお餅の話の時に顔を出したんだと思っています。
 
いま我が家には、ずっと欲しかったモビールが飾ってあります。
 
それを眺めていると、絶対にモビールって同じ形をしていないんですね。
当たり前のことなんですけれど。
 
そして同じモビールを見ていても、決して同じ形を見ているわけではない、という現象。
 
私は時々、なにもかも実際の在り方ってそうなのではないか、と妙な確信めいた気持ちになることがあります。
 
若者だった頃、そのことが言いたくて、気まぐれに作ったものを寄せ集めて無料展示をしたことがあるんですけれど。
 
その時から、考えていることが変わっていないので、たぶん私はそこで考えが止まってしまってるんでしょうね。
 
ただ、このことは、私の見ている世界にはすごくフィットしていて、それ以上、肉付けしなくとも、十分に暮らしの中に入っていけるパスワードになっています。
 
一般的ではない、人と同じではない、ということが不安になるとき、同じであるはずがないんだ。と明るい気持ちに連れて行ってくれる効果があるので、私はこのこともとても大切にしています。
 
 
普段意識していないけれど、あらためて考えてみると、インターネットってものすごくたくさん人がいますよね?
 
おそらく2023年の現在では、もう即座にイメージできないほどの天文学的な数の人々が、昔、仮想と呼ばれていた、現実をつなぐ無限に、自分の意志で参加している。
 
全員、全く別の日常を持っていて、そこからネットワークに参加したり、しなかったり、そうしていながら、時々はこうして同じものを読んで、違うことと同じかもしれないことを、一瞬、思ったり感じたりしている。
 
私たちは、なぜか集団になると、同じであることを強く求めてしまう傾向にあるみたいですが。
 
そもそもが同じではないので、個別のまま参加できる、テクノロジーが作り出した電子の宇宙の一角にある、奇妙な森の中で、日曜日についてみなさんに話している現実を私は持っています。
 
そしていまも、瞬時に過去に移り変わる時間にくるまれて、個別というものが織りなす、日曜日のイメージの交換を私たちは行っている。
 
それはなんだか、とてもロマンチックなことのように、私には思えるんです。
 
みなさんも”同じ”だといいんですけれど。
 
10月の朝、モビールを眺めながら、そんなことを思いました。
 
 
今日から10月ですね。
私の住む街では、今朝はもう気温が肌寒く感じられるほど下がりました。
熱い飲み物が楽しめる季節が始まっていますね。
 
私は、そのままになっていた冬支度を再開しようと思っています。
毎年ストーブの掃除を始めると、冬の匂いがして、どこか懐かしく、それでいて秋冬シーズンの始まりに、気持ちが新しくなるんですよね。
 
電気ストーブ、エアコン、膝掛けのチェック、室内履きの準備、やろうと思えば色々と忙しくなってしまいますが。
 
あせらず、まずは温かいお茶とお菓子で、10月最初の日曜日を区切ってみてはいかがでしょうか。
 
 
それでは、素敵な日曜日をお過ごしください。
 
 
 
 
 
 

20231001 16:11 誤字をなおしました。


ウソについての考え


 
今日は気分がいいので、ウソについての考えを書いてみます。
 
私は嘘とウソと書き分けていたのは、やばい嘘に関わることは嘘で、その他のことはウソ、というふうに分けたかったからなんです。
じゃないと、生きていけないから。
 
私は嘘をついてしまってそれで失敗しているんですけれど。
それでも、ウソをつく時はウソをつきます。
ホントのことを言うときはホントのことを書きます。
と頑迷に書き続けるのは、
私は、それが人の世のありのままの姿だと思うからなんです。
 
私の生きている現実では、私は、ふだん、よくウソをついています。
 
たとえば、
全然いいと思っていないのに、「わあ、それ似合いますねー!」と言ったり。
どこがいいんだろう?と思ってることでも、「うん、いいですね。これで行きましょう!」と言ったり。
嫌な人だなと思ってても「いいところもありますよね」と言ったり。
ウソは言ってないから・・・、というウソをついたり。
ありのままで生きています、というフリをしたり。
お金様と言わない、と強がったり。
「いや、ウソはつかないよ」と言ったあと、思いっきり「うわぁ、これ美味しいねーっ!ほんと、美味しい!」と言ったり。
 
いやそれは本音と建前で、とか、いやそれは本当のことだけを取り出して言ってるんだ、とか、言わなくてもいいことを言わないだけ、とか。
 
まあ、みなさんが、きっとエナメルはこのことを言っているんだろうな、と思っていてくださったことを、私はウソだと言っています。
 
はっきり書いたことがなかったので、言語化してみました。
 
意地悪な気持ちから言ってるんじゃなくてですね。
 
私は、ウソはつかない、という人に対して、それはウソだろう、と思っています。
 
だって、今朝、君に会えるのが嬉しくてオナニーしてきたよ。とか、あなたのことは好きだけど、嫌いなところもいっぱいある、とか、わざわざ言わないですよね?
 
それをね?
正義バカのように、それもウソだ!ウソウソウソ、はいウソついたーっ!
って思ってるわけじゃないんです。
 
そんなことは当たり前だし、そうして、自分をどこか誤魔化したり、ウソにしないところで、言葉にしないでいることとか、誰でもいっぱいあるんですよ。
そうでなきゃ生きていけませんから。
 
でも、ウソとホントをきちっと分けると、それがどちらに入るかは、みなさんお分かりの通り、それは全部ウソなんです。
 
いいや、自分は絶対にウソつかないって言ってる人は、きっとそれはその人にとっては本当なんだろうけど、それは、それができる、ものすごく珍しいその人だけの世界で生きている、そこでだけのすごい権力持った人なんだろうし、もう言っちゃうと、めんどくさいから、はあそうですか、って言われてるだけなんですよね。
 
その上で、人を疑いまくって、ウソじゃないだろうか、これは? これは? といっつも思ってて、正直じゃないと済まさないっていう人がいるとして。
それって誠実なんじゃなくて、人を自分の思い通りにしないと気が済まない、支配欲が強い人だと、私は思います。
 
私は、ウソをついてそういう支配的な人に抵抗する時もすごくあるし、そのフリしてるときも、バレバレのフリして相手をバカにする時もあるし、逆に気に入られようとへつらってフリする時もあるし、あとはなんだろう。自分を誤魔化したり、気まぐれで”正直をついたり”、色々です。
そうやって自分の気持ちや日常をなるたけ守ろうとします。
 
その気持ちを全部差し出せっていうのは、正直という権力ですよね?
相手が全部が全部、気持ちを取り出してみないと気が済まない、ただののぞき趣味じゃないんでしょうか。
 
私は人は言葉にしないことの方が多いし、言葉を使うならなるたけウソをつかないでいよう、という努力目標もそれはそれでわかるし、よくない嘘はとんでもないことを引き起こすので、そういう嘘はやめましょう。という厳しいルールの存在も知っています。
 
ただ、私は、ウソはつきますから、ウソをつきますし、ここ3年、ウソをつかないように書いてきましたけれど、静かに暮らす上で、公表したくないことは公表しないという自分に従ってやってきましたけれど、この先はウソの一種である、ウソはついてないからね、という書き方をしたり、昔はフェイクと呼ばれていましたけれど、現実をそのまま書くわけにはいかないから、現実を模したフィクション的な構図を書くことに戻します。
 
BTSのことでお世辞を書いていたと書きましたけれど、それもウソですよね。
 
私はいつの間にこの世界には、
まあいいじゃない、で済ますこと。
あははそうだねーで適当を打つこと。
はっきりさせたって誰も幸せにならないよ、と最もらしいことを言ってしれっと逃げてしまうこと。
そのほか、まだいっぱいありますけれど。
 
そういうことをしない、という人ばかりが発言するようになってしまったのかな、とずっと悲しかったんですよ。
 
でも、そんなわけないんですよ。
私が生きていた療養中の現実空間で、当たり前にそれは行われてきたし、それで誰かは困っていたり、そうでもなかったり、そうやって、曖昧なことは曖昧なまま、豊かに時間が流れていっていました。
私が知っていると思っていた現実の通りでした。
 
だから3年前にネットに戻ってきて、このことを言葉にするかずっと迷っていたんですね。
ご迷惑がかかるから名前は書きませんけれど。
とある本を読んで、その現実が当たり前にたくさん記されていて、そんなことは普通である、という描写がこれまたたくさんあったので、そりゃそうだろう。これはもう、私の現実では間違いではないと判断していい、と決めたので。
気分がいい時に書こうと思って、やっと今日書いたというわけです。
 
昔、私は「ウソついたことない人はいないんじゃない?」というセリフを物語の中で登場人物に言わせたことがあります。
当然、それは、こういうドラマがあったらいいんじゃないか?こういうドラマに出てほしいと思ってるから書いているんだ、と前置きを、口を酸っぱくして(笑)書いていた物語の中の、フィクションです。
 
でも、ある時、私はそれは間違っていた、と書きましたが、それは怯え、押し出されるようにして書いた、別の後悔からのことでした。
 
なので、前言撤回します。
 
「あの物語で私が言ったことは間違っていません」
 
理想はわかりました。
誰もそこに向かわないなんて言ってない。
どこをどうしたらそういう解釈になるのかもわかりませんでした。
 
私のいる現実では、たくさんのウソがあり、そこにいる人はウソをついていますし、私もよくウソをつきます。
生きていく上で当たり前の、潤滑油なんです。
 
そのウソから間違いが起こり、しなくてもいい思いもするけれど、それでも私たちはウソをついて生きている。
それが私のいる現実です。
 
物語に、私は、ですが、自分の中の現実を転写したこともなければ、自分の願望を書いたこともありません。
 
そうするのが正しい物語の書き方なら、私は間違った物語を書いていたのでしょうし、これからもそれは変わりません。
正確に物事を書くことも、昔も今もできないままです。

ちなみに私は誕生日は密かに祝ってほしいタイプです。
それはとうの昔にかなっています。
 
 
これもデータになっていないデータです。
そして、あの頃、お気持ちがありがたく、あの時の状況が申し訳なくて、ウソをついてたことでもあります。
 
そのウソ「も」私は悪いことだとは思いません。
 
人はどう生きようとその人の勝手である、という誰でもわかっていることを私も思っています。
 
なので私も、好きにします。
 
 
以上、ウソについての考え、でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
20231001 12:37 文章をなおしました。
20231002 17:57 アドバイスで指摘された箇所を消しました。
 
 
 
 


2023/09/30

祝! 庭の原型完成!と ググさんの新曲について

  
ずっと思っていることを率直に書くことをやめていたんですね。
色々と後悔していることがあったので。
で、率直であることとまではいかなくとも、思っていることをもう少し、取り出したままの形で、あまり気を使わず(笑)、書いてみようかなと思います。
 
 
実はですね。
私、すごくBTS関係に気を使っていたんです。
読んでくださる方々は、とっくに気がつかれていたと思うんですけれど。
昨日、ちょっと確認したいことがあって、JINさんについて自分が書いていたことを見直した時に、お世辞ばっかり書いていたんです。
(20231012付記:けっこう正直に書いていたとは思うんですけどね)
 
やっぱり何か問題になったら嫌だなと思ったので。
 
でも、こんな小さなところで何を書こうが、そんな影響があるはずないですし、なにより、この人は本当は何を考えているのだろう?と、よけい警戒されるだけなんだな、とよくわかったので、特に腹に一物ないですよ、という意味で書いてみます。
(まあ、お腹の中に何もないわけはありませんが。私も人間やってますので。)
 
 
まずは園芸ネタです。
 
我が家の小さなベランダに小さな庭が誕生しましたーっ!
 
残暑とまではいかなくても、まだまだ日中暑い中、日焼け止めを塗りたくって帽子かぶって、腕当てして、虫除けベープ(有能さが異常)つけて、頑張った甲斐がありました。
ええ、手伝ってもらいましたけど。
 
やっと人工的な日陰も作れて、これで我が家のベランダにあったすっごい小さな日陰を駆使して、半日陰の植物をぎゅうぎゅうのスペースで育てずに済みます。
 
私、気がつかなかったんですけれど。
どうも、半日陰で生息する植物が好きみたいなんですね。
 
その数が気がついたらたくさんになっていて、今年の猛暑で葉焼けを起こしていたので、かわいそうだったんです。
だから、人工日陰を作れて良かったです。
そこは、素敵な名前を持っている庭とは別のスペースなんですが。
 
多分、暑さで参っていただろう、来たばかりのアンティークカラーのバラやクレマチス、クリスマスローズを置いています。
昨日、今日と様子を見た限りは、大丈夫そうなので、これからは日差しを気にせず、庭活(”にわかつ”というそうです。パクりました。)にいそしめます。
 
そしてそして素敵な名前を持つ庭には、主に銀色で統一して行こうかなと思って、美しい銀の葉を持っているいくつかを置いて、合間合間に、中心に置いている植物の色に合わせて、小さく仕立てたい(希望)つるバラを育てたり、大切にしているサボン、JINさんのイメージのキャリス、並びに、そのうち自慢気に公開する予定のバラを育てています。
 
楽しいです!←失笑
ものすごく楽しいです!←わかったわかった。
 
不思議なんですけれど。
小さな庭の中に、低い椅子を置いて、そこに座って、あれこれ植物の世話をしたり、剪定をしたりしているとですね。
音が聞こえなくなるんです。もちろん比喩ですが。
気持ちが鎮まって、なんだか、きっとお茶の小説本で描かれていた、「全部同時に存在していて、その中に自分が溶けている」という状態は、これなんじゃないか? と思ったんですよ。
 
何言っているかわからないと思いますけれど。
そして、その小説のタイトルがいま本棚になかったので、探せませんでしたが。
 
でも、きっとこれが禅で言う、ナントカ(もしもし?)ではないかと!
そういう気がしています。
 
 
ググさんの新曲についてですが。
 
私は正直言って、そんなに問題なのかな?という気持ちです。
いやいやお世辞じゃなくて。
 
きっと英語がよくわかる方には、問題とされているワードはとても問題なんでしょうね。
そこがダイレクトにわからないので、その件に関しては、私は、そうなんだな。どうしてその表現をしたのかな?という気持ちでいます。
 
ただ、グクさんのソロ曲「Seven」で、引用するわけにはいかないので記憶で書きますけど。
「月曜、火曜、水曜、とにかく君と毎日ヤリたい」
というようなフレーズが、バージョン違いで公開されているんですけれど。
 
最初、私は、「Bad Decisions」のセルフオマージュでそういうスタイルなのかな?と思ったんですね。
で、調べたら、歌詞のスタイルが違ったので、だったら、多分、歌詞にリアリティを出そうとしたんだろう、と思いました。
 
つまり、ちゃんと現実に使われている言葉で、歌詞だからといって、言葉自体を商品化することなく、2023年のいま、実際に人々が使っている言葉を使ってみたかったんじゃないかと思ったんですね。
 
それでM Vの、本人も口説いている女性も大事になっているのに、常に、愛しているー、あなたが好きですー、付き合ってくださーい!と(きっと)、繰り返している状態が暗示していること。
 
とにかく年がら年中、相手のことしか考えられない状態。
 
それくらいの恋愛なんだろうな、と思ったんです。
 
 
ちなみに、余談ですが。
私は、グクさんのライブ配信を見た時、グクさんはARMYさん達に向かって何曜日が好きか尋ねていたんですけれど。
その後、「いやー日曜日が楽しみだなー?」と言っていたのを聞いて、「もしかして、私の日曜版って存在理由自体がわかられていないのかも?」と思い当たり、8月に日曜版について説明したんですね。
 
だからグクさんの預かり知らないところで、グクさんきっかけだったわけです。
 
思えば、私はその時まで、ちゃんと自分が動かしていきたいものに対して、自分の考えや思っていることを書いてきてませんでした。
 
理由は、たぶん日曜版の存在理由と目的って、わりかしいいことに入る部類なんで、そういうことを言うのはどうなのかな、と思っていたんです。
なんか、これこれこういう理由で、けっこういいことをしています、って言うの、どうなの?と普段、思っているので。
なので、そういう経緯だったから、私は全然、狙撃をしたわけでもなんでもないんだ、ということを明記しておきますね。
まあ、誰もそんなこと心配していないでしょうけど。
 
私は、負けず嫌いな人というのは迷惑だな、と思っているので、実際のグクさんがどういう方かどうかはわかりませんが。
いちいち張り合ってくるような感じの人ではないだろうとは、思っています。
最初は、あー、私と合わない人が私に関係なく、BTSで活動してるんだな、とちょっと引っかかっていたんですけれど。
 
 
グクさんのソロ曲の話に戻りますが。
対して3Dでは、私は、もっとざっくりしたことを表現したかったのではないか?と思ったんですよね。
ご迷惑がかかるので、どちらの翻訳を拝読したのかは書きませんけれど。
こちらも記憶で書きますが。
 
二次元、三次元でいうと、私はどうしても自分がやっていた物語のあったジャンルを想像するんですね。
その区分けでいうと。
 
歌詞にもあったように、この曲って、多分ですけど、セクシャルなビデオに出ている相手に向かって、こっちに来てよ!
そんな、自分でしないで、僕としようよ!という話なんだと思うんです。
 
だから同じ気持ちだよ!って繰り返しているんじゃないでしょうか。
 
だからこそ、セクシーなビデオをまさにいま視聴している男の、すっごい生の言葉が、歌詞にもラップ詩に使われているから、この場合、辱めるターゲットはいないんですよ。
それはもう確実に、画面の中の相手に恋焦がれているわけです。
俺とヤろうよ!って言っている歌だと思ったんですけれど。
 
これも、すごく面白い楽曲ですよね。
とてもリアルです。ダイレクトですしね。
なのにファンタジーについて歌っている。
これも現実の形ですよね。
 
グクさんのソロワークスって、どうしてこうリアリティに向かおうとしているのかな、という疑問が私にもあります。
 
 
で、実は、これはずっと書くのを控えていたんですが。
 
バターの時のグクさんの様子って、なんだか言葉は悪いけれど、空虚なお人形のような印象で、どうしたんだろう?と思っていたんです。
その時は、グクさん、どうしたのかな? どこか調子悪いのかな? というポカンとした疑問だったんですが。
 
その後、こういうソロワークスに進んでいくのを見ると、たぶん、グクさんがやりたいことって、
とにかく現実的な手触りがある、
いま自分がいる現実から、あまり乖離(かいり)していかない、その場所にある生々しい描写、ダイレクトに切り出した自分をいまの音楽で表現してみる。
という方向性を希望していたのではないかな、と思っています。
 
だから、たぶん、好き嫌いが別れることも織込み済みで、ダイレクトな反応を望んでいるのではないかな?と想像をたくましくしています。
 
 
最後に、この頃、思うことですが。
 
私は、誤解したくて誤解しようとする人には何か言っても無駄という考えがベースにあります。
訊いたことがないので、本当はどう思っているのかはわかりませんけれど。
 
本当に、本人が元にしているデータ(現実で取得した情報も含む)で何か訴えかけようとしているなら、確認を絶対取るはずなんです。
それが基本ですから。
まず調べる。確認してみる。そして、参照しているデータの周辺にある情報の可能性について、いくつか仮説を立てて進める。
 
なぜかというと、データというのは、データになっていない部分も含めてが、そのデータだから。
 
なので、私はよく誤解されることが多いし、嫌われることも多いんですけれど。
嫌いはどうにもならないので、それはご自由に、という気持ちでいっぱいなんですが。
誤解されてるな、勘違いだな、と気がついても、私はあまり何も言わないようにしています。
 
誤解なら、そのうち解けるだろうし、誤解したくて誤解している、曲解とも言うんでしょうか。
そういう意志に何か言っても、何か言ったことをまた曲解していって、キリがないんです。
だから私は、そういう時は何も言わないように、むしろ気をつけています。
 
以上、祝! 庭の原型完成!と ググさんの新曲について、でした。
 
 



20230930 22:22 文章を追加しました。
20231001 16:08 文章にかっこ書きを追加しました。
20231012 19:56 誤解を招くと判断した箇所を消去し、その理由を書きました。
 
 
20250727 14:37 後で読み返しても自分が何を思って書いたのか覚えが無いので、よく分からない箇所を削除しました。
当時、かなり大きなショックを受けていた時期だったので、参っていたんでしょうね。今も悲しいけれど、落ち着いています。